2019年07月09日

日本プロ、勝った石川遼が「ゴルフって不思議ですね」

'19年7月9日(火)

<男子ゴルフ:
 日本プロ選手権>
 ◇最終日◇7日◇鹿児島・
 いぶすきGC
 (7150㍎、パー70)

石川遼(27=CASIO)が、
驚異的な粘りで記憶に残る
優勝を飾った。
16年8月のRIZAP・KBC
オーガスタ以来、3年ぶりの
ツアー通算15勝目。
プレーオフを制した石川は
声を震わせ、優勝インタ
ビューに臨んだ。
「(優勝は)信じられない
 気持ちです。
 本当に長かったなという
 気持ち。途中で僕の
 優勝はないと思った人が
 いたかもしれないけど、
 本当に応援してもらって
 挑戦者の気持ちで
 チャレンジしようと
 (気持ちを)もっていけた。
 (優勝で)できるんだな
 と実感できた。本当に
 いい経験になった。
 自分が(優勝して)ここに
 立っていることが信じられ
 ない。夢なのかなと。
 (優勝を)遠く感じて
 いたけど戻ってこれた。
 先週優勝した星野選手に
 勝てたことはいい自信に
 なる」と感無量の様子
だった。

九州南部で続いた記録的な
大雨の影響で、最終日は
決勝の2ラウンド(R)分と
なる過酷な36ホールでの
戦いになった。
午前8時。首位から出た
石川は第3Rの前半に
2連続ダブルボギー、
後半にも11、12番で連続
ボギーをたたき、一時は
20位前後まで大きく後退
した。
しかし、優勝が絶望的かと
思われた時点から、驚異の
追い上げを見せた。
第3Rの残り3ホールで
3連続バーディー。首位と
4打差6位で第3Rを終了。
コース上の気温は36度まで
上昇。
そのまま続いた第4Rで、
石川は同組の黄重坤
ハン・ジュンゴン、韓国)
と激しいV争いへと持ち
込んだ。
36ホールの長丁場。
残り2ホールとなった
17番パー3で、黄重坤が
ティーショットを池に
落として痛恨のダブルボギー。
石川はパーとし、ついに
通算12アンダーの首位で
並んだ。
勝負は最終18番パー5へ。
一騎打ちとなった石川、
黄重坤ともにバーディーを
奪って13アンダー。
そのまま“37ホール目”となる
プレーオフに突入した。
プレーオフ1ホール目パー5。
石川、黄重坤ともに2打目で
グリーンをとらえイーグル
チャンス。ロングパットを
決められなかった黄に対し、
石川は見事にイーグルを
沈めて右手で豪快にガッツ
ポーズ。大声を上げて
喜びを体現。涙をぬぐった。
(日刊スポーツ7/7 19:25)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月23日

土俵の怪我は休まずに土俵で治せ、と初代横綱若乃花 

'19年5月23日(木)

昭和の大横綱、
初代の若乃花に名言がある。
<土俵のけが土俵の砂で
 治していくんですよ。
 けがをするたびに
 休んでいたんでは
 勝負師にはなれません>
◆砂にすべてが込められて
いる。土俵に転がり、
肩や背中にへばりつく
砂が真に強い力士を育てて
いく――。
大相撲の三月場所を思い
出す。大関の地位に
ありながら砂にまみれた
力士がいる。栃ノ心である
◆右ひざの故障で力が入ら
ないのか、突き落とされ
たり、寄り切られたりで
負け越し、大関の座から
陥落した。ところが関脇
として臨んだ五月場所では
連日、体がよく動いて
元気な相撲を見せている
◆きのう(21日)も
御嶽海をぐいぐいと
寄り切り、9勝1敗。
大関復帰の条件10勝が
現実味を帯びてきた。
再昇進できれば2005年の
栃東以来となる。
その地位を失った力士の
ほとんどが越えられ
なかった急峻な崖を
登り切ろうとしている
◆ひざの痛みとの
付き合いは長い。
一時は幕下55枚目まで
落ち、そこから大関へ。
そして今また若乃花の
遺訓を体現するかのように
砂だらけの体で大関取りを
めざす。この復活力に
ときめく相撲ファンは多い
ことだろう。あと一番。
(編集手帳 讀賣新聞5/22)

体重を増やせば、前に出る
圧力となって、
相撲に有利な材料となる
だろう。しかし、
叩かれたり、いなされたり、
投げを打たれたりすれば、
崩れた体勢を立て直すことが
難しくなる。

怪我をしにくい体は
相撲の取りやすい体であり、
稽古のしやすい体だと思う。
体重のある力士にとって
ひざの怪我はひざを
庇いながら相撲を取る
ことになり、相撲人生の
致命傷になりかねない。

ひざの怪我はあったが、
踏み止まることができた
栃ノ心の引き締まった体は
動きやすく、相撲に
ふさわしい体のような
気がする。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

稀勢の里君が何とかせにゃいかん、と言われ続けて

'18年11月16日(金)
[稀勢の里] ブログ村キーワード

大相撲九州場所4日目
(14日・福岡国際センター)

今場所初めて
稀勢の里に上がった軍配は、
物言いの末に差し違え。
非情とも言える結末に、
館内にまたも悲鳴が響き
渡った。

立ち合いから右を抱え、
生命線の左をのぞかせながら
押し込んだ。だが、土俵際で
粘り腰を見せた栃煌山に
右からすくわれて体勢が崩れた。
最後は徳俵を蹴って跳ぶように
土俵を割った栃煌山より、
稀勢の里の左肩が落ちるのが
一瞬早かった。

いいところがなかった
3日目までに比べ、今場所
初めて右を使った攻めで
主導権を握ることができた。
だが何より結果が求められる
中では、気休めにもならない
だろう。
八角理事長
(元横綱・北勝海)は
自身の経験を踏まえ
「調子が悪い横綱だと、
 相手は残せる気持ちになる」。
負の連鎖を断ち切ることは
できなかった。

横綱として87年ぶりの
初日から4連敗、さらに
自身3度目となる
3日連続金星配給は、
ともに大相撲史に残る
不名誉な記録だ。
過去に
4連敗スタートから
勝ち越した横綱はおらず、
置かれた状況の厳しさを
示している。

一人横綱としての務めを
必死に果たそうとする姿に
大声援が飛ぶ一方、
「また負けたら引退だろう」と
ささやくファンがいたのも
事実。
これ以上負けがこめば、
先場所の10勝で脱した
進退の危機さえ再燃しかねない。
綱の重みを考えれば休場して
立ち止まり、精神面も含めて
再度立て直すのが現実的な
選択肢ではないか。
この日も無言で場所を後にした
稀勢の里の胸中はどうだろうか。
【野村和史】
(毎日新聞11/14 21:05)

稀勢の里は5日目から休場した。
先場所はどっしりとした下半身で
10勝したが、
今場所は下半身がもろい。
場所前、回復した上半身を
生かす稽古に専念し、
下半身の稽古をおろそかに
したのではないか。

稀勢の里に怪我をさせたのは
日馬富士だが、暴行事件で
引退を余儀なくさせられた
冷たい角界を困らせようとの
彼の怨念だろうか。

大相撲隆盛のためには
次のスターが誕生するまで
「稀勢の里」がなんとか
しなければならないだろう。
タイトルは川柳から借りた
ものである。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月13日

Show timeを盛り上げた大谷翔平がア・リーグ新人王

'18年11月13日(火)
[大谷翔平] ブログ村キーワード

米大リーグの
最優秀新人(新人王)が
12日発表され、
エンゼルスの大谷翔平選手
(24)がア・リーグ新人王に
選出された。
日本選手では1995年の
野茂英雄投手(ドジャース)
2000年の佐々木主浩投手、
01年のイチロー外野手
(以上マリナーズ)以来、
17年ぶり4人目の快挙となる。

受賞の知らせを受け、大谷は
「1年目で取れてすごく
 うれしい。
 応援してくれた方にとっても
 すごくうれしいことだと
 思うので良かった」と
喜びを語った。
今季、プロ野球日本ハムから
ポスティングシステムで
大リーグに移籍した大谷は、
新天地でも投打の二刀流で活躍。
打者として打率2割8分5厘、
22本塁打、61打点、10盗塁、
投手としても10試合に先発して
4勝2敗、防御率3.31の成績を
残した。
同一シーズンにおける
「10試合登板、20本塁打、
 10盗塁」はメジャー史上初
だった。

新人王は全米野球記者協会
会員の30人の記者が、
1〜3位に投票する方式で決定。
ア・リーグは大谷と
ヤンキースの
ミゲル・アンドゥハー、
グレイバー・トーレス
両内野手の3人が最終候補に
残っていた。
大谷は1位(5点)25票、
2位(3点)4票の合計137点で
圧倒的に支持された。
次点は5人から1位に投票された
アンドゥハーで合計89点だった。
アンドゥハーは打撃3部門
すべての成績
(打率2割9分7厘、27本塁打、
 92打点)で大谷を上回った。
東地区2位のヤンキースが
プレーオフまで進んだのに対し、
エンゼルスは西地区4位に
終わったことも
選考に影響するとも
みられたが、全米でベーブ・
ルース以来の本格的な二刀流の
活躍が大きく評価された。
(日経新聞nikkei.com11/13 8:52)

参考
MLBのルーキー資格
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posted by (雑)学者 at 11:41| 千葉 ☁| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月11日

勝ちたいなら自分の力で勝て、という指導方針

'15年4月11日(土)
[柔道] ブログ村キーワード

柔道家篠原信一氏のこと
である。勝つためには
何が必要かを語っている。
一般の人の生き方にも
参考になると思うのだが。

〈柔道男子日本代表の
 監督として臨んだ
 平成24年のロンドン五輪。
 男子は金メダル「0」
 (銀2、銅2)という
 結果に終わった〉

金がゼロだったと批判され
ましたが、柔道男子の
メダル数でいったら、
20年の北京五輪(金2)より
多いし、16年のアテネ五輪
(金3、銀1)と同じでしょ。
ただ、金がなかった…。
紙一重のところで金に持って
いけなかったことが悔しいし、
反省しています。

〈監督としての
 指導方法などに対する
 逆風も吹いた〉

そもそも、自分は
「勝ちたかったら自分で
 やれよ」という指導です。
「精神論主義」などの批判も
あったけれど、
実際、自分はそうやってきた。
「センス、才能は
 お前らの方があるのに、
 なぜ勝てないのか。
 なぜ勝てる稽古をしない
 のか」。そう思っていた。

稽古は厳しかった。でも、
選手の所属する
企業、大学は代表選手を
かわいがる。
どこかが痛いと言えば、
すぐに「休め」となる。
だから
「所属が入ってくるな」とも
言いました。そうすると
「所属の監督と
 密にやり取りをしない」
「自分勝手で、うるさい」と
いわれた。
甘やかして勝てるなら勝てよ、
成績を残せよという感じです。
前へ
今それを説明しても言い訳に
なるけれど、例えば、勝負は
最終自己判断がないと勝てない。
自分の思いはそういうことです。
ただ、自分が指導者として
勉強不足だったことは
選手たちには申し訳ないと
思っています。

自分は怒鳴ってばかりいる
イメージがあるのでしょう。
でも、試合に負けて
怒ったことはありません。
試合の負け方に怒る。
ポイントをとって
残り1分となったとき、
勝っているからと
下がることは許せない。
逆に勝っているのに
ガンガン攻めていると、
「おいおい、なんで無理して
 技かけてんねん!?」と
いうこともある。
それでも、攻めているの
だから怒らない。
「よう攻めた。ただ、
 少し流れを見ろよ」と。

怒るのも期待しているからで
あって、選手に本来の力を
出してもらいたいから、
次につながるいい試合をして
もらいたいからなんです。

〈幸世夫人と3男1女の
 6人家族。
 子供たちに柔道を教えた
 ことはない。ただ、
 根底にあるのは同じ。
 「自分でやる」という
 ことだ〉

自分の父親は
「勉強しろ」とか、
何も言わない人でした。
今の自分はその父親、母親の
教育方針にプラスアルファ
ですね。プラスの部分は
「最低限、宿題はしろよ」かな。

長男、次男、三男は柔道を
やっていますが、自分は
教えたことがありません。
全て道場の先生に任せて
います。先生は礼儀を重視し、
あとは楽しくという教え方
です。
息子が勝とうが負けようが、
楽しく稽古に行けばいい。
もし本当に強くなりたかったら、
自分で頑張ればいいのだから。
「勝ちたければ
 自分で稽古しろ」という
ことです。(聞き手 大谷次郎)
話の肖像画 柔道家篠原信一(42)5
 「勝ちたければ自分でやれ!」
 産経新聞4/10 6(オピニオン)面)


篠原氏の指導方針は
自身の苦い経験が影響して
いる。

誤審問題が影響

シドニー五輪100kg超級
決勝で、フランスのダビド・
ドゥイエと対戦した際に、
ドゥイエが内股を
仕掛けてきたのに対して
篠原は内股すかしで返した。
これに対して、主審は
ドゥイエの有効と判定。
副審の一人は篠原の一本と
判定したものの、
もう一人の副審が主審の
判定を支持したため、
ドゥイエに
有効が与えられた。
選手団監督の山下泰裕は、
審判委員から審判団の
再協議を申し出られたにも
かかわらず、フランス語の
分からない山下はそれに
気づかず試合の継続を
許してしまった。
その後、ドゥイエが注意を
受けたことにより、
篠原に有効が与えられ
両者のポイントが
並んだが、さらにその後、
ドゥイエが再び技で有効を
奪い、そのまま試合が終了。
有効一つの差でドゥイエの
優勢勝ちとなった。
試合後、山下泰裕選手団
監督及び日本選手一同が
猛抗議したが、試合場から
審判が離れた後は
判定は覆らないという
国際柔道連盟試合審判規定
第19条によりドゥイエの
優勝が確定した。
日本でのNHKテレビ
アナウンサー・有働由美子も
「今のは間違いなく
 篠原の一本。誤審です」と
涙ながらに実況していた。
この結果に対して、
日本では、柔道関係者、
マスコミともに誤審と
断定して審判を批判した。
全日本柔道連盟にも
抗議が殺到し、中には
主審を務めた
クレイグ・モナガンや
ニュージーランド柔道連盟
(主審の出身国)に
脅迫まがいの電子メールを
送りつける者までいた。
それでも篠原は
「審判もドゥイエも悪くない。
 全て自分が弱いから
 負けたんです」と
それ以上言明せず、潔く
引き下がった。(Wikipedia)

指導法に批判が向けられる
ことが多かったが、
ロンドン五輪の代表監督を
務めた際、指導の合間に
自宅に帰れるときがあると、
お子さんから
「また、泊まりにきてね」と
言われたそうである。

参考
YouTube-シドニーオリンピック_柔道男子_篠原信一  
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする