2017年06月26日

釣り好きに短気な人が多いわけ

'17年6月26日(月)    
[釣り] ブログ村キーワード

母の実家の一周忌の法要に
呼ばれた。
お清めには横利根川べりの
料理屋が予約されていて、
窓際の席が
空いていたので座った。

へら鮒つりの舟が
等間隔に並んで係留
されていて、
釣り人の竿はほとんど
動かない。

使われていない舟の
舳先にあおさぎ(蒼鷺)が
止まっていて、これも
剥製のように動かない。

向かいの席に座った
釣り好きの話によりと、
短気な人は、釣り糸を
上げたり、下ろしたりを
頻繁にするので、
結果的に周りに餌が
多くなり、魚が集まって
普通の人よりも釣れるのだ
そうだ。

14時ごろ、釣り舟が
一斉に同じ方向に移動を
始めた。
釣果を比べて順位を
決めるのだという。

同じころ、
あおさぎも川沿いに
飛び立ち、舞い戻って
着水し、小魚に
ありついたようだ。

人は漁協の撒いた魚で
釣りを楽しんだが、
鳥は自力で食事に
ありつかなければ
生きてはいけない。

野生の厳しさを
しみじみと感じた。

参考
アオサギ 
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

可哀そうにと思われたくない、と亡くなった麻央さん

'17年6月25日(日)
[BBC] ブログ村キーワード

フリーアナウンサーの
小林麻央さんの乳がんの
闘病は海外からも
注目された。

英BBC放送は、2016年
11月、世界の人々に
感動や影響を与えた
「今年の100人の女性」の
1人に麻央さんを選んだ。

「100人の女性」は
毎年、スポーツや芸術など
さまざまな分野で
世界中から選ばれる。
先駆的な活動をした人や
困難に負けずに闘っている
人らが対象でこの年は、
日本人では
麻央さん1人だけだった。

麻央さんのブログを通じて
前向きに生きる姿が、
がんと闘う人をはじめ、
多くの人たちに
勇気を与えたことなどが
評価された。

麻央さんは
BBCのウェブサイトへの
寄稿で
「私が今死んだら、
 人はどう思うでしょうか。
 『まだ34歳の若さで、
  可哀想に』でしょうか。
 私は、そんなふうには
 思われたくありません」
などと綴っていた。
さらに、
「2人の宝物を授かり、
 家族に愛され、愛した、
 色どり豊かな人生。
 だから、与えられた時間を、
 病気の色だけに支配される
 ことは、やめました。
 だって、人生は一度きり
 だから」などと記していた。
(WEB編集チーム)
(産経ニュース6/23 13:30)


参考
小林麻央さん 
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月24日

天才棋士に求められる名局という芸術性

'17年6月24日(土)
[藤井聡太] ブログ村キーワード

将棋の加藤一二三(ひふみ)
九段(77)に、
『羽生善治論』と題した
著作がある。
モーツァルトファンの
加藤九段によると、
天才作曲家は35年の生涯で
626もの作品を残し、その
全てが名作である

▼やはり天才と認定した
羽生棋聖(46)に、
「質と量を高いレベルで
 両立させてほしい」と
注文をつけていた。
かつて「神武以来の天才」と
称された、加藤九段自身は
どうだろう

▼質については、
将棋に不案内の小欄に
論じる資格がない。
量では確かに、他の棋士を
圧倒してきた。
63年間にわたる現役生活で、
タイトルは名人を含んで
計8期獲得している。
特筆すべきは、
2505の対局数とともに、
歴代1位となる1180もの
負けの数である。
長年にわたって第一線で
戦い続けた、実力者の証しと
いえる。
神谷広志八段(56)が
30年前に達成した28連勝
とともに、空前絶後の記録
とされてきた

▼ところが連勝記録の方は、
加藤九段の引退の翌日、
藤井聡太(そうた)四段が
並んでしまった。
加藤九段の最年少記録を
塗り替え14歳2カ月で
プロとなった中学生棋士は、
初戦で加藤九段を破って
以来、いまだ負けがない

▼加藤九段と
入れ替わるように現れた
スーパースターは、
その生い立ちから一言一句、
対局の合間の食事の内容まで
取り沙汰される。
将棋界は昨年、
ソフトをめぐる不正疑惑で
揺さぶられた。
藤井人気は、
そんな沈滞ムードを
吹き飛ばしてしまった

▼加藤九段は最近、
「ひふみん」の愛称で
テレビの人気者になって
いる。
28連勝の快挙の翌日
ワイドショーに出演すると、
藤井四段を
「天才のそうちゃん」と
呼んでたたえた。
加藤九段が天才棋士にかける
期待は、タイトル獲得に
とどまらない。
モーツァルトの名曲のような、
人に感動を与える名局の
数々である。
(産経抄 産経ニュース6/23 5:04)

加藤さんは勝つことよりも
将棋の芸術性を追求して
きた人ではないか。
麻雀好きの友人がいて、
美しい手で上がることを
心掛けていて、よく
負けていた。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

国産にこだわると世界戦略で勝てず、業界が衰退する

'17年6月23日(金)    
[ビュイック] ブログ村キーワード

車を買うことにした。

「米国では車なしには
 生活できない」という
一般的なイメージとは裏腹に、
ワシントン首都圏では
地下鉄網が整備され、
車がなくてもさほど不便は
感じない。

しかし、いつでも使える
車があるとないとでは
行動半径が格段に違って
くる。それに、
米国製の車を買えば
米自動車業界の様子も肌で
感じることができる。

その意味で欲しい一台は、
ゼネラルモーターズの
一員であるビュイックが
2013年に発売した
小型スポーツ用多目的車
(SUV)の「アンコール」
だ。

ビュイックは価格帯が
高いせいで
「中高年の乗り物」という
印象が強く、近年は業績が
振るわなかったが、
軽快なアンコールの投入で
業績を回復。
競争の厳しいSUV市場で
日本車を相手に気を吐いて
いる。

さらに注目されるのは、
その「国際性」だ。
生産拠点は韓国や中国、
ロシア、スペインなど。
欧州でも
「オペル・モッカ」の名で
好調な販売を記録する。

米自動車産業が生き残る道は、
世界戦略を構築して
外国市場でも確実に売れる
車を作ることにある。

そこへいくと、
「自動車工場の雇用を守る」
と称して国内生産にこだわる
トランプ政権の産業政策は、
逆に米メーカーの息の根を
止めかねない。
米国車ファンの一人として、
再考を促したい。(黒瀬悦成)
(外信コラム ポトマック通信
 産経ニュース6/21 14:33)

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2017年06月22日

時によって違った人物像になる聖徳太子という有名人

'17年6月22日(木)
[聖徳太子] ブログ村キーワード

聖徳太子(574〜622年)ほど、
高い知名度の一方で
人物像の変遷が激しい人物は
珍しい。
近年の研究から見える
実像を、古代史家の
東野治之・奈良大名誉教授に
聞いた。

文部科学省は今春、中学校の
学習指導要綱改正案で
「聖徳太子」の呼称を
「厩戸王(うまやどのおう)
 (聖徳太子)」に改めよう
として不評を買い、
撤回した。
東野さんによると、
「聖徳太子」の呼称は、
奈良時代半ばの漢詩集
「懐風藻(かいふうそう)」に
初めて現れるが、
「聖徳」という呼び方は、
没後ほどない頃から
されていたという。

「亡くなって間もなく
 崇拝が起きていた。
 だからこそ、
 『日本書紀』(720年完成)で
 既に神格化されている」。
一度に10人の話を聞いた、
という記述もその表れだ。
「推古天皇から政治を
 すべて任されていた」
というイメージも大げさで、
太子が単独で行ったと
考えられる施策は、
十七条憲法の立案と仏典の
講義・注釈に限られるという。
推古天皇や蘇我馬子
(そがのうまこ)に政策を
進言する
「ブレーンのような役割
 だった」と東野さんは
話す。

「聖徳」と称されるほど
優れていたのは、
「中国からの先端文化への
 理解力」だという。
「それを生かして
 仏典に注釈を施し、
 高度な漢籍の能力が
 必要な外交文書も作った」。
仏教については、
必ずしも出家を必要としない
形で受け入れ、
「社会をまとめる手段として
 政策的にうまく利用した」
とみる。

日本書紀は「皇太子」に
なったと記すが、
制度として「皇太子」が
できるのは、689年の
飛鳥浄御原令
(あすかきよみはらりょう)
よってとされ、
推古朝にはまだない。
史料には「王命」「皇子命」
と記され、「ミコノミコト」
と呼ばれていたようだ。
同様に「ミコノミコト」
と呼ばれた人物は、
後に天智天皇となる
中大兄(なかのおおえ)皇子や
天武天皇の後継とされながら
早世した草壁皇子がいる。
「次の天皇になりうる人物
 という意味の呼称だったの
 だろう」という。
 
太子像は時代と共に
変わり続けた。
平安時代以降、太子を
観音の化身として神格化する
太子信仰が盛んになる。
江戸時代には、
仏教を重視したことから
儒学者や国学者に批判され、
明治に再評価される。
1930年に紙幣のデザインに
採用されたのは
「皇太子の時に摂政に
 なった昭和天皇と
 イメージを重ねる狙い
 だったのだろう」とみる。

東野さんは4月に刊行した
『聖徳太子 ほんとうの
 姿を求めて』
(岩波ジュニア新書)で
太子の人物像を
<行動的ではないが
 頭は冴え、自分の
 ポリシーをもって
 外来文化を取り入れる、
 ある意味過激な知識人>
と総括した。
「古代から『聖徳』と
 呼ばれてきたのには、
 それなりの理由がある。
 『聖徳太子』の呼称は
 残すべきだ」と強調する。
(文化部 清岡央)
(讀賣新聞6/21 14(文化)面)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする