2020年03月24日

夢はみるが涙は見せない女性、宮城まり子さん逝く

‘20年3月24日(火)

○読売新聞
宮城まり子さんが芝居に歌に
大活躍していた頃、その陽気で
楽天的な素顔を、
東京の「下町っ子」と評した
評論家がいたという
◆宮城さんを娘役に脚本を
書いたことのある花登筐(はなとこばこ)
大阪人として、ジェラシーを
覚えたらしい。
次の<まりちゃん>評を残している。
<私は、彼女を見ると大阪の芸人の
 とうはん(お嬢さんの意)を
 連想する。外見はハデでも、
 きびしい家計のやりくりをして、
 男まさりで、そのくせ情に弱く、
 夢はみるが涙は見せない・・・>
◆そんな<とうはん>は
この文章の2年後、新たな道に
踏み出す。肢体不自由児の
養護施設「ねむの木学園」の
設立である
◆「この世にだめな子なんて
  一人もいない」。
私財をなげうち、華やかな生活を
捨てて福祉に人生をささげた
宮城さんが93歳で亡くなった。
「小さな体で身を粉にして
 子供たちのためだけに働き、
 本当の『お母さん』のよう
 だった」と、親交のあった
大宅映子さんは語る
◆この後半生は、彼女こそ
人情劇にふさわしいと讃えた
花登氏の想像をはるかに超えた
ものだろう。
学園のなかでまりちゃんが
見せていた情と夢は、演技では
ないのである。
(編集手帳 讀賣新聞3/24)

○産経新聞
男女間の性の深淵を描き続けた
作家、吉行淳之介さんの全集
(新潮社)の最終巻に、
人生のパートナーだった女優の
宮城まり子さんに送った13通の
手紙が収録されている。
書かれたのは、昭和34年11月から
翌年1月にかけて。
宮城さんは妻子のある吉行さんとの
恋愛に終止符を打つために、
ニューヨークに滞在していた
▼「君のことは、大好きです」。
ストレートな愛の言葉もあれば、
こんな変化球も。
「小生誘惑が多く、毎日神さまに
 お祈りして、日を送っている」。
宮城さんに焼きもちをやかせて、
帰国をうながそうとしている
▼宮城さんが肢体不自由児養護施設
「ねむの木学園」を創立する
きっかけとなったのは、
ミュージカルで脳性マヒの少女を
演じたことだった。
役づくりのために取材に通った
病院の医師から、「就学猶予」という
言葉を教えられる
▼重い障害のために教育が
受けられない子供の存在を知って、
大きなショックを受けた。
女優のかたわら福祉の勉強を続けた。
施設の創設を吉行さんに相談すると、
「3つの約束が守れるなら」と
OKが出た。
「愚痴はこぼさない、お金がないと
 言わない、途中でやめない」
▼静岡県掛川市にある学園が
今年創立52年を迎える。
大人のための養護施設や美術館、
吉行さんの文学館もつくった。
宮城さんは吉行さんとの約束を
守り切り、93年の生涯を終えた
▼「今年は何か賞がほしかった。
  鳥獣虫魚で貰いたかった」。
手紙の中で宮城さんが、
特に気に入っている記述である。
2人の恋愛が描かれて作品だからだ。
宮城さんは平成6年に亡くなった
吉行さんから作品の著作権を
受け継いでいる。
自ら編集した吉行さんの短編集に、
「鳥獣虫魚」が含まれている
ことは、いうまでもない。
(産経抄 産経新聞3/24)

作家・吉行淳之介を愛し、二人の
子供たちとして、「ねむの木学園」で
その世話をしたかったのでは
ないか。

7年前、東京都内のコンサートで
歌った「愛の賛歌」では
長年のパートナーだった作家・
吉行淳之介さんへの思いを込め
「淳ちゃーん」と叫んだ。
(要旨 讀賣新聞3/24 31(社会)面)
posted by (雑)学者 at 17:19| 千葉 ☀| Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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