2017年07月14日

可憐な少女はうたのおばさんとなって生涯を閉じた

'17年7月14日(金)    
[初恋] ブログ村キーワード

国語学者の金田一春彦さんに
初恋の回想がある。
旧制浦和高校に入って
まもない初夏のこと。
学生寮から東京に帰省した
とき、近所の道で
可憐な少女ににっこり
挨拶された
◆<魂が宙に飛ぶ
 というのはこういう
 ときだろうか>
(東京書籍
 『ケヤキ横丁の住人』)

恋文をしたため、
少女宅の郵便箱に託した。
やがて返信が届いた
◆<私の娘は、まだ
 女学校の一年生である。
 貴下の手紙にお返事を
 書くようなものではない。
 貴下は立派な学校に
 入学された前途ある方で
 ある。どうか他のことは
 しばらく忘れて
 学業にいそしまれよ。
 少年老い易く・・・>
◆何年かして応召するとき、
見送りの人垣のなかに
少女の顔を見つけた。
金田一さんが少女と初めて
言葉を交わしたのは、
それから30年余り後の
ことである。
「あの日、
 理由は何も告げず、
 父は言いました」。
今日出征する人の見送り
には必ず参列しなさい、と。
かつての少女は、
「うたのおばさん」として
親しまれる童謡歌手に
なっていた
◆安西愛子さんの訃報
(享年100)に接し、
金田一さんの失恋談議を
読み返している。
謹厳にして情けあり。
昔は立派な父親がいた。
(編集手帳 讀賣新聞7/13)

応召は、1938年だから
金田一さんの生まれた年
(1913年)を引けば、
25歳のとき。
見送った安西さんは
生まれが1917年だから
21歳のときである。

安西愛子さんは、
味気ないだけの職場内
教育のカリキュラムに
付け加えられた音楽の
授業に、
ピアノ伴奏の明本京静さん
と一緒に週に一度、
‘64年と’65年の2年間、
歌唱指導に来られた。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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