2017年02月18日

歴史は歴史的事実の視点や評価によって流動的である

'17年2月18日(土)
[鎖国] ブログ村キーワード

徳川幕府の5代将軍
綱吉の前で、自作の
恋の歌とダンスを披露した
外国人がいた。
博物学者のケンペルである。
同じドイツ人の
シーボルトより130年も
前の元禄3(1690)年に
来日し、2年間滞在した。

▼偏見のない日本研究の
成果は、死後10年たって
出版される。
日本人の礼儀正しさや
富士山の美しさをたたえる
文章は、欧米の知識人の
日本観に大きな影響を
与えた。
幕末のペリー提督や
現在のエリザベス英女王も
来日前に、目を通していた
という。

▼実は、「鎖国」という
言葉の誕生にもかかわって
いる。
ケンペルは、日本の安全と
平和を維持するために、
国を閉ざしたのは
賢明だった、と評価して
いた。
蘭学者の志筑忠雄
(しづきただお)
「鎖国論」と題して翻訳し、
広がった。

▼もっとも明治時代になると、
欧米諸国に比べて近代化が
遅れた原因として、
否定的な意味で使われる
ようになる。
どちらにしても、長らく
江戸時代を特徴づける言葉
として定着してきた。

▼ところが近年、
歴史学界では
「鎖国見直し論」が
盛んになっている。
幕府は、長崎と対馬、
薩摩、松前という
4つの窓口を通して、
中国とオランダ、
蝦夷地と交易し、
朝鮮・琉球からは
使節を迎えていた。
そんな実情に合わない
用語だというのだ。
文部科学省によると、
次期学習指導要領の
改定案では、
小中学校の社会科から
その表記が
消えることになった。

▼「聖徳太子」についても、
没後100年以上
たってからの呼称だとして、
「厩戸王
 (うまやどのおう)」に
変えるという。
昔、鎌倉幕府の成立は
「1192(イイクニ)
 つくろう」と
語呂合わせで覚えたものだ。
最近では、1185年の方が
有力だと聞いた。
子供から歴史の教科書を
借りて、
時代遅れの知識を
整理し直す必要があり
そうだ。
(産経抄 産経新聞2/17)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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