2021年01月15日

根拠なき自己過信と、失敗したときの底知れぬ無責任

‘21年1月15日(金)

おととい(12日)90歳で
亡くなった歴史探偵こと
半藤一利さんは、
生きた忠犬ハチ公に会った
体験を書いたり語ったり
している。
4歳の折、東京の浅草から
地下鉄などに乗り渋谷へ。
ハチにせんべいをあげたと
いう。
下町育ちの昭和の生き証人は
史実をグッと身近にして
くれた
▼ボートに明け暮れた
学生時代を経て、文芸春秋社へ。
終戦時の政府や軍部、宮中の
混乱を取材し
「日本のいちばん長い日 
 運命の八月十五日」を
まとめあげた。
「週刊文春」など雑誌の
編集長としても活躍し、
専務を最後に退社してからは
「ノモンハンの夏」など
数々のノンフィクションで
戦争の愚かさや悲惨さを
訴えた
▼一枚の写真が対談集に
載っている。
半藤さんが8歳の時、
夏のラジオ体操の後、
友人たちと肩を組む姿だ。
ランニングシャツに
満面の笑みである。
この7年後、
愛する故郷が大空襲の
炎に包まれるとは思いも
しなかったろう。
逃げ惑った末に
川に落ちた半藤少年は、
誰かに襟首をつかまれ、
船に引き上げられたのだ
という
▼ベストセラーとなった
「昭和史1926-1945」は、
あちこちに当時の指導者らへの
怒りがたぎっている。
「それにしても何とアホな
 戦争をしたものか」。
一節が重い。
「根拠なき自己過信と、
 まずくいったときの
 底知れぬ無責任」。
昭和史の結論だそうだ。
出口の見えないコロナ禍、
改めて遺訓として
かみしめたい。
(春秋 日本経済新聞1/14 0:00)

参考
半藤一利(来歴)
先祖は長岡藩士。
東京府東京市向島区
(現在の東京都墨田区)に
生まれる。
実父は運送業と区議を
つとめる。近所に幼少期の
王貞治が住んでおり
顔見知りだった]。
東京府立第七中学校に入学、
1945年(昭和20年)3月の
東京大空襲では逃げまどい
中川を漂流し、死にかける
体験をする。
茨城県の県立下妻中学校を
経て、父の生家のある
新潟県長岡市へ疎開し、
県立長岡中学校3年次で
終戦を迎え、そこを卒業後
東京へ戻る。
浦和高等学校 (旧制)
(学制改革のため1年間で修了) を
経て、東京大学へ進学。
大学ではボート部で活躍した。
東京大学文学部国文科卒業。
(wikipedia)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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