2017年03月20日

練習はぶっ倒れてから始まる、とジャイアント馬場

'17年3月20日(月)
[ジャイアント馬場] ブログ村キーワード

プロレスの練習は、
ぶっ倒れてから始まる
ものだと知った

ジャイアント馬場
「王道十六文」(1987年)



早朝。
切り妻造りの町屋が並ぶ
新潟県三条市を、
野菜や果物をいっぱいに
載せたリヤカーを引いて
小学生が歩いていた。
プロレスラー、ジャイ
アント馬場の少年時代
である。
実家は青果商で、
市内外で開かれる朝市に
毎朝、テントの店を
出していた。
時には片道10`以上の
市場まで、リヤカーを
自転車に付けて引っ張った。
雪道はソリで引いた。

小学5年生から、
高校を中退して巨人軍に
入団するまでの7年間、
毎日、登校前に
リヤカーを引いたという。
前三条市長の高橋一夫
さん(79)は、
「当時の子供はみんな、
 親の手伝いをしてから
 登校した」と話す。
馬場とは中学の同級生で、
席も近かった。
体は大きいが、優しく、
穏やかな人だったと
記憶している。

三条実業高校野球部の
エースだった馬場は、
1955年、巨人軍に入団。
主に二軍の投手として
活躍した。
練習ではひたすら
走らされたが、苦では
なかった。
「7年間、1日も休まず
 重いリヤカーを引いて
 きた」との自信があった。
その馬場でさえ
音を上げたのがプロレスだ。

けがで野球を断念し、
60年にプロレスに転向
した馬場を待っていたのは、
力道山道場での
「足の運動3000回」。
しゃがんでは立つ
スクワット(屈伸)だが、
倒れると水をかけられ
また倒れる繰り返し。
「プロレスの練習は、
 ぶっ倒れてから
 始まるものだと知った」。
それでも耐えたのは、
野球で成功できず
「この世界で
 男になれなけりゃ、
 もう死んでも
 郷里に帰れない」
と思ったからと自伝にある。

高橋さんは東京で2度、
馬場に会った。
最初は東京の大学に通って
いた時。
巨人の二軍にいた馬場が、
電車の中で網棚に肘を
置いて顔を隠していた。
話しかけても、ボソボソ
答えるだけだった。
次は三条に戻ってから、
昭和40年代中頃だった。
所用で上野駅に行くと
人だかりが出来ていた。
列車の中に馬場がいた。
サインに応じる堂々たる
姿に、
「自信がつくと、
 こうも人は変わるのか」
と驚いた。
リヤカーを引き、走り、
屈伸し、びたすら
脚力を鍛えた馬場は、
いつしか、
「世界の馬場」になって
いた。
(文・小梶勝男)
(名言巡礼 讀賣新聞3/19
 日曜版1面)


体力に恵まれた人には
練習は不要だと思っていた。
しかし、大きな体は、
元横綱曙のように、
下半身の鍛錬が人一倍
必要なことも納得できる。

馬場の言葉がある。

基本である1、2、3を
きちんと練習しないで、
いきなり4とか5を
やるな
(桑原晃弥 トップアスリート
 名語録 PHP文庫)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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