2017年06月12日

イラクを追われた「イスラム国」が世界に拡散している

'17年6月12日(月)
[イスラム国] ブログ村キーワード

イスラム過激派組織
「イスラム国」の
重要拠点、イラク北部
モスルに対する
イラク軍の奪還作戦が
最終局面を迎えている。
米軍主導の有志連合
などによる軍事作戦に
加え、「イスラム国」の
住民に対する過酷な
支配が組織の弱体化に
つながっているようだ。
(イラク北部アルビル 本間圭一)

「イスラム国」は、
欧州や東南アジア
などでのテロを活発化
させている。
イラクやシリアの
支配地で受けている
軍事攻撃に
報復するとともに、
勢力を拡張する狙いが
指摘される。

フェルトマン国連事務
次長は8日、
「『イスラム国』は
 組織を再編し、中東の
 紛争地以外での攻撃に
 重点を置くように
 なった」と指摘した。
前線の司令官に大きな
権限を与え、
攻撃しやすいように
しているという。

「イスラム国」は、
イラク北部モスルだけ
でなく、「首都」と
位置付けるシリア北部
ラッカでも、米主導の
有志連合の攻勢で後退
している。
少数派クルド人主体の
民兵組織
「シリア民主軍」が
ラッカ市の数`手前まで
迫り、市内入りも近い
と伝えられる。

一方、最近頻発する
テロ事件で犯行声明を
出している。
英国では5月下旬以降、
中部マンチェスターで
22人が死亡した自爆テロ
や、首都ロンドンで
車が暴走し8人が死亡
したテロが起こった。
インドネシアの首都
ジャカルタでは
自爆テロで警察官3人が
殺害され、フィリピン
南部では、政府軍との
交戦で少なくとも
市民19人が死亡した。

有志連合に参加する
欧州主要国には、
中東系移民を中心に
過激思想への共鳴者が
多く、「イスラム国」が
インターネットなどで
攻撃を呼びかけている。
アジアでは、30以上の
過激派組織が
「イスラム国」に
忠誠を誓い、支部を
作る動きもある。
仮にモスルが陥落しても、
別の戦線で活路を
見いだせるとの読みも
ある。

ヨルダン大学戦略
研究所のムハンマド・
アブルーマン
研究政策部長は、
「多くの支配者や
 協力者を抱える国では
 今後、テロ事件が
 増える可能性が高い」
と指摘した。
(エルサレム 金子靖志)
(スキャナー 讀賣新聞6/11
 3(総合)面)

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2017年06月11日

梅雨どきの長寿の花アジサイだが、雨が降らない

'17年6月11日(日)    
[アジサイ] ブログ村キーワード

「朝の詩(うた)」の欄に
アジサイをテーマにした
作品が登場すると、
そろそろ梅雨の季節である。
今年も例外ではなかった。
「紫陽花は雨の中 
 ただただ静かに 
 その身を濡らす」。
今月3日に掲載された、
「紫陽花のような」の一節
である。作者は、雨に
打たれながらもけなげに
咲く花に、自らの人生を
重ねていた

▼日本原産のアジサイは、
もともと「あづさあい」と
呼ばれていた。
「あづ」は集まる、
「さあい」は藍色を意味
して、青い花が集まった
様子を表している。
唐代の中国の詩人、
白楽天が「紫陽花」と
名付けて、漢字表記が
日本に伝わった。
実は白楽天が
(め)でたのは別の花
だったらしいが

▼アジサイはかつての
日本では、それほど人気の
ある花ではなかった。
理由の一つが、白から赤や
青に次第に花の色を変えて
いく特徴である。
「七変化」の別名があり、
心変わり、無節操に通じると
されていた

▼万葉集には、アジサイを
例に引いて人に欺かれた
ことを嘆く、大伴家持
(おおとものやかもち)
歌がある。明治になっても、
正岡子規は、
「紫陽花やきのふ(昨日)の
 誠けふ(今日)の嘘」と
詠んでいる。
アジサイのイメージが
プラス方向に変わったのは、
戦後になってからだ

▼アジサイの色が変わるのは、
細胞に老廃物がたまる、
いわゆる老化が原因だと
いう。もちろん他の植物も
同じように老化する。
アジサイほど目立たない
だけだ。何より花の寿命が
極めて長いために、
色の変化をたっぷり楽しむ
ことができるというわけだ
(『アジサイはなぜ
  七色に変わるのか?』
  武田幸作著)


▼「花の命はけっこう長い」
とテレビCMでも歌われて
いる。年齢を重ねても、
別の魅力を発揮できる。
長寿社会で、アジサイが
もてはやされるのも当然
かもしれない。
(産経抄 産経ニュース6/9 05:04)

水を好む花として理解して
いるので、水やりは念入りに
している。
梅雨時の花なのに
雨がふらないので可哀そうに
思う。

参考
 朝の詩
  1面の新聞名
  (産経新聞)の左側に
  設けられた詩の投稿欄
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月10日

渡る世間は鬼ばかり、なのかもしれないが・・・

'17年6月10日(土)
[自転車] ブログ村キーワード

事故仲裁の男子生徒に
 感謝

中学1年生の娘が
泣きながら帰宅してきた。
訳を聞くと、
自転車同士で出合い頭に
ぶつかり、
相手の男性にひどく
怒られたという。
男性の自転車のスポーク
などが曲がってしまい、
謝っても「お金を払え」と
許してくれなかったそうだ。

泣きそうになっていると、
高校の男子生徒がやって
きた。
「今、見てましたけど、
 両方悪いと思います」。
そう話すや、
男性の自転車を
ひょいと持ち上げ、
近くの自転車店へ。
店員さんは曲がった個所を
無料で直してくれた。
男性も怒りを鎮め、
帰っていったという。

男子生徒も
修理を見届けると
立ち去った。
帰宅した娘は
自分の不注意をかなり
反省し、しょげていた。
同時に、そこまでして
くれた男子生徒に感激も
していた。
彼の優しさと行動力に
助けられたのだ。
自転車店にお礼を言いに
行った。
どうやら近くの高校の
生徒さんのようだ。

ブルーのシャツの大きな
お兄さん、あなたの
おかげで、娘はたくさんの
ことを学びました。
本当にありがとうござい
ます。
(千葉市・小野まどかさん
 ぷらざ 讀賣新聞6/9
 17(くらし)面)


保険会社の側からみると、
自動車事故の責任割合に
10:0はないという。

さて、現在、
自己主張はするが、
謝ることや礼をいうことが
苦手な若者が多い気がする。

隣に住む孫が
友達を連れてきて、
電話を貸してほしいと
いう。
自宅に車で迎えの要請を
していたが、
本人からの礼の言葉は
なかった。

社会の“潤滑油”が
なくなってしまって
いる。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月09日

中学生だってベテラン、この道10年のキャリアがある

'17年6月9日(金)
[卓球] ブログ村キーワード

全国の子供将棋教室に、
入会申し込みが殺到して
いる。
もちろん、23連勝中の
藤井聡太四段の活躍による
ものだ。
卓球場に通う子供たちも、
急増しているのではないか

▼世界選手権で日本選手は、
石川佳純、吉村真晴組の
混合ダブルスの金をはじめ、
メダル5個を獲得した。
リオデジャネイロ五輪を
上回る成績である。
13歳の張本智和選手の
快進撃にも目を見張った。
ただ、かつての
「卓球ニッポン」の実力は
こんなものではない

▼世界選手権の団体戦で
男子は1954年大会から
5連覇、女子は57年から
4連覇を達成している。
シングルスでも、
後に国際卓球連盟会長を
務める荻村伊智朗選手らが
世界王者に輝いた。
もっとも60年代に入ると、
中国の台頭を許し
長い低迷期に入る

▼街の卓球場では閑古鳥が
鳴き、「卓球はネクラ」と
タモリさんのギャグにも
なった。
当時、日本卓球協会の
幹部だった荻村さんは
これに発奮、改革に
乗り出した。
ルールを改正し、
ユニホームを明るい色に
するなどイメージアップを
図る。
同時に若手育成に努めた
成果が、ようやく実を
結んだ

▼日本初の卓球人は
夏目漱石だった。
英国留学中の
1901年3月の日記に、
「夜ロバート嬢ト
 ピンポンノ遊戯ヲナス」
との記述がある。
昨年刊行された
『卓球アンソロジー』
(田辺武夫著、近代文芸社)は、
こんな興味深いエピソードが
満載である。
94年のアジア大会で、
荻村さんが
監督、コーチ陣に送った
激励のメッセージも収録
されている

▼「一歩一歩確実に
 世界制覇を実現するよう、
 お願いします」。
病床にあった荻村さんは
2カ月後、62歳で亡くなった。
中国を倒して、世界王座を
奪還する。
3年後の東京五輪が、
荻村さんの悲願を果たす
舞台となる。
(産経ニュース6/8 05:03)

中学生で驚いては
いけない。
4歳から始めれば
この道10年のベテラン
である。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

わが子の助けを呼ぶ声がいつまでも親の耳に聞こえる

'17年6月8日(木)    
[わが子] ブログ村キーワード

歌人の窪田空穂(うつぼ)は、
瓦礫の野と化した東京の
街をさまよい歩いた。
1929年(大正12年)9月、
関東大震災の直後である
◆娘を亡くした被災者に
出会ったらしい。
悲痛な一首を詠んでいる。
<梁の下になれる娘の
 火中より助け呼ぶこゑを
 後も聞く親>。
わが子の残した最後の声で
ある。
親の耳から消える日は
あるまい。
何の災害であれ、事故であれ、
そういうものだろう
◆長野県下諏訪町の会社員、
河西勝基(かつき)さん
(21)の記事を読んだ。
今月3日、富山県立山町の
北アルプスに小型飛行機が
墜落した事故で亡くなった
4人のうちのお一人である
◆自宅に電話があった。
飛行機が墜落したこと、
警察に連絡したこと、
機体に挟まれて身動きが
できないことを、父親の
均さん(55)に伝えた。
「おやじ、俺、絶対に
 生きて帰るから」。
その言葉を最後に通話は
途絶えた。
“後も聞く親”がここに
いる
◆<焼け野の雉(きぎす)
という。
巣のある野を焼かれた
キジは、わが身を忘れて
子を救いに戻ると、
語り伝えにある。
いますぐ、息子のもとに
飛んでいく翼をください。
沈黙した受話器を
握りしめて、その人は
天に祈ったことだろう。
(編集手帳 讀賣新聞6/7)

道の駅発酵の里こうざきで
軽飛行機が休憩エリアの
平らな屋根に展示されていた。
操縦室のスペースからみて
一人乗りだろう。
垂直尾翼を動かすワーヤーが
細くて心細い。

平野を飛ぶには
結構だろうが
山を越えるのはどう
だろうか。

軽飛行機が高い山を
越えるときは、
手前で旋回しながら
十分な高度になった後、
その山を越えるべきだと
思う。

山の気流が
時々、航空力学を複雑にする
気がする。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする