2017年11月13日

郷に入っては郷に従う、エスカレーターの乗り方

'17年11月13日(月)    
[エスカレーター] ブログ村キーワード

大阪に新幹線で出張した
東京のサラリーマンは、
新大阪の駅で降りて
地下鉄へ向かうエスカレー
ターに乗るとき、
大きなカルチャーショックを
受ける。
人がエスカレーターの右側に
ズラリと立ち並び、
急ぐ人は左側をスイスイ
歩いている・・・・・・。
東京とはまるで反対の
通行ルールに驚きを覚える
のだ。

日本全国のエスカレーターに
おける右立ちと左立ちの
分布を調べてみると、
大阪流の右立ちに統一されて
いるのは、大阪をはじめ
神戸、奈良、和歌山の
関西圏と仙台である。

これにたいし、左立ちは
東京をはじめとする東日本の
各都市と札幌や福岡など、
ほぼ全国的に分布している。
つまり、日本では左立ちが
圧倒的に多いのだ。

この習慣については、
江戸に武士が多かったことが
関係しているといわれる。
武士は刀を左腰に差して
いたため左側を歩く習慣が
あり、それが定着したという
説があるのだ。

しかし、この説は信憑性が
低い。東京で左立ちが定着
したのは1990年代のことと
されており、武士の習慣が
平成の世にまで受け継がれて
いたとは考えにくいのである。

そこで有力視されるのが、
人は歩行するさい自然と
左側に寄る、という心理的な
法則だ。

通常、「人は右、車は左」と
されており、道路交通法では
「歩行者は
 歩道と車道の区別のない
 道路では、道路の右側端に
 よって通行しなければ
 ならない」と定められている。

しかし、駅構内や地下道など
では、この法律の原則からは
外れているため、
左側を歩いても問題はない。
すると、人はなぜか左側を
歩きたい気持ちになるらしく、
いつの間にか
左側通行の習慣が全国的に
定着してしまったというの
である。

では、なぜ大阪周辺だけが
右側に立つのか。
一説によれば、かつて大阪には
右手に風呂敷包みを抱える
商人が多く暮らしており、
彼らは包みを奪われないように
右側に立った。
その名残から関西圏は右立ちに
なったといわれている。
しかし、本当のところ、
右立ち習慣が生まれたのは
昭和45年(1970)に開催
された大阪万博がきっかけと
されている。

当時、大阪には全国各地から
大勢の人が訪れた。
阪急電鉄は混乱を避けるため
の方策をあれこれ考え、
「エスカレーターでは
 左側を空けてください」と
アナウンスすることにした。
なぜなら、ヨーロッパをはじめ
世界各国が右立ち・左空け
だったからである。

すると、それがそのまま
関西地方で定着し、今に残って
いるのだという。
日本では局地的な習慣だが、
じつは「大阪流右立ち」は
世界基準だったのである。

ただし同じ関西でも、
京都だけは勝手がちがう。
JR京都駅ビルや地下鉄の
京都駅などでは、左だったり
右だったりと、時間や
場所によってバラバラなのだ。
日本中から観光客が集まる
古都の玄関口らしい状態と
いえるだろう。
(博学こだわり倶楽部編
 関西の鉄道 関東の鉄道
 河出書房新社)


今月月末に兵庫県川西市に
行く。
新大阪で新幹線を降りたとき、
エスカレーターに乗って
忘れかけていた、初めての
ときのカルチャーショックを
思い出す。

拙意だが、
左側を歩きたがるのは
利き腕を自由にして
荷物よりも大事な
身を守るという本能的な
意識ではないだろうか。

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。