2019年06月12日

人生の信条はアラヨッ!でなければと田辺聖子さん

'19年6月12日(火)

いつも元気なその女性は
「芦村タヨリ」という。
35歳、独身、会社勤めの
デザイナー。
<年下男をコマすときは
 平気で十歳(とお)
 ぐらいサバをよむ>
◆彼女にはわずか4文字の
人生信条しかない。
アラヨッ。ヨイショはだめ、
腰が重い。人生いろいろ
ピンチが来ても、アラヨッの
掛け声で飛び越えていく――。
田辺聖子さんの
『夢のように日は過ぎて』
(新潮文庫)の主人公である
◆恋愛小説の名手、
田辺さんが91歳で亡く
なった。軽妙なタッチに
温かなまなざし。
次々につむがれる
「おせい」さんの世界に
どれほどの人が心を浸した
だろう
◆訃報に接し、数ある物語
から先の女性を思い出した
のは、田辺さん自身の信条に
触れたことによる。
かつて編集者に語ったという。
「私がデビューした頃は、
 ご主人や息子さん、
 お兄さん、弟さん。家族を
 戦争で亡くした女性が
 たくさんいらした。
 私はそういう女性たちが
 元気になる小説を書きたい」
◆ご自身は終戦の年、
早くに父を失った。
悲しいことを避けられない
のが人生の一面とすれば、
それは百も承知の
アラヨッに違いない。
つぶやくと、おせいさん
から元気がもらえる。
(編集手帳 讀賣新聞6/11)

参考
田辺 聖子
(1928/3/27〜2019/6/6)
大阪府大阪市生まれ。
淀之水高等女学校を経て
樟蔭女子専門学校
(現大阪樟蔭女子大学)
国文科卒。
恋愛小説などを中心に
活動し、第50回
芥川龍之介賞(1964年)など
数多くの文学賞を授与
されている。
文化勲章受章者。
(Wikipedia)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月18日

直木賞を惚れた女に例えた作家の阿部牧カさん逝く

'19年5月18日(土)

昭和49年の夏、阿部牧郎
さんは直木賞に落選した。
6年前に初めて候補に
あがって以来、7度目である。
「惚れた女に男がいた。
 あきらめる以外にない」。
そんな心境だった
(『大阪迷走記』)
▼しばらくして、サンケイ
スポーツで連載が始まった。
総合商社を舞台にした
官能小説『金曜日の寝室』
である。
「オモロイでんなあ」。
阿部さんは、街に出ると、
見知らぬ人から次々に
声をかけられる。
小説家になって初めての
経験だった
▼“色物”に手を染めると、
直木賞から遠ざかるのでは
ないか。阿部さんには
葛藤があった。結局、
読者の要望に応じようと
決めた。
殺到する注文を引き受けて
書きまくっているうちに、
10年近くがすぎた
▼やがて体に異変が表れた。
病院のベッドで、久しぶりに
たくさんの小説を読んだ。
昔とは違う感銘を受けて、
あらためて創作の意欲が
わいてきた。読書に疲れて
天井を眺めていると、
中学、高校時代の友人の
顔が、数十年ぶりに浮かん
できた
▼主人公の小説家、
矢部宏が故郷のO市に
戻ってくる場面で始まる。
自殺した高校時代の親友の
葬儀に参列するためだった。
阿部さんは、退院後すぐ
取り組んだ自伝的長編小説
『それぞれの終楽章』で、
ようやく直木賞を射止めた。
54歳になっていた
▼受賞後も「官能」は、
重要なテーマだった。
先の大戦を背景にした
外交官や軍人の伝記小説
にも取り組んだ。
草野球チームを率い、
オーボエをたしなむ音楽通
でもある。
85年の生涯を猛烈な勢いで
走り抜けた。
阿部さんのエネルギーの
源は何だったのか。
私設の保育園を経営する
など、がむしゃらに
働いて6人の子を育て
あげた。そんな母親に、
「ガンバリ主義を
 たたきこまれた」
と語っていた。
(産経抄 産経新聞5/17)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月17日

目で口ほどの演技をした国際的女優京マチ子さん逝く   

'19年5月17日(金)

〇河北新報コラム
映画評論家の
故淀川長治さんが映画の
名作10本を選んだ時、
邦画が1本だけ含まれて
いた。それが
黒沢明監督の『羅生門』。
「ワンカット、ワン
 カットが全部きれいで
 世界中が驚いた」。
印象に残った場面として
泣き伏した京マチ子さんの
黒髪の美しさを挙げた
▼京さんが演じたのが
盗賊に襲われる侍の妻
だった。
気性の激しい女、か弱い女、
身勝手な女、狂気じみた女…。
京さんは「一人四役」
ともいえる難しい役をこな
した。後に
「生まれ変わって
 もう一度やりたい役
 といえば
 これです」と語った
(筒井清忠編著
 『銀幕の昭和「スタア」が
  いた時代』)
▼『羅生門』などの出演作が
国際映画祭で最高賞を受賞し、
グランプリ女優と呼ばれた
京さんの訃報が届いた。
大胆な演技で肉体派女優
として注目され、戦後を
象徴する存在だった
▼巨匠との仕事が多かった。
魅力は何だったのか。
黒沢監督は能の古面のような
顔を挙げた。確かに
エキゾチックで幽玄な
雰囲気は海外の人の心を
とらえたことだろう。ただ、
それにとどまらなかった。
文芸作品や人情劇など
多彩な作品に出演し、
演技派としても活躍した
▼「不器用な人間です」が
口癖だった。誠実な人柄も
愛された。95年の生涯を
閉じたが、銀幕の中での
京さんはあの時のまま。
不滅の輝きを放っている。
(河北春秋 河北新報ONLINE NEWS5/16

〇読売新聞コラム
映画界の巨匠、黒沢明監督は
演技にきびしい人だった。
意見が合わず主演俳優が
途中降板した大作もある。
ところが京マチ子さんの
前では温和な表情を見せて
いた
◆「京ちゃん、どう?」。
『羅生門』の撮影がはじ
まったころ、髪結いの
部屋に入ってきた。
そのとき京さんは
眉を剃り落としたばかり。
時代劇に自分の眉は
濃すぎて向かないと思い、
一存で顔を変えたという
◆「先生はこれは面白いと
 言ってくれて、自由に
 演技させてもらいました」。
かつて本紙に語っている。
黒沢監督でさえも、
大女優の道を歩む
「京ちゃん」の凄みに
早く気づいた映画人の一人
なのだろう
◆ベネチア国際映画祭で
金獅子賞を取った
『羅生門』をはじめ、
数々の名作に出演した
京さんが96歳で
亡くなった。
デビューしてまもなく、
「彼女に一点光のごとく
 精彩を与えているのは
 その目だ」と言った
評論家がいる。
日本映画の黄金期から
数十年が過ぎた今なお、
モノクロのスクリーンから
あたかも光源であるかの
ように輝く目を
脳裏に刻む方は多いこと
だろう
◆そのまぶたは永遠に
閉じられた。
遺骨はハワイのお墓に
葬られるという。
(編集手帳 讀賣新聞5/16)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月20日

ストイックに徹した高倉健さん、悪性リンパ腫で亡くなる

'14年11月20日(水)
[高倉健] ブログ村キーワード

“健さん”と呼ばれ、
日本映画界の
中心スターとして活躍した
俳優で文化勲章受賞者、
高倉健さんが
悪性リンパ腫のため、
亡くなった。

映画ジャーナリストの
田中宏子さんは
健さんの人となりを
エピソードを交えて
紹介している。


寡黙で折り目正しく
ストイックで
情に厚い・・・・・。
役の上でもプライベート
でも、古き良き日本人の
体現者だったと思う。

昨年秋に文化勲章を
受賞したとき、
こんなコメントを発表
した。
「今後も、この国に生まれて
 よかったと思える
 人物像を演じられるよう

 人生を愛する心、
 感動する心を養いたい
 と思います」

初めてお会いしたのは
昭和63年。
北アフリカのサハラ砂漠を
訪ねたときだ。
視界がゼロになる砂嵐に
何度も襲われる中、
連日深夜までの撮影を
続けていた。
「役者として
 金を稼ぐだけなら
 もっと楽な仕事を
 選びます。
 よく分からないんですけど、
 自分の中で
 何かを求めているものが
 ある
のでしょう。
 どんなに過酷でも、
 それを苦しむか
 楽しむかは心のスイッチ一つ
 
じゃないでしょうかね」
芝居には役者個人の
 生き方が出る
」と、
常に語っていた。
撮影現場では
休憩中も立ち続けた。
椅子に座ると
 緊張感がなくなる
から」
とのことだが、
スタッフへの気配り
あったのだろう。

平成11年の「鉄道員」
北海道ロケでは、
「北極にも南極にも
 行ったので、寒さは
 苦にならない。
 若いスタッフが
 体調を崩さなければ
 いいのですが・・・・」と、
周囲を気遣った。

だから、スタッフや
俳優仲間から敬愛された。
健さんにあこがれて
芸能界に入った
小林稔侍さんも、その一人。
「鉄道員」で
共演した際には
「稔侍君はですね、
 本番で感情を出さずに
 ガスを出したんですよ。
 たぐいまれな俳優です」
と言って大笑い。
ユーモアも持ち合せていた。

今、健さんにいただいた
サイン入の万年筆を手に
取ると、改めて
悲しみが込み上げてくる。
(産経新聞11/19 
 29(社会)面抜粋)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月17日

作詞家山口洋子さんの独創性が光る、よこはま・たそがれ

'14年9月17日(水)
[山口洋子] ブログ村キーワード

五木ひろしの歌う
「よこはま・たそがれ」は
新鮮で衝撃的であった。
作詞は最近亡くなった
山口洋子氏(作曲平尾昌晃氏)

単語の連続が聴く者の
連想を導き、情景を伝える。

よこはま たそがれ
ホテルの小部屋 くちづけ
残り香 煙草のけむり
ブルース 口笛 女の涙

(あの人は 行って 
 行ってしまった
 あの人は 行って 
 行ってしまった)
もう帰らない

裏町 スナック 
酔えないお酒 ゆきずり
嘘つき 気まぐれ男
あてない 恋唄 流しのギター

(括弧の繰り返し)
もうよその人

木枯し 想い出 
グレーのコート あきらめ
水色 つめたい夜明け
海鳴り 燈台 一羽のかもめ

(括弧の繰り返し)
もうおしまいね

山口洋子さんの訃報
「よこはま・たそがれ」
などで知られる作詞家で
直木賞作家の山口洋子さんが
6日午前1時6分、
呼吸不全のため東京都内の
病院で死去していたことが
15日、分かった。77歳だった。

「噂の女」、「うそ」、
「ブランデーグラス」―。
数多くのヒット曲を
手掛けた山口さんが、
静かに息を引き取っていた。

関係者によると、
山口さんは昨年1月に
誤嚥性肺炎で入院し、
その後も入退院を繰り返し
ていた。それでも
主治医と散歩するなど
安定した日々を送って
いたが、今月5日に
容体が急変。
近親者に見守られながら、
息を引き取ったという。

山口さんは
女優としてデビュー後、
60年代後半から作詞
始めた。
一方で、東京・銀座で
高級クラブ」を開業。

「信じられません・・・」と
ショックを
隠しきれない様子だったのは
五木ひろしだ。

65年に「松山まさる」で
デビューしたが、
ヒット曲に恵まれなかった。
ところが、
71年に山口さんと作曲家の
平尾昌晃氏
(76)のコンビ
による「よこはま―」で
再デビューすると、
同曲が大ヒット。
体言止めを多用した歌詞が
評判を呼んだ。
(サンケイスポーツ9/16 19面抜粋)

「よこはま・たそがれ」の
詩のなかで、
なぜ、恋歌ではなく
恋唄なのか。
なぜ、灯台ではなく、
燈台なのか。
作詞家山口さんの
こだわりが感じられる。

一番の結びは
もう帰らない」、
二番は「もうよその人」、
最後は「もうおしまいね」
と諦めへのステップを
登っていく
悲しい歌である。

井上靖、三島由紀夫、
石原慎太郎、
ウイリアム・フォークナー。
詩を研究した作家は
作品を読み始めれば、
出だしですぐにそれが
分かる。

直木賞作家山口さんの
作品もきっとそうであろう。

参考(歌唱履歴)
YouTube-五木ひろし 「よこはま・たそがれ」  
YouTube-五木ひろし 「よこはま・たそがれ」  
YouTube-五木ひろし 「よこはま・たそがれ」 

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする