2016年09月12日

成せば成る、と家訓、自らも実践した藩主上杉鷹山

'16年9月12日(月) 
[上杉鷹山] ブログ村キーワード

成せば成る 成さねば成らぬ
何事も 成らぬは人の
成さぬなりけり

 上杉鷹山「上杉家文書」
 (1789年)

旧城下町を囲むように
水田が広がる山形県米沢市。
水田開発が盛んに行われた
のは、米沢藩中興の祖である
上杉鷹山(1751〜1822年)の
時代だった。
この頃に整備された水路は、
今も大地を潤している。

高鍋藩主の次男として
江戸に生まれた鷹山は、
世継ぎのなかった
米沢藩主・上杉重定の
養子に迎えられる。
15歳で名門の家督を継いだ
鷹山は、巨額の負債を抱え、
財政難に苦しむ藩の
立て直しに心を砕く。

倹約令にあらがう
守旧派の重臣たち。
長雨や日照りなどによる
飢饉。貧困に伴う人心の
荒廃。改革への道は、
苦難の連続だった。

倹約のイメージが強い
鷹山だが、それ以上に
人を大切にした。
領内の長寿者を褒賞する
「養老式」を催し、
身内を介護する藩士に
休暇を認める
看病不参」制度を創設。
経済的に困窮した足軽には、
子どもの数に応じて
養育手当を支給した。

「こうした施策が、
 領民たちの心を
 つかんだのでしょう。
 鷹山の時代の屏風絵には、
 老若男女が元気に働く
 姿が描かれています」と、
米沢市上杉博物館の
角屋(すみや)由美子・
学芸主任が語る。
時に痛みを伴う改革を
成し遂げるには、
人々の「やる気」が欠かせ
ない。
福祉の充実こそが成功の
一因だと、角屋さんは
考える。

小藩の次男坊が
期せずして名門の跡取りと
なり、大きく傾いた国を、
生涯をかえて再興させた。
鷹山の人生は、
国宝「上杉家文書」の
一通にある「成せば成る」
という和歌そのものだった
と言えよう。

この一通の書状は、
実子・顕孝(あきたか)
教育係に示した指針だと
されている。
民の苦しみを知れ、
自堕落になるな、などと
人の生きる道を連綿と説く
書状の締めくくりで、
「成せば成る」としたため
られている。

現代に生きる我々も、
様々な壁に直面する。
若い頃ならば将来の進路。
社会に出たら経済的自立。
結婚に育児、出世争い、
老後の備え。
大小はあれど、人の世に
悩みは尽きない。

逆境と対峙するには、
気力の充実が必要だ。
そんな時は、
こうつぶやいてみよう。

「成せば成る」――と。
(文・増田真郷)
(よみほっと 名言巡礼
 讀賣新聞9/11(日曜版)1面)


「成せば成る」。
逆境と向き合うときに
唱える“呪文”だと思う。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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