2019年12月05日

何かが間違っている、中村哲さんがアフガニスタンで

‘19年12月5日(木)

劇作家の井上ひさしさんは
政治や社会のあれこれを
論評するとき、かなりの辛口
だった。その人が医師の
中村哲さん(73)率いる
NGO「ペシャワール会」に
賛辞を惜しまなかったのを
思い出す
◆会は事務局を中村さんの
故郷である福岡市に置き、
30年以上にわたりパキスタンと
アフガニスタンで活動して
きた。診療所を建てたり、
干ばつで飢餓が発生した地域に
井戸や水路を造ったり・・・
◆井上さんは会計報告を見て
驚いた。経費を極限まで抑え
寄付の96.6%を現地で使って
いたからだ。
こんな偉い人がいたのかと
随筆に書いた。
<それも私たちの国、
 日本にですよ>
◆一報を聞いてまさかと
思った。アフガン東部の州で、
中村さんの乗る車が銃撃に遭い、
胸部を撃たれ亡くなった。
若き日に福岡の山岳会に同行
して現地を訪ね、貧しい医療に
触れたことが国を飛び出す
きっかけになった。
苦しむ人々に優しいまなざしを
向けただけではない。
立ち上がり、心を砕き、汗を
かいた人の澄みきった人生が
凶弾に断たれた
◆アフガン東部といえば、
砂漠の灌漑に成功し、緑地に
65万人が生活をきずく場所だ
という。なぜだ。
(編集手帳 讀賣新聞12/5)
posted by (雑)学者 at 15:24| 千葉 ☀| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月30日

政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告である

‘19年11月30日(土)

戦後政治史に刻まれる
一時代を築き、強いリーダー
として内政、外交の両面で
確かな足跡を残したと言えよう。
 
1982年11月から5年間、
首相を務めた中曽根康弘氏が
死去した。101歳だった。
首相としての在職日数は、
戦後5番目に長い1806日に
及ぶ。
 
中曽根氏は47年の衆院選で
初当選した。若手の頃は、
吉田首相を厳しく批判し、
「青年将校」と呼ばれた。
岸内閣で初入閣して以降、
要職を歴任した。
 
66年に中曽根派を結成し、
自民党の実力者5人を称した
「三角大福中」の一角を
占めるようになった。
82年田中派の協力を得て、
首相の座を射止めた。
 
政権運営で特筆すべきは、
「戦後政治の総決算」を掲げ、
多くの改革を成し遂げたこと
だろう。
 
内政では
「聖域なき行財政改革」に
取り組み、国鉄、電信電話、
専売の3公社の民営化を断行した。
トップダウンの手法で政策を
決定しつつ、時に民間の有識者も
活用した。大統領的な手法は
その後、多くの政権が踏襲して
いる。
 
外交面で、今日に至る強固な
日米同盟の礎を築いた功績は
大きい。首相就任当初から
「日米は運命共同体」と強調し、
当時のソ連に対して、日米が
共同歩調を取る姿勢を鮮明に
した。
 
ロナルド・レーガン米大統領とは
親密な関係を築いた。
「ロン」「ヤス」と日米首脳が
ファーストネームで呼び合う
ようになったのも、この頃から
である。
 
三木内閣が定めた防衛費の
「国民総生産(GNP)比1%枠」を
取り払い、防衛力の強化に努めた
ことも注目されよう。
 
中曽根氏は86年、いわゆる
「死んだふり解散」で
衆参同日選挙に臨み、
衆院で300議席を超える大勝を
果たした。
この結果、自民党総裁の任期が
1年延長された。
長期政権の最終盤では、
教育改革に力を注いだ。
 
2003年まで議員を続け、
当選回数は20回を数えた。
会長を務めた世界平和研究所で
政策提言を重ね、憲法改正に
情熱を傾けた。
18年に発表した政策論集では、
政府に安全保障のコストを
積極的に分担するよう求めていた。
 
初当選の頃から首相を目指し、
政策やアイデアを大学ノートに
書きつづった。これが政権構想の
土台となった。確固とした
信念を持ち、政策の実現を目指した。
 
「政治家とは歴史という名の
 法廷で裁かれる被告である」が
口癖だった。多くの議員に
かみしめてもらいたい至言である。
(社説 讀賣新聞11/30 3(総合)面)
posted by (雑)学者 at 09:43| 千葉 ☀| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月04日

名門は不滅、緒方貞子さんについて言い忘れたこと

‘19年11月4日(月)

夕食前にはスコッチ。
水割りでちょっと飲んだら、
食中酒はワインか日本酒。
あとはジントニックも……。
緒方貞子さんが晩年、
朝日新聞のインタビューで
私生活を語っている。
「何か飲まないと
 食事にならないもの」。
自然に身についた米国流の
ひとつだったらしい
▼名門の出身である。
曽祖父が五・一五事件で
凶弾に倒れた首相の犬養毅、
父親は外交官だった。
それで幼少時から
サンフランシスコで暮らし、
戦後も米国に留学している。
こう書けばお高くとまった
セレブっぽいが、国連難民
高等弁務官時代の徹底した
現場主義と行動力は世界の
目を見張らせた。
孤軍奮闘は10年に及んだ
▼リベラリズムとリアリズム、
冷静と情熱をともに備えた
稀有な人であったろう。
学究生活を送りつつ、
国連の場で人権を守る仕事を
地道に続けていた時期もある。
日本よりも海外で
名が知られていたのだ。
のちに小泉純一郎政権で
外相就任を懇請されたが
辞退した。日本型組織の
不自由さを悟ってのこと
だったに違いない
▼思索と行動の、その人が
亡くなった。
難民高等弁務官に選ばれた
とき、周囲から
「残念ながらあなたの仕事は
 成長産業だ」と言われて
奮い立ったという。
なのに不条理はいまも
「成長」を続けている。
かつて緒方さんの視野を
開いた米国も、世論の分断に
苦しむ始末だ。
この星は天上から、
どんなふうに見えている
だろう。
(春秋 日本経済新聞10/30)
posted by (雑)学者 at 12:43| 千葉 ☀| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月31日

身長150pなのに巨人といわれた緒方貞子さん逝く

‘19年10月31日(木)

「今は逃げているけど、
 家に連れて帰って
 くれるよね」。
緒方貞子さんは9歳ぐらいの
男の子に言われた一言が忘れ
られなかった。
男の子はコソボ紛争で発生した
難民の1人。
「もちろん」。緒方さんはそう
答え、頑張らなければと思った。
『緒方貞子 戦争が終わらない
 この世界で』(NHK出版)で
述べている
▼緒方さんが92歳で逝った。
60歳を過ぎて国連難民高等
弁務官に就任。隣国に入国を
拒まれ、イラク国内に
とどまるクルド人避難民の
支援を決断した。
従来の難民救援は
国外に逃れた人が対象で
前例がなかった。
理由は一つ。命を守るため
だった。
国境は関係なかった
▼常に現場を重視し難民の
声を聞いた。重さ15`の
防弾チョッキも着た。
愛称は
身長5フィート
(約150a)の巨人」。
難民から感謝された証拠だろう。
アフリカ各地の難民キャンプに
「オガタサダコ」という名前の
子がいた
▼よく口にした言葉が
「持ちつ持たれつ」。
世界の国々は共存しなければ
いけないと考えた。
東日本大震災や日韓、
日中関係が緊張した際は
相互協力の大切さを訴えた
▼世界の難民は7千万人を超え、
難民に不寛容な空気が広がる。
日本も難民の受け入れが
少ない。
緒方さんは最後まで
志半ばの心境だったろう。
遺志は残された者が引き継が
ねばなるまい。
(河北春秋 河北新報ONLINE NEWS10/31)
posted by (雑)学者 at 12:50| 千葉 ☁| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月30日

緒方貞子さん逝く、だが足跡は語り継がれて生き残る

‘19年10月30日(水)

緒方貞子さんはアフリカの
難民キャンプを歩いていたとき、
日本語で声をかけられた。
「ムスメノナマエハ、
 『サダコ・オガタ』デス」。
愛くるしい瞳の1歳の
女の子を紹介された
◆国連難民高等弁務官に
就任以降、ここまで感謝
されるには紆余曲折あった。
ルワンダ内線では
難民キャンプに虐殺をした
民兵が潜り込み、支援撤退を
訴える民間団体もあった。
だからといって多数を占める
女性や子供を見捨てられる
のか、と激しくやりあった
という
◆ジュネーブの本部で
報告を待つのではない。
ヘルメットと防弾チョッキ姿で
紛争地を歩く小柄な女性に
国際社会は目を見張った
◆現場主義を貫きながら、
人道支援に尽くした緒方さんが
92歳で亡くなった。
イラクのクルド人難民問題では
国境を越えられない人々を
救おうと、国境の外に出た人が
難民という原則を覆す決断を
して、保護のあり方を変えた
こともある。
正義と勇気を胸にこれほど
無数の命にかかわり、敬愛
された日本人はいまい
◆サダコ・オガタちゃんも
無事に大人になっていれば、
子供に囲まれている頃合い
である。
遠くから祈りをささげて
いるだろう。
(編集手帳 讀賣新聞10/30)

参考
緒方 貞子
日本の国際政治学者。
学位は、政治学博士
(カリフォルニア大学
 バークレー校)。
上智大学名誉教授。
独立行政法人国際協力機構
理事長、国連人権委員会
日本政府代表、
国連難民高等弁務官、
アフガニスタン支援
政府特別代表を歴任。
(Wikipedia)
posted by (雑)学者 at 13:21| 千葉 🌁| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする