宮沢賢治の「雨にも負けず」の
詩のように実践しようとすれば
凡人には難しいところが
あります。
「慾はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
・・・・・・・
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
・・・・・・・・・・
東に病気の子供あれば・・・・・・
西に疲れた母あれば・・・・・・・・・
南に死にそうな人あれば・・・・・
北に喧嘩や訴訟があれば・・・・・
・・・・・・・・
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに
わたしは なりたい」
雨や風はいろいろな風当たりの
象徴ではないでしょうか。
容易には達成できない目標を
高く掲げているので、
読む者の心に響くのでしょうが、
決して怒らず、いつも静かに
笑っている者に、
他人のために東奔西走する
力はおそらくありません。
亡くなった父は明治生まれで、
敗戦による農地改革前の実家は
大地主でした。
ちやほやされて
わがままに育ったせいか、
思うようにならないと、
寝ていて腹が収まらず、
布団を蹴飛ばすことも
ありました。
議論が沸騰すると、
囲炉裏の煮えたぎった鉄びんを
相手に投げつけたこともあった
ようです。
自宅と道路を挟んで小学校が
あります。
兄弟が卒業するまで
PTA会長をしていましたので、
何か訳があったのでしょうが、
あるとき、垣根を乗り越えて、
教室に暴れこみ、
授業中の女性教師が
窓から逃げたのを
目撃しています。
それでも通った時代だったの
でしょう。
感情を爆発させて生き抜いた
一生でした。
子どもたちへの手加減も
ありませんでした。
這い這いの幼児だったころ、
万年青(おもと)に触れたことで
産毛の頭に平手打ちをもらい
手の跡がついたと
後年、従姉から聞きました。
妹は父の理不尽な命令が
承服できず、相撲のように
父の胸倉にむしゃぶりついて、
下駄を履いたままの左足で
二枚蹴りをされました。
お仕置きは食事を抜かれたり、
家に入れてもらえなかったりで
量刑は父の怒りの度合で
決められました。
叱られてから2、3日は、
笑顔を見せないとうにしないと
反省していないとして、
また叱られました。
父の教育方針ではなかった
でしょうが、
兄弟は耐える力と耐える習性が
身に付きました。
一方、自尊心を恒常的に
傷つけられたままては
生きられませんので、
恐怖に立ち向かうことも
覚えました。
反面教師として教わった
こともあったでしょうが、
楽に生きていけることで
父には感謝しています。
兄弟を含め、自分たちの
子どもには、多少は父と同じような
接し方をすべきではなかったかと
悔悟の念があります。
仏壇で詫びる必要のないように
雨風(世間)には負けられません。
注
二枚蹴り(にまいげり):
相手を吊りながら、
足の裏で相手の足の外側を蹴り、
蹴った足のほうに倒す技
二枚とは、
膝から足首までの外側のこと
参考
雨にも負けず(宮沢賢治)- 偉人の名言とその出典
Category:相撲の決まり手 -Wikipedia




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ちと厳格すぎるお父上様とも思えますが、当時の立派な教育者でもあった方でしょうね。私などは百姓の長男として生まれて、当時は皆、麦飯が普通でしたが百姓家で長男は大事にする習慣であったのでしょう。仏壇のお供えと私の茶碗に白いご飯を盛ったあと、すぐ上に浮いた麦と白米をよく混ぜて(3:7程度だったか)麦飯を食べていました。おかげで心優しき脆弱な「総領の甚六」として生きながらえています。これからも雑学博士のブログ愉しみにしております。
身に余るお言葉痛み入ります。
また、ブログよりも言葉の整ったコメントをいただき、恐縮しております。
まだ勢いだけで文章の角がとれておりません。読んでくださる方がおられることを励みに精進いたします。