2018年11月16日

稀勢の里君が何とかせにゃいかん、と言われ続けて

'18年11月16日(金)
[稀勢の里] ブログ村キーワード

大相撲九州場所4日目
(14日・福岡国際センター)

今場所初めて
稀勢の里に上がった軍配は、
物言いの末に差し違え。
非情とも言える結末に、
館内にまたも悲鳴が響き
渡った。

立ち合いから右を抱え、
生命線の左をのぞかせながら
押し込んだ。だが、土俵際で
粘り腰を見せた栃煌山に
右からすくわれて体勢が崩れた。
最後は徳俵を蹴って跳ぶように
土俵を割った栃煌山より、
稀勢の里の左肩が落ちるのが
一瞬早かった。

いいところがなかった
3日目までに比べ、今場所
初めて右を使った攻めで
主導権を握ることができた。
だが何より結果が求められる
中では、気休めにもならない
だろう。
八角理事長
(元横綱・北勝海)は
自身の経験を踏まえ
「調子が悪い横綱だと、
 相手は残せる気持ちになる」。
負の連鎖を断ち切ることは
できなかった。

横綱として87年ぶりの
初日から4連敗、さらに
自身3度目となる
3日連続金星配給は、
ともに大相撲史に残る
不名誉な記録だ。
過去に
4連敗スタートから
勝ち越した横綱はおらず、
置かれた状況の厳しさを
示している。

一人横綱としての務めを
必死に果たそうとする姿に
大声援が飛ぶ一方、
「また負けたら引退だろう」と
ささやくファンがいたのも
事実。
これ以上負けがこめば、
先場所の10勝で脱した
進退の危機さえ再燃しかねない。
綱の重みを考えれば休場して
立ち止まり、精神面も含めて
再度立て直すのが現実的な
選択肢ではないか。
この日も無言で場所を後にした
稀勢の里の胸中はどうだろうか。
【野村和史】
(毎日新聞11/14 21:05)

稀勢の里は5日目から休場した。
先場所はどっしりとした下半身で
10勝したが、
今場所は下半身がもろい。
場所前、回復した上半身を
生かす稽古に専念し、
下半身の稽古をおろそかに
したのではないか。

稀勢の里に怪我をさせたのは
日馬富士だが、暴行事件で
引退を余儀なくさせられた
冷たい角界を困らせようとの
彼の怨念だろうか。

大相撲隆盛のためには
次のスターが誕生するまで
「稀勢の里」がなんとか
しなければならないだろう。
タイトルは川柳から借りた
ものである。
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2018年11月13日

Show timeを盛り上げた大谷翔平がア・リーグ新人王

'18年11月13日(火)
[大谷翔平] ブログ村キーワード

米大リーグの
最優秀新人(新人王)が
12日発表され、
エンゼルスの大谷翔平選手
(24)がア・リーグ新人王に
選出された。
日本選手では1995年の
野茂英雄投手(ドジャース)
2000年の佐々木主浩投手、
01年のイチロー外野手
(以上マリナーズ)以来、
17年ぶり4人目の快挙となる。

受賞の知らせを受け、大谷は
「1年目で取れてすごく
 うれしい。
 応援してくれた方にとっても
 すごくうれしいことだと
 思うので良かった」と
喜びを語った。
今季、プロ野球日本ハムから
ポスティングシステムで
大リーグに移籍した大谷は、
新天地でも投打の二刀流で活躍。
打者として打率2割8分5厘、
22本塁打、61打点、10盗塁、
投手としても10試合に先発して
4勝2敗、防御率3.31の成績を
残した。
同一シーズンにおける
「10試合登板、20本塁打、
 10盗塁」はメジャー史上初
だった。

新人王は全米野球記者協会
会員の30人の記者が、
1〜3位に投票する方式で決定。
ア・リーグは大谷と
ヤンキースの
ミゲル・アンドゥハー、
グレイバー・トーレス
両内野手の3人が最終候補に
残っていた。
大谷は1位(5点)25票、
2位(3点)4票の合計137点で
圧倒的に支持された。
次点は5人から1位に投票された
アンドゥハーで合計89点だった。
アンドゥハーは打撃3部門
すべての成績
(打率2割9分7厘、27本塁打、
 92打点)で大谷を上回った。
東地区2位のヤンキースが
プレーオフまで進んだのに対し、
エンゼルスは西地区4位に
終わったことも
選考に影響するとも
みられたが、全米でベーブ・
ルース以来の本格的な二刀流の
活躍が大きく評価された。
(日経新聞nikkei.com11/13 8:52)

参考
MLBのルーキー資格
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posted by (雑)学者 at 11:41| 千葉 ☁| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月11日

勝ちたいなら自分の力で勝て、という指導方針

'15年4月11日(土)
[柔道] ブログ村キーワード

柔道家篠原信一氏のこと
である。勝つためには
何が必要かを語っている。
一般の人の生き方にも
参考になると思うのだが。

〈柔道男子日本代表の
 監督として臨んだ
 平成24年のロンドン五輪。
 男子は金メダル「0」
 (銀2、銅2)という
 結果に終わった〉

金がゼロだったと批判され
ましたが、柔道男子の
メダル数でいったら、
20年の北京五輪(金2)より
多いし、16年のアテネ五輪
(金3、銀1)と同じでしょ。
ただ、金がなかった…。
紙一重のところで金に持って
いけなかったことが悔しいし、
反省しています。

〈監督としての
 指導方法などに対する
 逆風も吹いた〉

そもそも、自分は
「勝ちたかったら自分で
 やれよ」という指導です。
「精神論主義」などの批判も
あったけれど、
実際、自分はそうやってきた。
「センス、才能は
 お前らの方があるのに、
 なぜ勝てないのか。
 なぜ勝てる稽古をしない
 のか」。そう思っていた。

稽古は厳しかった。でも、
選手の所属する
企業、大学は代表選手を
かわいがる。
どこかが痛いと言えば、
すぐに「休め」となる。
だから
「所属が入ってくるな」とも
言いました。そうすると
「所属の監督と
 密にやり取りをしない」
「自分勝手で、うるさい」と
いわれた。
甘やかして勝てるなら勝てよ、
成績を残せよという感じです。
前へ
今それを説明しても言い訳に
なるけれど、例えば、勝負は
最終自己判断がないと勝てない。
自分の思いはそういうことです。
ただ、自分が指導者として
勉強不足だったことは
選手たちには申し訳ないと
思っています。

自分は怒鳴ってばかりいる
イメージがあるのでしょう。
でも、試合に負けて
怒ったことはありません。
試合の負け方に怒る。
ポイントをとって
残り1分となったとき、
勝っているからと
下がることは許せない。
逆に勝っているのに
ガンガン攻めていると、
「おいおい、なんで無理して
 技かけてんねん!?」と
いうこともある。
それでも、攻めているの
だから怒らない。
「よう攻めた。ただ、
 少し流れを見ろよ」と。

怒るのも期待しているからで
あって、選手に本来の力を
出してもらいたいから、
次につながるいい試合をして
もらいたいからなんです。

〈幸世夫人と3男1女の
 6人家族。
 子供たちに柔道を教えた
 ことはない。ただ、
 根底にあるのは同じ。
 「自分でやる」という
 ことだ〉

自分の父親は
「勉強しろ」とか、
何も言わない人でした。
今の自分はその父親、母親の
教育方針にプラスアルファ
ですね。プラスの部分は
「最低限、宿題はしろよ」かな。

長男、次男、三男は柔道を
やっていますが、自分は
教えたことがありません。
全て道場の先生に任せて
います。先生は礼儀を重視し、
あとは楽しくという教え方
です。
息子が勝とうが負けようが、
楽しく稽古に行けばいい。
もし本当に強くなりたかったら、
自分で頑張ればいいのだから。
「勝ちたければ
 自分で稽古しろ」という
ことです。(聞き手 大谷次郎)
話の肖像画 柔道家篠原信一(42)5
 「勝ちたければ自分でやれ!」
 産経新聞4/10 6(オピニオン)面)


篠原氏の指導方針は
自身の苦い経験が影響して
いる。

誤審問題が影響

シドニー五輪100kg超級
決勝で、フランスのダビド・
ドゥイエと対戦した際に、
ドゥイエが内股を
仕掛けてきたのに対して
篠原は内股すかしで返した。
これに対して、主審は
ドゥイエの有効と判定。
副審の一人は篠原の一本と
判定したものの、
もう一人の副審が主審の
判定を支持したため、
ドゥイエに
有効が与えられた。
選手団監督の山下泰裕は、
審判委員から審判団の
再協議を申し出られたにも
かかわらず、フランス語の
分からない山下はそれに
気づかず試合の継続を
許してしまった。
その後、ドゥイエが注意を
受けたことにより、
篠原に有効が与えられ
両者のポイントが
並んだが、さらにその後、
ドゥイエが再び技で有効を
奪い、そのまま試合が終了。
有効一つの差でドゥイエの
優勢勝ちとなった。
試合後、山下泰裕選手団
監督及び日本選手一同が
猛抗議したが、試合場から
審判が離れた後は
判定は覆らないという
国際柔道連盟試合審判規定
第19条によりドゥイエの
優勝が確定した。
日本でのNHKテレビ
アナウンサー・有働由美子も
「今のは間違いなく
 篠原の一本。誤審です」と
涙ながらに実況していた。
この結果に対して、
日本では、柔道関係者、
マスコミともに誤審と
断定して審判を批判した。
全日本柔道連盟にも
抗議が殺到し、中には
主審を務めた
クレイグ・モナガンや
ニュージーランド柔道連盟
(主審の出身国)に
脅迫まがいの電子メールを
送りつける者までいた。
それでも篠原は
「審判もドゥイエも悪くない。
 全て自分が弱いから
 負けたんです」と
それ以上言明せず、潔く
引き下がった。(Wikipedia)

指導法に批判が向けられる
ことが多かったが、
ロンドン五輪の代表監督を
務めた際、指導の合間に
自宅に帰れるときがあると、
お子さんから
「また、泊まりにきてね」と
言われたそうである。

参考
YouTube-シドニーオリンピック_柔道男子_篠原信一  
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月23日

五輪で二つの金、それでも山下二世と呼ばれた柔道家

'15年1月23日(金)
[斉藤仁] ブログ村キーワード

褒められて逆に傷つく
言葉
がある。以前、
ヨミウリ・オンラインの
人気コーナー
『発言小町』で読者が
体験例を披露していた。
「見直しちゃったよ」
「見違えた!」
「お化粧お上手ですね」
「いつも小綺麗に
 してますね」
「老いて益々・・・・」などを
覚えている
◆その人が背負った
山下二世の美称
そうだったろう。
ロサンゼルス、ソウル五輪の
柔道男子で2大会連続の
金メダルに輝いた
斉藤仁(ひとし)さんである。
一昨日(20日)、
訃報に接した。54歳という
◆斉藤さんが山下泰裕さんの
心技体、とりわけ強い
精神を深く尊敬していた
ことは知られているが、
年の差でいえば
山下さんがわずか三つ上の
同世代である
◆「ずっと自分では
 <斉藤一世だと
 思っていました」。
現役を引退したとき、
本紙の取材に語った言葉が
忘れがたい。
青い畳の上で
山下さんと繰り広げた
数々の名勝負は、
内に秘めた“なにくそ”の
結晶であったろう
山下さんが寄せた
追悼の談話
に胸をつかれた。
柔道人生で
 最大最高のライバル
 だった
」。
その君が誰かの二世なんかで
あってたまるか・・・。
天の高みで
男泣きをしている
柔道着姿が目に浮かぶ。
(編集手帳 讀賣新聞1/22)

訃報はこうであった。

斉藤仁さん死去

ロサンゼルス、ソウル五輪の
柔道男子で2大会連続の
金メダルを獲得した
全日本柔道連盟強化委員長の
斉藤仁さんが20日、
胆管がんで死去した。
54歳だった。告別式は、
近親者のみで行う。

青森市生まれで、
高校から上京し、
国士舘大に進学。
1983年に世界選手権
無差別級で優勝し、
84年のロサンゼルス
五輪では95`超級で
金メダル
を獲得した。

ロサンゼルスの無差別で
金メダルを取った
山下泰裕さん(57)とは
ライバル関係。
体重無差別で日本一を
決める全日本選手権を
はじめ、多くの大会で
名勝負を繰り広げたが、
結局一度も勝てず、
「山下に次ぐ男」との
評価を受け続けた。

88年のソウル五輪で、
日本柔道が不振に陥り、
6階級で有力選手が
次々と敗退。
金メダルがない中、
最後のとりでとして
95`超級に登場した。
ここで、日本柔道唯一の
金メダル
を獲得。
表彰台の上で男泣きを
した姿は、
日本の五輪史上に残る
名場面となっている。

89年に現役引退。
母校国士舘大の監督や
全日本男子監督などを
歴任し、アテネ五輪
100`超級金メダリストで、
現全日本コーチの
鈴木桂治さん(34)らを
育てた。
日本が金メダル1個に
終わった2012年の
ロンドン五輪後に
強化委員長に就任。
16年のリオデジャネイロ
五輪でのお家芸復活に向け、
選手強化に力を注いでいた。
関係者によると、
斉藤さんは13年暮れ頃から
入退院を繰り返していたが、
昨年11月の全日本ジュニア
合宿などにも
指導に訪れていた。
(同紙1/21 38(社会)面)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月12日

錦織に立ちはだかったフェデラー、まるで横綱の貫録

'14年11月12日(水)
[錦織] ブログ村キーワード

ATPツアー・ファイナル
第3日、1次リーグB組で
フェデラーと対戦した
錦織は彼の気迫に敗れた。

フェデラーは前に出て
錦織に狙われるスペースを
狭め、錦織のストローク
プレーを封じた。
さらに、フェデラーの
力の籠ったリターンに
錦織は押された。


ショット精度欠く 最後まで
突破口開けず


最後まで
突破口を開けなかった。
新世代の代表格として
世界トップ5に
駆け上がった錦織は
ショットに精度を欠き、
得意のリターンでも
苦しんだ。
初黒星を喫すると天を
仰いだ。少年時代から
憧れの存在だった
33歳のフェデラーの
華麗なプレーに屈した。

勝負の鍵と踏んだ
サービスゲームで隙を
突かれ
、流れを手放した。
第1セット、
1−2で迎えた第4ゲーム。
痛恨のダブルフォールト
リズムを崩し、
先にブレークを許した。
右手首にテープを巻き、
サーブの切れも欠いた。
フェデラーがネットへ
出てきたところを
ロブショットで
応戦するのがやっと

だった。

世界8強による最終決戦。
中でも、この日の
「自分のアイドル」との
対戦は特別だった。
米国で練習相手を務めた
17歳の時に
2人で撮影した写真は
今も宝物
だ。

今季から指導を受ける
マイケル・チャン氏に
「コートに入ったら
 全員が倒すべき敵だ」と
諭され
「尊敬の念を抱き過ぎて
 いた」という
過去の自分に別れを告げた。
だが四大大会で
最多の17勝を重ねてきた
強さを見せつけられ、
A・マリー戦に続く
「ビッグ4」連破はなら
なかった。(共同)
(産経ニュース11/12 07:49)

終わっていない

錦織は、常にフェデラーの
背中を追いかけてきた。
07年3月に米マイアミで
初めて練習をして以来、
「いつも僕のアイドル
 だった」と話す。
今大会の事前会見で
「8人の中で
 一緒に食事に行くなら
 誰?」と聞かれて
「フェデラー」と即答。
「いっぱい話を聞きたい」
と表情を崩した。

フェデラーも錦織が
10代の時から、
その才能を評価していた

今年9月の全米で
決勝に進出した時も
「ケイが決勝に進んだ
 ことは驚かない。
 彼にはそれだけの力が
 ある」と話した。
ともの認め合う同士が、
ツアー最終戦という
初めての大舞台で対戦。
しかし、まだまだその差は
大きかった


大会はまだ終わっていない。
リーグ最終戦で
ラオニッチに勝てば、
準決勝進出の道は残って
いる。
「彼の存在は、
 いつも自分を成長させて
 くれる」と錦織は話す。
この敗戦も、次の試合への
大きな糧になるのは間違い
ない。
(日刊スポーツ11/12
 26(スポーツ)面抜粋)

posted by (雑)学者 at 14:26| 千葉 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする