2019年05月23日

土俵の怪我は休まずに土俵で治せ、と初代横綱若乃花 

'19年5月23日(木)

昭和の大横綱、
初代の若乃花に名言がある。
<土俵のけが土俵の砂で
 治していくんですよ。
 けがをするたびに
 休んでいたんでは
 勝負師にはなれません>
◆砂にすべてが込められて
いる。土俵に転がり、
肩や背中にへばりつく
砂が真に強い力士を育てて
いく――。
大相撲の三月場所を思い
出す。大関の地位に
ありながら砂にまみれた
力士がいる。栃ノ心である
◆右ひざの故障で力が入ら
ないのか、突き落とされ
たり、寄り切られたりで
負け越し、大関の座から
陥落した。ところが関脇
として臨んだ五月場所では
連日、体がよく動いて
元気な相撲を見せている
◆きのう(21日)も
御嶽海をぐいぐいと
寄り切り、9勝1敗。
大関復帰の条件10勝が
現実味を帯びてきた。
再昇進できれば2005年の
栃東以来となる。
その地位を失った力士の
ほとんどが越えられ
なかった急峻な崖を
登り切ろうとしている
◆ひざの痛みとの
付き合いは長い。
一時は幕下55枚目まで
落ち、そこから大関へ。
そして今また若乃花の
遺訓を体現するかのように
砂だらけの体で大関取りを
めざす。この復活力に
ときめく相撲ファンは多い
ことだろう。あと一番。
(編集手帳 讀賣新聞5/22)

体重を増やせば、前に出る
圧力となって、
相撲に有利な材料となる
だろう。しかし、
叩かれたり、いなされたり、
投げを打たれたりすれば、
崩れた体勢を立て直すことが
難しくなる。

怪我をしにくい体は
相撲の取りやすい体であり、
稽古のしやすい体だと思う。
体重のある力士にとって
ひざの怪我はひざを
庇いながら相撲を取る
ことになり、相撲人生の
致命傷になりかねない。

ひざの怪我はあったが、
踏み止まることができた
栃ノ心の引き締まった体は
動きやすく、相撲に
ふさわしい体のような
気がする。
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2019年05月22日

災害大国日本、経験に頼らない判断が求められる

'19年5月22日(水)

船が島に着くと、雨だった。
男が飛び降りると、現地の
農林職員が説明する。
「ひと月に35日は雨という
 ぐらいですからね」。
屋久島の雨の多さを
有名にした林芙美子
『浮雲』の一節である
◆編集者らと島を訪れた
芙美子は紀行文も書いて
いる。
<山々は硯を突き立てた
 ようにそそり立ち、
 陽のぐあいで
 赤く見えたり、紫色に
 見えたり・・・私達は
 見とれた>。
その明媚な山に茂る
縄文杉をめざした人たちだ
という
◆先週末、登山者314人が
大雨による土砂崩れのため
山中に取り残された。
全員下山できたとはいう
ものの、救出のもように
肝が冷える
◆自衛隊が濁流の上に
かけた仮設の橋を渡ったり、
ロープを伝ったりしながら
命からがら下りてきた。
大雨警報が出ると入山は
取りやめになるが、発表は
18日午後3時25分だった。
早朝に出発するツアーには
とうてい間に合わない。
気象庁によると、今回もまた
近年ひどい爪痕を各地に残す
「50年に1度の大雨」という
◆その季節が来たかと
実感する。
避難するかどうかなど
経験にとらわれない判断が
必要だろう。
雨に親しむ「月35日」の
土地でも、対処に
ままならぬほどだから。
(編集手帳 讀賣新聞5/21)

雨の季節を前に、
市から「防災マップ」が
配られた。
わが家は道路を挟んだ
小学校が避難先になって
いる。

ところでその道路の補修は、
いつもアスファルトの
上塗りで厚化粧になって、
道路がわが家の庭より高く
なった。
年に何回かの大雨のときは
川になった道路から
わが家へ海辺の砂浜のように
波が押し寄せた。

退職を期に、浸水により
痛んだ家を、宅地を70aほど
かさ上げして建て替えたので、
避難先の小学校の校庭よりも
高い土地になった。

それでも避難先は小学校である。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月21日

「静かなる侵略」が巧みな中国、豪州へも日本へも  

'19年5月21日(火)

オーストラリアにとって、
最大の貿易相手国である
中国は、なくてはならない
存在である。
全人口の5.6%に当たる
約120万人もの
中国系豪州人を抱えても
いる。その一方で近年、
大変な脅威であることも
分かってきた
▼きっかけは、
野党、労働党の議員が
中国系実業家から多額の
献金を受けていたスキャン
ダルである。議員は
その見返りに、南シナ海の
領有権問題で中国政府を
支持する発言をしたことが
発覚し、辞職に追い
こまれた。
議員に献金した中国人
富豪はシドニーに
在住していたが、今年2月、
居住権を剥奪されている
▼欧米の民主主義に
かみつくかのように、
政界工作などによって
世論を誘導する中国の
対外戦略は、
「シャープパワー」と
呼ばれる。米国の
シンクタンクが名付けた。
多くの移民を受け入れ
「多文化主義」を掲げる
豪州は、格好の標的と
なってきた
▼18日に投開票された
総選挙では、与党、保守
連合(自由党、国民党)が
野党、労働党を破って、
政権を維持することに
なった。選挙前は、
親中路線の労働党が有利
と予想されていた。
それが覆った要因の一つ
として、政界工作疑惑が
生み出した「反中感情」が
挙げられそうだ
▼保守連合政権は、
安全保障上の懸念を理由に
次世代通信規格「5G」の
インフラ整備から、中国の
華為技術(ファーウェイ)の
排除を決めている。
引き続き対中警戒路線が
続きそうだ。とはいえ、
中国が手をこまねいている
とは思えない
▼昨年2月に豪州で刊行
された「静かなる侵略」は、
中国が影響力を強めている
実態を指摘して話題となった。
著者のチャールズ・
スタート大のクライブ・
ハミルトン教授は、
「中国が豪州に介入した
 手法は日本にも
 適用される」と警告して
いる。
(産経抄 産経新聞5/20)

中国にとって対外的なことも
国内問題なのであろう。
圧力を掛け続ければ、何かが
しみ出す。そこで次の手を
打てばいい。
それを狙っているのだろう。

中国資本によって
北海道が買われていること
から、中国にとって、
日本は実効支配しやすい
国になるであるろう。
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2019年05月20日

衰退する書店業界の逆襲、有料の座り読み書店が大繁盛

'19年5月20日(月)

ペットボトル以前、
缶入りの緑茶が発売された
のは1985年のことだった。
さる飲料メーカーが開発に
10年をも費やした自信の
商品は大変な苦戦を強い
られる
◆昭和の頃、お茶は
わざわざ金を払って
飲むものでなかった。
「誰が買うのか」
「絶対売れない」。
何年かは扱う店もわずか
だったとか
◆その後の隆盛を思えば、
こういった店もまたアリ
なのかと考える。
東京・六本木にできた、
入場料を要する書店である。
税別1500円、利用者、
売り上げともに想定を
大幅に上回り、入場を制限
する日があるらしい。
椅子や机が据えられて、
コーヒーは飲み放題、
とは言え、立ち読みならぬ
有料の座り読みが何故、
そこまでウケるのか
◆建築家の卵、役者、
元シェフ・・・。書棚に並ぶ
こだわりの3万冊は、
多種多様な肩書きを持つ
店員たちが選んだ。
「まとめ買いされる方が
 多い。入場料の元を取る、
 との気持ちが強いのかも」
とは店員さんの弁である
◆本を巡っての厳しい
話題が語られて久しい。
だからこそと、常識を疑い、
知恵を絞る人は少なくない。
思いの強さが書店の命脈を
つなぎ、次の愛好家を
育てるのだろう。
(編集手帳 讀賣新聞5/19)

参考
全国から来店する書店「読書のすすめ」清水克衛店長語る

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月19日

食べ物を捨てるほどの罰当たりな贅沢はない  

'19年5月19日(日)

漫画家の石ノ森章太郎
さんはトキワ荘に入居した
ばかりの頃、ひどい腹痛を
起こした。買い置きした
食料が傷んでいたのに
気づかず、食べてしまった
ためという
◆何も喉を通らないで
いたとき、
赤塚不二夫さんが
台所に立ってくれた。
すぐにご飯を炊き、
油揚げのみそ汁を作り、
漬物を包丁でさくさくと
刻んだ。じつに見事な
手際だったと、
石ノ森さんは
感謝の気持ちとともに
著書『トキワ荘の青春』
(中公文庫)に書き留めて
いる
◆好きなエピソ−ドなので
時々読み返しているが、
先日ふと思った。今の時代、
全編にわたってほぼ
あり得ない話ではないかと
◆腐りかけた食べ物も、
ご飯やみそ汁を作る手間も、
コンビニが解決している。
漬物に至ってはカットされて
いない物を探す方が難しい。
セブンーイレブンと
ローソンが示し合わせた
でもなく、値引きやポイント
還元でそろって食品ロスの
削減に取り組むニュースが
大きな話題になった
◆利用者の関心が高いのも
コンビニが生活の一部
だからだろう。廃棄食品を
ざくざくと出す場所を変える
試みは歓迎されよう。
“自分の台所”をよくしたい
と思わぬ人はいない。
(編集手帳 讀賣新聞5/18)

子どものころ、飯食い茶碗に
米粒を残したら、叱られた。
今は、次元の違う趣味期限で
食品を捨てるかどうかの
贅沢をしている。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする