2018年02月08日

三〇豪雪になるのか、いつこの大雪は溶けるのか

'18年2月8日(木)
[福井市] ブログ村キーワード

大災害が起こると、公式に
名前がつく。
東日本大震災の場合、
この名称が閣議決定された
のは発生から3週後の
4月1日だった
◆対して命名まで、
被害発生から
足かけ4か月もかかった
災害がある。
気象庁が2006年3月、
「平成18年豪雪
 (一八豪雪)」と名づけた
北陸を中心とする大雪では、
前年12月から断続的に
152人もの死者を出した。
名前があっさりしている
せいか記憶に残りにくいが、
まざまざと思い出す頃合い
だろう
◆日本海側が記録的な
大雪に見舞われている。
きのう(6日)福井市で
130aを超えた積雪は
平年の6倍超という。
常軌を逸した雪とみて
間違いない
◆危険極まりないのは
降雪の合間の雪下ろし作業
である。
一八豪雪では死者の75%が
作業中に亡くなり、
高齢者が多くを占めた。
過疎地では力仕事の担い手
である若者不足が指摘され、
単純な自然災害とは言えない
面もあった
◆高齢世帯への注意喚起は
十分だろうか。
過去、公式な災害名を残す
雪の被害は、木造家屋の
倒壊や雪崩で多数の犠牲を
出した
「昭和38年1月豪雪
 (三八豪雪)」と合わせ、
2回しかない。
「三〇豪雪」の名は
聞きたくない。
(編集手帳 讀賣新聞2/7)

JRが国鉄だった頃、
三八(さんぱち)豪雪に
見舞われた新潟には、
全国から雪かき要員が
派遣された。
鹿児島から来た職員は
雪を見て
「この雪は夏には溶けるの
 だろうか」と言ったという。
その鹿児島でも
昭和46年2月、
指宿スカイラインが2bの
積雪で通行止めになって
いる。

薩摩隼人は雪国の規模の違う
積雪量に驚いたに違いない。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

お客様は神様だが殿様では決してない

'18年2月7日(水)
[お客様は神様です] ブログ村キーワード

「お客様は神様です」と
聞くと、着物姿で
にっこりする在りし日の
三波春夫さんが浮かぶ。
ところがこのせりふ、
言い出したのは三波さんでは
なかったらしい
◆永六輔さんがご本人の
感想を著書に書き留めている。
<妙なものですねェ、私は
 「お客様は神様です」と
 いったことはありません、
 あれはレッツゴー三匹の
 皆さんが、三波の
 いいそうな言葉だと
 いうのでおっしゃった
 そうで>
(『アイドルその世界』
 文芸春秋、1983年刊)
◆漫画トリオ
「レッツゴー三匹」
といえば、
登場時に“お約束”が
あった。
「じゅんでーす、
 長作でーす、
 三波春夫でございます」
◆面長にアゴひげが
トレードマークだった
長作さんが、病気のため
74歳で亡くなった。
じゅんさんも4年前に
他界し、スポーツ報知に
よれば、三波さんの
ものまねをした正児さんは
認知症で療養中という
◆学生の昔、下宿のあった
商店街に「お客様は・・・」の
ノボリがそよいでいたのを
思い出す。
上司が言えば説教だが、
昭和のひととき、
明るく弾むような響きが
あったことは確かだろう。
先の三波さんの言葉は
<(三匹に)感謝して
 おります>と結ばれる。
(編集手帳 讀賣新聞2/6)

人口減少が続く中、
各企業とも対前年同額の
売上を維持するのは容易
ではない。

お客様は神様に違いない。

しかし、商売は対等である。
客は神様であっても、
殿様のようなわがままは
許されないはずである。
客は金を払うが、
商品やサービスの提供を
受けていることで
両者は対等である。
少なくても、外国では
そう考えられている。
外国人観光客に
日本の「おもてなし」が
喜ばれるのは、
自国とは違うからである。

参考
レツゴー三匹 

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

試練から学ぶ知恵、落ち込む心を見つめすぎない

'18年2月6日(火)    
[がん] ブログ村キーワード

エッセイスト岸本葉子
さんの特集記事

小さな落ち込みは
しょっちゅう経験するけれど、
割合すぐに立ち直る。
性格がどちらかというと
楽観的なせいだろう。
望まない事態が起きても
「ま、こういうことばかり
 でもないでしょう」と
やり過ごせる。

その楽観が通じない出来事が、
たまにある。
四十歳で経験したがんが
そうで、ご存知のかたには
「また、その話?」と言われ
そうで気がひけるが、逆境
となるとそれを超えるものを
思いつかないので、書かせて
いただきたい。

私の経験したのは虫垂がん
というめずらしいがんで、
健康診断で行う検査にはまず
引っかかってこない。
がんとわかったとき
「早期発見でよかったですね」
と言われる段階を過ぎていた。

手術で取ったが再発する
可能性もあり、治ったか
どうかは、五年過ぎて
みないとわからないという。

めずらしいがんなので
自分でも調べてみたところ、
再発したら進行が早く、
効く薬はない、とあるのを
読み、胸に何かぶつかった
と思うほどの衝撃を受けた。
再発したら残りの命は、
一年とか一年半といった
単位に限られてしまうのか。

治ったかどうかわからない
といっても、五年間
病院のベッドで寝て待って
いるわけではない。
できる治療をすべてした
からには、生活の場に戻り、
仕事を含めたふつうの
暮らしを再びはじめなくては。

もうすぐ死ぬかもしれない
のに、近所の人と笑って挨拶
なんかできるのだろうか、
取引先の人と世間話なんて
できりのだろうか。

とまどいながらも、退院すれば
待ったなしだ。
心の半分は再発不安という暗い
穴に陥ったままだったが、
それでも日々は回ることは
回るとわかった。

がんを人に言っていなかったし、
旅のエッセイも書く私。
雑誌で振られるテーマは、
骨董市で器と出会う、至福の
温泉宿といった、穴の中の
方の自分からすれば
「それどころではないもの」
が多い・・・・・・というより
ほとんどだ。

が、いざ骨董市に行くと
「ん? これよりは、
 さっきのお店の器の方が
 よいのでは」とついつい
夢中になってしまうと、
露天風呂につかれば、
五感は嘘をつかないから
「ああ、いいお湯」と
手足を伸ばし、全身で
気持よさを味わっている。

そういうとき、穴の中に
置いてきたつもりの自分も
行動をしている自分と、
いつの間にかひとつに
なっているのだ。

穴から引きずり上げな
ければと、無理しない。
素知らぬ顔で、残り半分の
自分でもって、なるべく
ふだんどおりのことをする。
その方法で気がつけば、
再発の可能性があると
いわれる五年間を過ぎていた。

それからさらに五年以上
経って、がんに関する検査は、
たまに受ける程度になって
いたが、ある日めずらしく
病院から電話があった。
検査の結果がおもわしく
なかったので、なるべく
早く来るようにと。

そのときの落ち込みは、
われながら想像外だった。
折悪しく次の日から旅の
取材が予定されていたが、
行きたくない。
病院で再検査し、結果が
出るまで、誰とも会いたく
ない。旅の間ずっとふつうの
顏で話し、足湯とか
温泉名物蒸し料理とかを
楽しむなんて、とうてい
無理。

がん後の五年間で心が
少しは鍛えられたかと
思っていたが、
これほどまでに
弱かったのかと驚いた。
がんと告げられた
わけではない、疑わしい
というだけで、
何もかも投げ出したく
なろうとは。

しかし
「がんの治療をするので」
ならまだしも
「がんかもしれないので、
 明日からの出張
 やめます」なんて、
そんな理屈は通らない。

観念して予定どおり出かけ、
行ってしまえば、ふつうに
している自分がいた。
同行者と笑顔で話し、温泉の
蒸気の噴き出し口にかごを
自分でセットする料理では、
かごの載せ方とか蓋をとる
タイミングとか、やはり
真剣になっていたのである。

強い心を持てなくていい。
半分は落ち込んだまま
放っておき、後の半分で、
あえて素知らぬふうに
ふるまう。

そうするうち、残る半分も
いつしかついてくるものだ。
二度目のがん騒動で、
私は再びそう学んだ。

幸いそのときの再検査は
異常なしで、がんから
十七回目の春をもうすぐ
迎える。
(特集 落ち込む心を
 見つめすぎない
 PHPNo.837‘18/2)


小中の同窓生が連れ合いを
亡くしている。
農繁期でもあったので
虫垂炎を我慢して、がんに
なったらしい。
受診したときは、
がんも進んで、
癒着がひどくて、手術は
できなかったという。

その後の彼は一人暮らしで
人前に顔を出すことが
少なくなっている。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

世界に広がる日本食ブーム、日本の米農家の活路にも

'18年2月5日(月)
[日本食ブーム] ブログ村キーワード

生の魚を食べたことのない
外国人には、苦行だったに
違いない。
1978年、中国のケ小平
副首相が初来日し、
同行した黄華外相の歓迎
夕食会が築地の料亭で
催された。
外相は刺し身を一切れ、
つまみ上げ、目をつぶって
のみ込んだ。同席者の
目撃談である
◆当時の中国は沿海部の
一部を除いて、魚と言えば
淡水魚で、寄生虫が
恐れられていた。
それが最近は空前の日本食
ブームで、すしや刺し身が
人気メニューという
◆2013年に約1万店だった
中国の日本料理店は、
17年には約4万店と、
外国では米国を抜いて最多に
なった。
以前は「これが日本食?」と
首をひねりたくなる代物も
少なくなかったが、
レベルも向上した。
日本を訪れ、本場の味を
知った中国人が大幅に増えた
影響もあろう
◆日中平和友好条約締結
40周年を記念して、
北京と上海の日本料理店で
日本産米を使った
特別メニューを提供し、
米のネット販売を強化する
活動が始まった
◆中国政府は東日本大震災
以降、福島など10都県産の
食品輸入禁止を続けている。
中国人の食の好みは、
ケ小平時代から様変わりして
多様になった。
規制は見直すべきだ
(編集手帳 讀賣新聞2/4)

日本食ブームは
生鮮食料品の冷凍技術の
進歩が与っている。

従弟が農地を広げて
米作りをしようとしている。
等級は寿司にするほどの
一等米である。
山形県にも美味しい米は
あるだろうからと、
ブランド名は
「神崎よねざわ米」だ
そうで、
町村合併前に米沢村と
呼ばれた地域で収穫される
米である。
試供品をもらって食べたが
光沢があって
少し水を多めに炊くと美味
しい。寿司屋に
「採算が合わないから」と
取引を断られた代物である。
「外国の富裕層に食べて
 もらったら」と言って
おいたが・・・。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

認知症発症前検査法の開発、あの田中耕一さんが関与

'18年2月4日(日)
[アルツハイマー病] ブログ村キーワード

認知症で最も多い
アルツハイマー病の原因
物質の脳内への蓄積を、
わずかな血液で調べることが
できる検査法を開発したと、
国立長寿医療研究センター
(愛知県大府市)と
島津製作所(京都市)の
研究チームが発表した。
調べるのは
「アミロイドベータ(Aβ)」
というたんぱく質で、
発症の20年ほど前から
脳に徐々に蓄積するとされる。
簡便な検査法ができたことで、
発症前の人を対象にした
根本的な治療薬の開発を
促進するものと期待される。

研究論文が、1月31日付の
英科学誌ネイチャー(電子版)に
掲載された。

Aβの検査は現在、
1人あたり十数万円〜数十万円
かかる特殊な脳画像検査や、
背骨の間に針を入れて
脳脊髄液を採取する検査法が
用いられている。
費用や体への負担が大きく、
大規模な研究が難しい
原因にもなっている。

Aβは血中にわずかな量しか
含まれておらず、
血液検査で調べるのは
難しいとされてきた。
研究チームは、Aβの蓄積に
よって変動する複数の
関連物質の比率から脳内の
蓄積の度合いを推定する
技術を開発し、わずか
0.5tの血液で測定できる
方法を確立した。

アルツハイマー病は、
無症状だがAβが徐々に蓄積
する段階を経て、
軽度認知障害(MCI)、
発症へと進む。研究チームは、
オーストラリアにある
世界有数の認知症研究組織と
連携。
健康な人を含む60〜90歳の
日本人121人と
オーストラリア人111人を
対象に、血液検査と
脳画像検査を行い、結果を
比較した。
両国とも約9割で一致し、
Aβの有無を正しく判定できた。

同センターの柳沢勝彦・
研究所長によると、
アルツハイマー病の根治薬の
研究は近年、発症前段階を
対象としている。
簡単な血液検査で対象者を
選び出せることで、
研究の加速が期待できるという。
さらに、
「治療法が開発されて
 社会の合意が得られれば、
 発症前の高齢者検診に
 生かせる可能性もある」
としている。

研究チームの一員で
2002年にノーベル化学賞を
受賞した島津製作所シニア
フェローの田中耕一さんは
「医療・創薬に役立つものを
 作りたいと研究を続けて
 きたが、私たちの開発した
 分析技術が、認知症薬
 研究への活用が見通せる
 ところまで来たことは
 感慨深い。
 もうひと踏ん張り
 しなくてはと思う」と話す。
(略)
(讀賣新聞2/1 1面トップ)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする