2014年12月18日

この惑星の住人の人生は一直線とは限らない

'14年12月18日(木)
[人生] ブログ村キーワード

枕から本題、結びへと
無理なく繋がるコラムに
久しぶりに出会った。
讀賣新聞17日の編集手帳
である。


工藤直子さんに『花』と
いう詩がある。
<わたしは/わたしの
 人生から
出て行く
 ことはできない

 ならば ここに
 花を植えよう
ひとつの夢が破れたとき
人は“第二の人生という
花を植える

できれば、夢の跡から
離れた場所に植えたいのが
人情
だろう。近くに植えて、
挫折の記憶に日々新しく
胸を刺されるのはつらい。
まばゆい栄光の時を知る人
であればなおさらである
その人は夢の跡に花を
植えた

プロ野球DeNAで
5年間にわたって裏方の
用具係
を務めた
入来祐作さん(42)である。
選手のためにボールを
そろえ、ユニフォームを
準備し、グラウンドを
整備した。かつては巨人に
ドラフト1位で入団した
投手
である。
◆入来さんがソフトバンクの
三軍投手コーチに就任
し、
指導者の道を歩むことに
なったという。
植えたときはまさか咲く
と思いもしなかった花
だろう。
記者会見では男泣きに
泣いたと聞く
◆用具係の実人生
そのままの設定で
缶コーヒーのテレビCMに
出たことがある。
共演した宇宙人役の語りを
思い出す。
この惑星の住人の人生は
 一直線とは限らない
>。
美しき曲線の前途に幸多かれ。
(編集手帳 讀賣新聞12/17)

金田正一さんが
ピッチャーはエビのように
ピンピンしていなければ
いけない、といったことが
あった。

入来さんはがっちりした
タイプなので、肩や肘に
負担がかかる投げ方になる
のだろう。

入来さんは
「エビ」のタイプでは
なかった。

参考
YouTube-元エース入来、裏方の喜び描く  
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月27日

文明は国家を強くするが、人間からはたくましさを奪う

'14年11月27日(木)
[曽野綾子] ブログ村キーワード

マダガスカルは、アフリカの
インド洋に浮かぶ
マダガスカル島を領土とする
共和制国家。

作家曽野綾子さんが
医療支援にここを訪れた
ときの見聞から、
日本との文明の違いを
比べてみたい。


2年ぶりに、
昭和大学の形成外科・
麻酔科のドクターたちと
マダガスカルに来た。
アンツィラベという地方
都市で、放置されている
口唇口蓋裂の子供たち
を、
無料で手術していただく
プロジェクトの、
私は後方支援として
働かねばならないのだが、
実は2年の間に、
体力も衰え、膠原病も出て、
足の裏のマメは治らなく
て、
ほとんど
役に立たないどころか、
ちょっとした道の表面の
凹凸が足の傷にひびいて、
歩く時、支えてもらって
いる。

道の凹凸は、舗装が
悪いからの場合もあり、
植民地時代の石畳
そのものが、アスファルト
舗装と違って平らでない
からでもある。
だから私の救いは、道の
状況のいい日本に帰れば、
私の足でも健康人の80%
くらいの機能の悪さで、
まだ自分で歩ける
という
ことなのだ。

アンツィラベのホテルの
玄関を一歩出れば、物売りと、
子供をおぶって乞食をする
若い女性に取り囲まれる。
この国では16歳くらいで
子供を産むから、
背中の赤ん坊はその女性の
産んだ子なのか妹なのか

わからない。
ただ身ぶりと
簡単なフランス語で
食物を買うお金を
 下さい
」と言っている
ことはわかるので、
日本人は胸が痛む。

今、マダガスカルは
春の雨期で、毎日のように
落雷の結果数時間に
わたって停電
する。
懐中電灯をカバンに
しまったままの日本人は、
停電になったらもう捜し
出せない。
しかしそんな悲劇は
自業自得で、手術中の
麻酔科のドクターたちは、
手動に切り替えて生命維持
装置を使う。ここの医療は、
先進国の医療と野戦病院の
中間くらいの位置にある
ように見える。

しかし地球上には、
生涯そのような暮らしに
おかれている人々が、
何十億といる
だろう。
電気がなければ、病気の
子供たちや老人は、
すぐに生命の危機にさらさ
れる。
安定した電力の獲得が
人間の生命と思想の自由を
保障
する。
停電と驟雨の後の満天の
華麗な星空が、
無言のうちにその現実を
つきつけているように
みえる。

ホテルの食堂からは、
町の四つ辻のドラマが
よく見える。
自動車がまばらだから、
若い父親はなぜか車道で
幼い子に「高い高い」を
して遊ばせており、
一家数人は交差点の
真ん中で知人と抱き合い、
そのまま喋りながら
ほぼ中心線の上をのどかに
歩いて行く。

しかし壮観は早朝から
必死で働く人力車夫たちだ。
梶棒を人力で引く形式も
あるし、自転車をつけた
ものもある。この車は
プスプスと呼ばれる
タクシー代わりで、
車夫の男たちの多くは
痩せて裸足
である。
代金は交渉して乗るのだが、
50円から100円くらいだ。

私は彼らより栄養もよく、
そしてそんなことは
自慢にもならないのだが、
字の読み書きもできる。
しかし私の足の裏は、
今傷だらけで、
彼らの強靭な能力の
それこそ足元にも及ばない
だから、私は人間としての
能力において限りなく
謙虚になるほかはないのだ。
(アンツィラベにて)
(曽野綾子の透明な歳月の光
 マダガスカルの風景
 人間のなまの姿を見せる国
 産経新聞11/26 
 7(オピニオン)面)


マダガスカルの人たちが
日本へ来て生活できるだろ
うか。
また、日本人が
マダガスカルで
現地の人たちと同じように
暮らしていけるだろうか。

この記事に引かれたのは
口唇裂症が
500人に1人という
身近な問題だからである。

しかし、日本では
そのままにされた子供は
見当たらない。

マダガスカルでは
それが放置されている
場合が多いのだろう。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月24日

ある仏像修復家の生き方、たどり着いた場所で精いっぱい

'14年11月24日(月)
[仏像修復] ブログ村キーワード

気負いもなく野心も
感じさせず
大言壮語する
わけでもない

目の前の仕事を淡々と
こなしていく。

彼の名前は、飯泉太子宗。
「いいずみとしたか」と
読む。本名である。
何か謂(いわ)れがあり
そうな名前だが、特には
ないと言う。

彼の仕事は、仏像修復家。
文字通り、仏像などの
文化財を修理・修復する
人だが、一般的には、
なかなか馴染みがない職業
だ。

仏像の修理という仕事は、
 非常にマイナーなもの
で、
 そんな仕事がこの世に
 あることすら、一般の人は
 知らないのではないで
 しょうか。
 舞台の黒子みたいなもの
 です」

しかし、造られて何百年も
たつ仏像が、あるレベルで
原型を留めていられるのは、
それなりに人が手を加えて
きたからである。

飛鳥時代に日本に仏像が
伝来してから約1500年。
彼のように、
仏像を修理する人は、
いつの時代にもいたのだ。

彼の仕事は、
目の前にある壊れた
仏像や神像を

コツコツと地道に
修理する
ことだ。
しかし、その背景には、
何百年という歴史が
横たわっている

彼は、この仕事を通して、
無意識のうちに、
100年単位の時の流れを、
自分の中に取り込んで
いるのではないだろうか。
だから気負いもなく
こんなにも静かに
時を過ごせる
のかも
しれない。

飯泉さんは、1974年、
茨城県西部にある
真壁郡真壁町
(現・桜川市真壁町)に
生まれた。
祖父母が住んでいた家が
築200年とも言われる
茅葺き屋根の古民家だった。
それだけ古いと、
あちこちに痛みも出る
わけで、不具合があると、
高校教師である父親が、
素人仕事ながら、あれこれ
工夫をして修理をしていた。
飯泉さんも、小中学校の
ころから、その手伝いに
駆り出された。それが、
古いものを修理する、彼の
原体験と言える。

その後、キリスト教系の
全寮制の高校
に進学した。
ここで、宗教というものに
触れる
ことになる。

東北芸術工科大学に進学。
古典彫刻の修理を学んで、
1997年に大学を卒業し、
京都の(財)美術院国宝
修理所
に勤務する。
ここで彼は、
仏像修復という道に
足を踏み入れたわけだ。

その後、2003年に
吉備文化財修復所に移り、
2004年に退職。
2007年に特定非営利活動
法人
古仏修復工房」を
設立する。

経歴をながめていて感じる
のは、激しさというのが、
彼には不似合いだという
ことだ。

「すべてはご縁だと思います」
と彼は受け入れる。
「今の仕事も、
 何百年に一度という修理が
 回ってくるのはご縁以外の
 何ものでもありません

 自分ががんばって取って
 くる仕事ではありません。
 ご縁があれば、全身全霊を
 かけていい修理をして
 お返しするという気持ちで
 取り組んでいます」

自分のたどり着いた場所で
精いっぱい生きる

そんな姿勢が、彼の言葉の
端々からは伝わってくる。

飯泉さんは、仏像修復家と
いう珍しい仕事につき、
京都にいれば一流の国宝の
修理に当たれるのに

そこを辞めて
故郷の有名ではない仏像の
修理をすることを決めた

まわりの人は、彼に
「どうして、その仕事を
 選んだの?」、
「なぜ、辞めるの?」と
いう疑問を投げかける
はずだ。

彼は、世界一周の旅を
きっかけとして、
その答えを自分の中に
もてるようになった。

何かをやるのに明確な
 理由はないし
必要ない
 じゃないですか」

「仏様に、何か神秘的な
 力を感じたことが
 ありますか?」

「仏様そのものに
 力があるわけではなく、
 それを守り大切に思って
 いる人がいるから
 意味が出てくるのでは
 ないでしょうか。
 拝む人がいてこその
 仏像です。仏像を大切に
 思う気持ちを、私は
 大切にしたいと
 思っています」
(ヒューマン・ドキュメント
 時を超え、文化をつなぐ
 仏像修復家 飯泉太子宗さん
 取材・文 小原田泰久
 PHPNo.799‘14/12抜粋)


厳しい仕事である。
100年後の修復家が彼の
仕事ぶりを評価することに
なる。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月22日

社会の一員としての人間になるという個人の自覚が不可欠

'14年11月22日(土)
[個人主義] ブログ村キーワード

公衆道徳が廃れると
社会が崩壊しやすくなる。
個人がヨコの関係を
意識しなくなるからだと
思う。
突き詰めた“哲学”的な
議論もある。
NPO生物多様性農業支援
センター理事長原耕造氏の
論旨を紹介したい。


学生時代、中根千枝の
『タテ社会の人間関係』を
読み、50年以上経て初めて
理解できたことがある。
日本人が西欧近代社会
 以上のタテ社会に
なって
 しまった」ことだ。
国民の課題解決方法が
戦前までの日本社会から
大きく変化したと思う。
現代日本人は西欧人以上に
個人主義が発達してしまい、
それを認識して
いないところに危機が存在
すると考えている。

現代日本の抱える様々な
課題、人口減少と年金負担、
原発再稼働と自然エネルギー、
デフレ脱却と経済成長、
集団自衛権と尖閣・竹島、
介護と福祉、防犯と防災など
総て政治的課題で、国民は
国の政策と予算抜きには解決
できないと思っている。

国の政策に対する選択は
デモや反対運動等の行動と、
政党の公約に対する選挙
しか方法が無いと思い、
納税の対価で行政から
公共サービスを受ける
権利があると思ったが、
予算は充分でなく、
消費税率アップ受け入れも
仕方ないと思っている。

現代日本人が
タテ型社会の構造に
ドップリ浸かり、
解決方法を見失ってしまった
からではないだろうか。
これが私のタテ社会とヨコ
社会の問題意識である。

ハイデッカーの実存主義と
和辻哲郎の実存主義の違いを
書いた文章に出合った。
ハイデッカーは「時間」に
着目した実存主義者だが、
和辻は「時間」だけでなく
「空間」も重視する。
ハイデッカーは、人間を
その人だけの生涯という
 時間
」で意義付ける
個人主義的な思想家だ。

和辻は社会という
「個人を含む空間」を
視野に、人間の「個人」と
社会の一員」という
二面性を見出す。
「風土」という著書で
存在」という言葉自体が、
人間の二面性を示す
と述べる。
「存」という語は
「何かがあることを人が
 自覚する」という意味で、
時間の意味が含まれる。
「在」は
「どこかの場所にある」と
いう意味。
「社会のどこか」であり、
人間が社会と関係して
 いる、同じ社会に暮らす
 他人と繋がりを
 持ちながら
生きている」
ことを示す。

和辻は人間の自律を、
周囲に流されない
「自分は自分」という自覚を
しっかり持ったうえで
自分だけに
 こだわる気持ちは捨てて
 社会の一員としての
 自分を作る
」こととし、
戦前の日本社会の特質と
西欧哲学との違いを明確に
した。
タテ社会を象徴する典型的
個人主義と、
ヨコ社会を象徴する
日本型ムラ社会意識
があって
初めて、日本人が存在する
という。

戦後日本人は
西欧型個人主義に基づく
実存主義に染まり、
戦前の日本人が持っていた
「社会の一員としての
 人間」である「在」の
語を忘れてしまった。

「在」は「神」の問題と
直結し、西欧哲学の基本は
「絶対神」が自然を創造
したとするので、
前提が日本人と異なる。
古事記にもイザナギと
イザナミの国生みの神は
いるが絶対神では無い。

日本人の「在」は
「豊葦原瑞穂国
 (とよあしはらの
  みずほのくに)」だ。
昭和40年代後半まで
米は増産され、豊作を
日本人全体が喜んだ。
減反政策以降は豊作を
喜ぶ日本人が減り、
豊葦原瑞穂国の言葉も
聞かれなくなった。
収穫神事の「新嘗祭」が
「勤労感謝の日」という
訳の分からない祝日に
なって、学校でも
そのことを教えない。

2000年以上かけ営々と
築き上げた日本の水田は
耕作放棄地となり、
TPPで更に耕作放棄地が
加速されようとしている。
豊葦原瑞穂国の国土が
消滅していくとは、
今の日本人の意識には
ない。
「存在」という日本人の
原点から「在」という
国土がなくなり、
日本人が「存」という
自分だけの生涯の中で
考える
西欧型個人主義に転換して
しまったのだ。

逆に西欧では
個人主義に基づく思想は
継続しつつ、
社会政策は「在」に注目
した地域環境政策に大きく
転換している。
現代日本人はそれに気づいて
いない。
現代日本社会が抱える
様々な課題は
タテ社会の政治では解決
できない。

「在」に対する意識を
新たにし、地域から社会を
変える取り組みに
転換
しないと、
豊葦原瑞穂国の国は
いずれ消滅の危機を迎える。
(NPO生物多様性農業支援
 センター理事長原 耕造
 農業と国土 個人主義と
 国土消滅 道21世紀新聞
 11月12、13面)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月22日

娑婆は面白い、自殺志願者駆け込み寺住職からの提言

'14年10月22日(水)
[駆け込み寺] ブログ村キーワード

曹洞宗人権啓発相談員、
曹洞宗総合研究センター
講師、NPO法人
「自殺防止ネットワーク
 風」理事長の曹洞宗
長寿院篠原鋭一住職

この世は娑婆、だから
面白いという。


人生は
苦しいのが当たり前

苦も楽も
次々におしよせてくる。
しかし、
たじろぐことはない。

住職を務める長寿院が
自殺志願者駆け込み寺
と報道されて22年が経つ。
中学生から80代の
お年寄りまで1万人以上の
人々と対話を続けてきた。
とりわけ20代30代が多い。


I さん37歳。
夢の会社設立を果たした
ものの、3年で倒産
経済的困窮から家庭崩壊、
離婚・・・・・。
もう限界だと訴え、私に
激しい言葉を投げつける。
「なぜおれの運命は
 こんなに不運・不幸
 なんですか、どうして
 同じ人間の運命が
 こんなにも違うんですか?
 住職、なぜですか?」

涙さえ浮かべている彼に、
私はこう答えた。
「君は運が悪かったと
 言うけれど、
 決められた運命なんて
 ない。私たち人間に
 もし運命というものが
 あるなら
自分で運命を
 作り育てていく
んだよ。
 誰もが自分の人生に、
 様々な幸福が実るための
 種をまき
育て収穫
 する
それが運命だ
 もう一度言うよ。
 運命は決まってない。
 運命なんてどうにでも
 変えることができるのさ!」
「運命って決まってないん
 ですか!
 変えられるのですか・・・」

彼の瞳が輝いた。


ある3人の大学生が
やってきて訴えた。
オレたちに未来なんて
 ない
んですよ!」
「未来がなければ
 生きている意味が
 わからねえ!」
彼らの話が終わるのを
待って告げた。
「仏教は
 ”過去・未来・現在”
 ということを
 しっかり認識して
 生きることが大切だと
 教えているんだよ」

すぐさま一人の学生が
問いかけてきた。
「順番が違いませんか?
 今、過去・未来・現在って
 いいましたよね。
 正しくは
 過去・現在・未来じゃ
 ないんですか?」
「一般的にはそういう。
 けれど仏教の教えでは、
 ”過去・未来・現在”だ。
 過去はもう終わったことだ。
 未来は未だ来ていない
 確かに予定を立てること、
 予測することはできる
 だろうが、当てにはなら
 ない。

 大切なのは過去でもなく
 未来でもない。
 ”現在”こそが
 実体であり真実なのだ。
 つまり今を
 しっかり生きるという
 ことだ。
 コマーシャルで流行した
 ”いまでしょ”あれは
 正解!今は過去の今を
 積み上げてやって来た

 そして今を積み上げて
 行くと未来になる

 言いかえれば 今日は
 まっさらな今日で、
 今日が本番、今が本番、
 この一瞬こそが本番なん
 だよ。現在、今を真剣に
 生きる
それが未来を
 作る
んだ」

3人は深くうなずいていた。


K君が大学を
中退することになったと
涙を浮かべて語り始めた。
父親の会社が倒産したん
 です。大学中退の学歴
 では人生、もう駄目です。
 消えます」

近ごろの若者は”死にたい”
と言わず”消えたい”と
告げる。

荒っぽいと思われるかも
知れないが、K君には
次のような提案をしてみた。
「ああそう。つまり死に
 たいの。いいよ
 私と一緒に”死に方”
 考えよう。
 この紙に死ぬための
 戦略・戦術を書いて
 みよう。
 ”自死の設計図”。
 では君はいつ・どこで・
 どんな方法で死ぬのか
 思うままに話してみてよ。
 ハイどうぞ!」

K君が顔をあげて答える。
「まだそんなことまで
 考えてませんよ!」
「じゃあ、お互いに意見を
 出そう。
 先ずいつにしようか?
 今月、来月、来年?
 場所は福井県の東尋坊は
 どうだろう? まてよ、
 あそこはダメだ。
 自殺ゲートキーパーの
 茂(しげ)幸雄さんが
 いるから止められる。
 和歌山県南紀白浜の
 三段壁(さんだんべき)
 あそこなら・・・・いや
 ダメだ。
 藤藪庸一さんという
 やさしい牧師さんに
 絶対止められる。困った。
 君も案を出せ!」

K君が告げた。
「住職さん、自殺を止める
 人が自死の設計図とは
 ひどいじゃないですか?
 なんだか死ぬのが
 バカらしくなりましたよ。
 オレもう死にません!
 オレ本当は生きていき
 たいんです」
「そうか。よかった・・・。
 K君、命はひとつ
 人生は二度とない
 自分の代わりはいない
 んだよ。
 小便したいから、大便
 したいから、といって
 他人に代わってもらえ
 るか? 無理だろう。
 いいか、君の人生を
 代わりに生きてくれる
 人は
誰もいない
 だから、自分がどう
 生きるべきか決めるのは
 自分しかいない
んだ。
 わが人生の主人公は
 自分なんだよ」

後日、K君は夜働いて
学費を稼ぎ
大学を続ける
伝えてきた。


「娑婆」は仏教語である。
古代インドの
サンスクリット語
「sahā」(サーハー)を
音写した語で「忍耐」を
意味する。
平たく言えば
私たちが生まれた
 この世は汚辱と苦しみに
 満ちた世界
である」
ということ。

そう、私たちはこの世に
生まれた瞬間から苦しみの
世界に生きているのだ。
だから苦しいのは当然の
こと。
実は苦しみに満ちた娑婆
だから面白いのである。
苦も楽も次々におしよせて
くる
面白いではないか
何もなかったらつまらない。

難問が襲ってきても
たじろぐことはない。
次の一文を味わってみよう。

たじろぐことはない

生命(いのち)あるものは
必ず滅びる(生者必滅
会えば必ず離れる
ときがくる(会者定離
すべてのものは
みな移りかわる(諸行無常
悩んでも 迷っても
苦しくても 不安でも
落ち込んでも 死のうと
思っても

それは 一時(いっとき)
こと
そんな思いも すべて
変化していって
やがて 勇気や希望が
あなたを包む
幸福も不幸も
プラスもマイナスも
わが人生
たじろぐことはない

「この世は娑婆。
 だから面白い!」
「不幸は幸福の糧。
 不幸に感謝」

こんなふうに肝っ玉を
据えてしまえば
毎日がウキウキ、キラキラ
してくると私は信じて
生きている。
(曹洞宗長寿院住職篠原鋭一
 この世は娑婆。だから面白い
 特集 仏教に学ぶ
 PHPNo.796‘14/9)


憂きことの なおこの上に
積れかし 限りある身の
力試さむ
(詠み人は山中鹿之助とも
 熊沢蕃山とも)


(いにしえ)の人たちも
挫けそうになる自分自身を
奮い立たせていたのだ。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする