2017年09月14日

つないでもらった命、感謝の言葉が見つからない

'17年9月14日(木)    
[臓器移植] ブログ村キーワード

昨年10月、福岡市で
行われた日本脳神経外科
学会の総会。
妻が脳死ドナー
(臓器提供者)となった
会社員の五十嵐利幸さん
(67)が登壇した
シンポジウムに、
肺移植を受けた
高校の保健体育教師、
横山美紀さん(47)も
並んだ。
直接のつながりはない
とはいえ、同じ場で
ドナー家族と移植を受けた
人が語るのは珍しい。

2008年に移植を受けた
横山さんが、ドナー家族と
直接会うのは初めてだった。
硬くなって臨んだが、
妻がだれかの体のなかで
生きていると希望を抱く
五十嵐さんの話を聞くうち、
緊張がほどけていった。

「私がドナーと一緒に
 生きているんだ」

そう実感できた。
人の臓器を受け取ったことで、
ずっと抱き続けた葛藤から、
解放されるようだった。

横山さんが難病を発症した
のは、26歳だった1996年。
筋肉系の細胞の一部が
異常を起こし、肺などで
腫瘍細胞が増殖する
「リンパ脈管筋腫症」。
息切れや呼吸不全を
起こすため、安静に
過ごすしかなかった。

動くのが日に日に苦しく
なり、階段を上るのも
ゆっくり1段ずつ。
それでも発症から12年間、
できる範囲で仕事を続け、
闘病した。

97年に臓器移植法が施行
されると、日本でも
脳死の人からの肺移植が
できるようになった。
横山さんも待機患者として、
臓器を仲介する
日本臓器移植ネットワークに
登録。
2年8か月待って、移植が
実現した。

移植は10時間がかりの
難手術だったが、
その効果は劇的だった。
手術後に鏡を見ると、
ピンクがかった自分の肌に
驚いた。
それまで顔はいつも青白く、
指先は紫だった。
リハビリを始めると、
動くのがウソのように楽
だった。

移植を受けた患者は、
同ネットを通じて
ドナー家族に
「サンクスレター」を贈る。
横山さんもペンを執ったが、
ありきたりな言葉しか
浮かばない。
「感謝、いえ、それ以上の
 気持ちなのに」。
本当の思いを表現しきれな
かった。

やがて、自分にできるのは
経験を伝えることだと
感じるようになり、毎年、
授業で生徒に臓器移植に
ついて話している。

単なる体験談ではいけない。
移植で元気になった自分が
語ることで、
臓器提供を促すことに
ならないよう慎重に言葉を
選ぶ。
大事なのは、生徒自身が
考える機会を作ることだ。

ただ、いつも一つだけ、
移植を受けた患者としての
感情を込めた問いを
投げかける。

「『ありがとう』の上の
 言葉って何だろう」

答えはない。
ただ、命をつないで
もらった人が抱くのは、
それほど大きな、
想像を超えるほどの
感謝だと知らせたい。
(医療ルネサンスNo.6634
 臓器移植法20年 贈る思い2/5
 讀賣新聞9/13 15(くらし)面)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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