2019年07月27日

人間は悪食ゆえに健康でいられる、ウナギも然り

'19年7月27日(土)

歌人の斉藤茂吉は美食家
ではなかったが、ウナギ
には目がなかった。
父には好物を通り越し、
信仰のようなものだったと、
次男の作家・北杜夫さんが
書いている
(『どくとるマンボウ追想記』
 中公文庫)
◆今の広告の基準なら
「個人の感想です」と、
断りを入れねばならない
ような食後感も残している。
「食べて五分もすると、
 目が輝いて、樹木の緑が
 食べる前と違って見える」
◆長男のエッセイスト
斉藤茂太さんも思い出を
つづっている。
「町なかのどこにでもある
 ウナギ屋を愛し、上中下
 とあると、下か、奮発
 しても中だった。上は
 決して注文しなかった」
◆上中下は今のお店なら
「松竹梅」だろうか。
つつましいウナギの食し方
としては、奮発しても
竹どころか梅という時代に
なって久しい。
例のごとく高値続きのまま、
あす(27日)
「土用の丑の日」を迎える。
財布の中身と相談しつつ、
エイヤッとのれんをくぐる
方は多いことだろう
◆ウナギは視覚に作用する
ビタミンAを含む。
目の疲れる仕事をしている
小欄も、茂吉のように
回復を実感したことがある
(個人の感想です)。
夏の緑をすっきりまなこで
楽しめたら。
(編集手帳 讀賣新聞7/26)


昨年の今ごろ、従姉が嫁いで
いるウナギ屋に知り合いと
入った。
竹か梅かの議論の余地なく、
小ぶりが入らないので
竹以上しか出せないという。

ウナギは金を払って食べる
ものという認識は大人に
なってからである。
昔は、農作業を終えて
引き揚げるとき、田んぼの
ため池に入れば、ウナギは
バケツ半分位は訳なく捕れた。
素人の調理でも美味しいと
想って食べた。
どうして、グロテスクな
ウナギやナマズを食べるのか。

利根川を渡ったスーパーでは
産地の茨城とあって、納豆は
30種類位並んでいる。
体にいいといっても
日本に住む外国人はなくても
暮らせるだろう。

悪食は健康の元である。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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