2018年10月12日

「何だ3番か」、子の教育は子を知る親にしかず

'18年10月12日(金)
[生理用品] ブログ村キーワード

ユニ・チャームの創業者、
高原慶一朗さんが、
前身となる会社を設立したのは、
昭和36(1961)年である。
その翌年には、
米国へ視察旅行に出かけた。
一番驚いたのは、
サンフランシスコの
スーパーでの光景である
▼女性客が山積みされた
生理用品を、まるで
ポテトチップスを買うような
気楽さで
カゴに放り込んでいた。
日本ではまだ、薬局の片隅で
人目をはばかって
売られていた時代である。
高原さんはひらめいた。
「いいものつくって、
 明るく売ったらいける」
▼もっとも国内では、
坂井泰子(よしこ)さんが
すでにアンネナプキンを
世に送り出し、9割のシェアを
占めていた。
高原さんらは商品開発に
励む一方で、しらみつぶしに
問屋に飛び込み売り込んだ。
商品を身につけた高原さんが
トイレを借りて取り出し、
優秀さを説明しようとして、
相手をあきれさせたものだ
▼46年には、ついに
生理用品で首位の座を奪う。
ただ誰よりも報告したい相手は、
この世にいなかった。
母親のアヤコさんが前年、
67歳で亡くなっていた。
通夜の席上、泣き崩れた姿は
その後も家族の間で語りぐさに
なった。本人曰(いわ)く。
「強烈なマザコン」である
▼5人兄弟の長男である
高原さんの誕生日だけ、
鯛の尾頭付きが用意された。
それだけ母親の期待が
大きかった。
小学生の頃いじめを受けて
泣いて帰ると、
「みっともないことは
 するもんやない」と
突き放された。
試験で学年3番になったと
報告しても、返ってきた言葉は
「なんや3番か」である
▼以来1番をめざして
がむしゃらに突き進んできた、
高原さんの訃報が届いた。
87歳だった。
会社は幾度もあったピンチを
乗り越え、現在は紙おむつでも
トップに立つ。
高原さんは胸を張って母親に
報告できそうだ。
(産経抄 産経ニュース10/11 05:00)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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