2017年10月02日

高いものを見上げて人生の設計図を描いているか

'17年10月2日(月)    
[通天閣] ブログ村キーワード

常に私は通天閣を仰いで
自分の人生の設計図を
描いていた

藤本義一の言葉(1987年)

通天閣108b。
上って街を見下ろすか、
下から見上げるか。
直木賞作家の藤本義一は
後者を好んだ。

台本を手がけた舞台や
映画には通天閣が
登場するが、
若いころ上がったことは
ほとんどなく、
もっぱら足元の繁華街、
大阪・新世界にいたらしい。
塔の30年誌に
「常に私は通天閣を仰いで
 自分の人生の設計図を
 描いていたことになる」
と書いている。

塔は2代目だ。
明治期に建った初代は
戦時中、火災で焼け解体
された。
新世界の商店主らが
なけなしの金を集めて
再建したのが
「もはや『戦後』ではない」
と経済白書がうたった
1956年。藤本は学生だった。

妻の統紀子さん(82)が
結婚前に連れていって
もらった新世界は、
荒々しい労働者の街という
風情だった。
串カツ屋の勘定は、
食べた串の数。
ごまかそうと客が
足元に落とした串も、
店主は涼しい顔で数えて
いた。
多少のインチキはさらりと
かわす、たくましさと、
おもしろさ。

「新世界は、人生で
 何かをつかもうとする
 若い男の子が
 粋がって行く場所でした」

藤本は、スリの一家や
貧しい芸人長屋など、
体を張って地べたに生きる
人々を描いた。
テレビの人気司会者になり
直木賞を取っても、
塔の行事に協力するなど
縁は続く。
99年、通天閣のロゴの
揮毫(きごう)
頼まれたときは本当に
うれしそうだったという。

5年前に藤本が逝く。
今年は61周年になる塔は
といえば、周囲に
高い建物ができて随分
小さくなった。
「あべのハルカス」
(300b)からはおもちゃ
みたいに見える。
新世界も、今や家族連れや
大勢の外国人観光客が
詰めかける変貌ぶりだ。

高みから世間を見晴らす
ぜいたくに
慣れてしまっても、
飾り気のない鉄骨の下に
立てば、
皆で何かを仰ぎ見た時代の
気分がよみがえる。

「アッチが大阪城です!」

てっぺんの屋外展望台では、
本業の身入りが少ない
若手芸人が交代で案内に立つ。
18歳で香川から来た
ピン芸人福神(ふくがみ)
よしきさん(27)が
「暑いっす。日焼け止め
 塗りまくりっす」
と汗をぬぐった。
四苦八苦で夢に手をのばす
人がこの街によく似合う。
(文・森川暁子)
(名言巡礼 地べたから見上げた夢
 讀賣新聞10/1 日曜版1面)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

良き指導者と本人の研究心と、成功には不可欠

'17年10月1日(日)
[野村克也] ブログ村キーワード

「私のプロ野球80年史」
 ――野村克也氏

選手時代は
通算本塁打数が歴代2位の
657本、
監督時代はデータ重視の
「ID野球」で数々の
成果を上げた球界屈指の
名将が、自分の80年の
人生を振り返った。
「私の人生はほぼ
 日本のプロ野球の歴史と
 重なる。振り返ることで
 野球界への提言にもなる」
と語る。

経歴だけ見ると
華やかな野球人生に
思えるが、京都の
貧しい母子家庭に育った
苦労人だ。
「当初は野球選手になる
 つもりはなく、歌手や
 俳優にも挑戦した。
 早くお金を稼いで
 母を楽にしたかった」。
苦しい家計の中、
野球選手への道を
後押ししてくれた
母との思い出も本書に
盛り込んだ。

偶然新聞で
南海の入団テストの
知らせを見つけて応募。
当初は1軍の戦力外
である「ブルペン捕手」
とみなされていたが、
逆境をバネに猛練習を重ね、
正捕手の地位を得た。
65年に初めて三冠王に
なったときは、母が
一番喜んでくれた。
「母がいなかったら
 私の野球人生はない」
と感謝する。

監督としては
南海時代の選手兼監督に
加え、ヤクルト、阪神、
楽天で指揮を執った。
いずれも「弱小球団」
ばかり。
相手のクセやデータを
分析し、格上のチームを
倒した。
あらゆる手段を駆使して
敵チームの選手からも
弱点を聞き出した逸話は
興味深い。

スーパースターだった
巨人の王・長嶋に対して
自らを「月見草」と
自嘲するなど
「アンチ巨人」の印象が
強いが、もとは
川上哲治さんに憧れた、
熱烈な巨人ファン。
「川上監督が率いた
 V9時代の巨人は
 従来の精神野球ではなく、
 データ重視の
 メジャーリーグ戦法を
 持ち込んだ。
 私のID野球の原点も
 ここにある」

今の球界は
「監督のレベルが下がった」
と感じる。
「監督は
 知名度やスター性でなく、
 いかに選手を
 育てられるか。
 野球哲学が必要」。
目下気になるのが
「二刀流」の大谷翔平選手。
「すごい才能。私だったら
 どう育てるか。
 つぶしたら
 監督の責任だな」。
監督時代、代名詞となった
「ボヤキのノムさん」は
健在だ。
(小学館・1500円)
(あとがきのあとがき
 日本経済新聞9/30
 29(読書)面)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

誰の責任でもない、有権者が政治を決めている

'17年9月30日(土)
[解散] ブログ村キーワード

街が秋色を帯びてきたから
だろう。落ち葉に彩られた
豆狸(まめだぬき)の噺が
妙に恋しい。
昭和の昔、桂米朝さんが
初演した落語『まめだ』
である
◆傷ついた豆狸が少年の
姿をして薬屋を訪れる。
銀杏の葉を一銭に変え、
貝殻に入った
膏薬(こうやく)
買いながらも
用法を誤って命を落とす。
寺院でむくろをみた
薬屋の嘆きが切ない。
「体へ、貝殻のまま
 ひっつけて、
 効くわけないやろ。
 ちょっと言うたら
 教(おせ)たったん
 やがな・・・」
◆人情噺はさておいて、
豆狸よりも古狸や大狸が
目立つのが政界である。
不意打ち、新党、
捨て身の抱きつきと、
虚々実々の攻防を
繰り広げた末、衆院が
解散された。
晩秋の選挙となる
◆直前まで解散の影も
なかったからか、
突貫工事の公約づくりが
どうも心もとない。
首相が「国難」と位置づける
少子高齢化への処方箋に
しても、どこか
バラマキの色彩がないか。
消費増税に向き合わない
野党の姿もある。
患部に正しく効く膏薬
ならぬ公約を、しっかり
提示してもらいたい
◆有権者も、
中身を吟味して
良薬と用法を見極めねば
なるまい。
人口減社会の未来を
どうひらくか。
難題に答えを出すべき
政治の季節である。
(編集手帳 讀賣新聞9/29)

周辺国は御しやすい
政府の誕生を望んでいる
だろう。
そのためには、政治工作
だってありうる。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月29日

国家を、政権を守るために、あらゆる手段を講じる

'17年9月29日(金)    
[刺客] ブログ村キーワード

建物の周囲にめぐらされた
要塞を思わせる高塀は
メキシコ中部を襲った
マグニチュード(M)
7.1の地震でもびくとも
しなかった。
メキシコ市にある
トロッキー博物館で
受付の女性に聞くと、
「何も問題なかったわよ」
と笑った。

ロシア革命の指導者の一人、
トロッキー
(1879〜1940年)が晩年の
1年間を過ごした家が
そのまま博物館になって
いる。
ソ連から国外追放された後、
各国を流浪した末に
メキシコにたどりついて
いたトロッキーを暗殺
したのは、
政敵の粛清を続ける
スターリンが放った刺客と
される。
高塀はその3カ月前に
あった銃撃を受けて
設けられた。

トロッキーの頭に
ピッケルが振り下ろされた
書斎も残されている。
穏やかな光が注ぎ込む
部屋と暗殺の凄惨さが
どうしても結び付かない。
地震で生き埋めになった
とされる架空の少女の
「フリーダ」という名も、
トロッキーが不倫関係に
あったメキシコを代表する
画家フリーダ・カーロから
取られたのではないかと
勝手に想像した。

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党
委員長の兄、正男氏の
暗殺を例に引くまでもなく、
自らの権力のため手段を
選ばない国家指導者は後を
絶たない。
震災取材を終えて
ワシントンに帰る前の
ひととき、
地球の裏側まで刺客を
送る独裁者の残忍さに
思いをはせた。
(加納宏幸)
(外信コラム ポトマック通信
 産経新聞9/28 9(国際)面)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

人民一人残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ

'17年9月28日(木)
[慰安婦像] ブログ村キーワード

江戸幕府の軍艦
「咸臨丸」が太平洋を
横断して
米サンフランシスコに
到着したのは、1860年で
ある。
「着くやいなや土地の
 重立(おもだ)ったる
 人々は船まで来て祝意を
 表し、これを歓迎の始め
 として、陸上の見物人は
 黒山の如(ごと)し」

▼乗組員の一人だった
福沢諭吉は、
市民の熱狂的な歓迎ぶりを
『福翁自伝』に記している。
諭吉は、建国の父、
ワシントンは現地では
徳川家康のような存在だと
信じていた。
ところがその子孫について
誰も気にとめていない。
「これは不思議」とも
回想している

▼日本人が最初に
西欧文明に出合ったと
いえる街である。
ここにも、おぞましい
慰安婦像が設置された。
中国系民間団体が主導した
ものだ。
韓国にある像と違い、
背中合わせに立つ女性
3人が手をつないでいる
デザインらしい。
「日本軍に性奴隷にされた
 数十万人の女性や少女の
 苦しみの証拠」などと、
事実無根の碑文もついて
いる

▼韓国以外では4年前、
同じカリフォルニア州の
グレンデール市で初めて
慰安婦像が建てられた。
姉妹都市である
大阪府東大阪市に対する
裏切り行為である。
米国在住の日本人らが
撤去を求めて訴訟を
起こしたが、今年3月に
敗訴が確定した

▼全米有数の大都市に
設置されると、影響力は
はるかに大きくなる。
今年サンフランシスコ市と
姉妹都市となって
60周年を迎える大阪市と
しても、
黙っていられない。
サンフランシスコ市が像の
寄贈を受け入れ、公有地に
建つことになれば、
姉妹都市の関係を解消する。
吉村洋文市長は明言した。
当然の措置である

▼諭吉は
『学問のすすめ』で喝破
している。
「国の恥辱とありては
 日本国中の人民
 一人も残らず命を棄てて
 国の威光を落とさざる
 こそ、一国の自由独立と
 申すべきなり」
(産経抄 産経ニュース9/27 05:04)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする