2018年07月12日

豪雨が降り続けば激甚災害になるという危機意識を

'18年7月12日(木)
[洪水] ブログ村キーワード

全国紙
「家も財産もすべて
 流された。
 両親も妻子も失った。
 嘆き悲しむ者は数を
 知らず」。
現在の群馬県太田市にある
青蓮寺(しょうれんじ)
住職が記した
『寛保洪水記録』の
一節である
▼江戸中期、
徳川吉宗の治世だった
寛保2(1742)年に
関東甲信越地方を襲った
大水害の被害を記録した
ものだ。暴風雨によって、
千曲川や利根川、荒川、
江戸川で洪水が発生し、
100万都市だった江戸は
水没した。
死者は2万人を超えた
といわれ、江戸期最悪の
水害の一つに数えられる
▼西日本を中心とした
豪雨による死者は、
12府県で計150人を超えた。
平成で最悪の大水害である。
瀬戸内海に浮かぶ小さな
島では、小学生の姉妹が
家ごと土砂にのみ込まれた。
300人の島民にとって、
宝物のような存在だった。
「なんで
 こんな場所におるん」。
広島県熊野町では、
婚姻届け出したばかりの
妻の遺体の前で、
54歳の男性が泣き崩れた
▼土砂崩れの現場では、
今も安否不明者の捜索が続く。
豪雨とは打って変わって、
被災地は厳しい暑さに
見舞われている。
避難所では、体調不良を
訴える声が上がり始めた
▼幕府は、江戸の町々の
名主に船を出させて
救助活動を行った。
町奉行は料理茶屋の
経営者に
炊き出しの代行を命じた。
もっとも被災者にとって
頼りになったのは、
むしろ
自らも被災した江戸の
人々である。
「施行(せぎょう)」と
呼ばれる
寄付金や援助物資が
続々と届けられた。
食料から衣料や紙まで
広範囲にわたる。
三井越後屋(三越の前身)は、
金100両分の握り飯を
配った。
(『天、一切ヲ流ス』
 高崎哲郎著)
▼幕府は、被害が
小さかった西日本の大名に
「手伝い普請」、つまり
被災地の復旧工事を命じた。
今回は、東日本が
手を差し伸べる番である。
(産経抄 産経ニュース7/11 05:00)


東北地方ブロック紙
連日のニュースに驚く
ばかりだった。
西日本を中心に12府県で
100人以上が亡くなった
豪雨災害。
大規模な土砂崩れで
集落が埋もれ、見渡す
限りの家々が軒まで
水没し孤立するなど、
大水害が広い地域で
ごく短い時間に起きた
▼多くの自治体で
3日間の雨が500_
前後に達し、1000_を
超える想像のつかぬ量が
降った所も。
目が覚めたら、家に
水がごうごうと流れ込み、
2階に逃れて助かった
人がいる。浸水に追われ、
2階の押し入れで愛犬と
2晩過ごした人もいるそうだ
▼「(神戸で体験した)
 阪神大震災より水が怖い」。
ベランダで救出された
被災者のこんな談話があった。
阪神などの直下型地震で、
避難する暇もない激震が
報じられてきた。
今回の豪雨でも、不意打ち
同然に巻き込まれた
犠牲者が多いのでは
▼気象庁が6日夜に
発令した大雨特別警報。
「経験したことの
 ないような大雨で、
 重大な危険が迫った
 異常事態」と
身を守る対処をテレビで
呼び掛けた。
各地の行政無線なども
伝えたはずだが、
夜間にどれほど効果が
あったか
▼3年前、記録的豪雨が
降った宮城県にも
特別警報が出された。
仙台市が深夜から未明、
約41万人を対象に
避難の指示、勧告を伝えた。
実際の避難者はわずか
約3千人。
「豪雨」への意識、備えを
変えなくては。
(河北春秋 河北新報ONLINE NEWS‘18/7/10)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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