2017年08月07日

国際社会に向けて声高に核廃絶を訴えられる国なのに

'17年8月7日(月)    
[広島] ブログ村キーワード

8月6日の朝、
広島は穏やかな青空が
広がっていました。
14歳だった私は、
市内にある
逓信省貯金支局の3階に
いました。
学徒動員で働いていたの
です。
突然、目の前の大きな窓が
強烈な光を発しました。
七色の光線の束が
百も千も集まったようで、
目がくらむ美しさでした。

「太陽が落ちてきた」

そう思った瞬間、
意識を失いました。
気がついた時、私は部屋の
真ん中にいて、全身に
ガラスの破片が突き刺さり、
右目あたりから
大量の血が流れていました。
亡霊のような姿になった
人たちとひしめき合って
階段を下りて逃げました。

近くの日赤病院は、
避難してきた人であふれて
いました。
おなかが裂けて
飛び出してくる腸を
押し込んでいる人、
赤黒く焼けただれ、
膨れあがって目鼻も
わからない人、
年齢も性別もわからない、
すっかり人間の姿を
失った人、人、人。
きっと私は悪夢の中に
いるのだろうと思いました。

街は夜通し燃え続けました。
病院にも火が回ったので、
私は前庭の植え込みの中に
避難し、全身に火の粉を
浴びながら一夜を過ごし
ました。

「家族に会いたい」。
夜が明けた後、
まだあちこちがくすぶる
焼け野原のがれきの上を
はだしで歩きました。
炭になった電柱、子どもを
抱いた姿のままの白骨、
人間も動物も鳥も、
生きて動くものを見ません
でした。
家の近くの道で、
母と姉と叔母と再会し、
父と7歳の弟が避難した
小学校に行く途中、
炭になった真っ黒な遺体が
ありました。
9、10歳くらいの少年だと
私は思いました。
 突然一条の閃光が
 少年を貫いた
 彼は一本の火柱となった
一瞬 炭素と化した少年は
焦土に大の字に横たわり
空洞の眼を大きく見開いて 
 天を睨んだ(「少年」より)

この時に見た光景を
詩にしたのは、それから
40年以上たってから
でした。
(詩人 橋爪文(ぶん)さん86)
(語り継ぐ 受け継ぐ 戦後72年1 
 讀賣新聞8/6 1面)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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