2013年07月31日

ジブリ鈴木敏夫PD に聞いた映画「風立ちぬ」のこと

'13年7月31日(水)
[宮崎駿] ブログ村キーワード

原作は、宮崎駿監督が
模型専門誌に連載していた
同タイトルの漫画。
実在の航空技術者、堀越
二郎をモデルにした
青春ストーリーである。

イタリアの飛行機メーカーの
創業者、カプローニ伯爵に
憧れて、
二郎はゼロ戦の設計に取り
組む。美しい飛行機を
作ることだけを夢見ていたが、
いずれ完成したゼロ戦に
乗った大勢の若者たちは
戦死してい
く。
設計者としての純粋な思いと、
もたらされる結果の重さ。

「宮さんは戦闘機の絵を
 描くのが好きな一方で、
 若い頃には反戦デモに
 参加したことがある。
 そのような矛盾をずっと
 引きずってきた人の
 戦争映画を見てみたい」

ところが、企画を提案
すると、宮崎監督は
烈火のごとく怒りだした。
「鈴木さん、なに考えて
 いるんだ。
 アニメーションって
 いうのは、
 子どものために作って
 いる
んだ。
 大人を題材にすべきじゃ
 ない」

何度も何度も説得した結果、
宮崎監督は初めて、
「戦争」というテーマに
真正面から取り組んだが、
もう一つの柱が
「薄幸の少女との出会いと
 別れ」。
映画のタイトルから
誰もが想像するように、
モチーフとなっているのは
作家、堀辰雄の代表作
風立ちぬ」。
重い病を抱えた婚約者と
主人公が残された時間を
支え合って生きていく
という美しい物語には、
堀辰雄自身の経験が反映
されている。
宮崎監督は
堀越二郎と同時代に
 生きた文学者、堀辰雄を
 ごちゃまぜにして
」、
主人公“二郎を創造した。

悲恋の物語は、ユーミンこと
松任谷由実の
ひこうき雲」の主題歌
採用
につながった。
1973年の名曲で、
歌われるのはユーミンの
夭折した旧友が抱いた
空への憧れ。

話題は豊富だが、
鈴木プロデューサーが
もっとも力を込めるのは、
目の前にあることを
 一生懸命やるしかない
 じゃないか
という
 メッセージ
だ。

「大正から昭和にかけての
 日本は、不景気と貧乏、
 大震災と、生きるのに
 つらい時代だった。
 それは、今という時代
 にもかぶってくる。
 そんなときには
 うまくいかないことも
 多いけど、
 いろいろなことをやって
 いくなかで、少しはいい
 ことがあるかもしれない

 そういうことを支えに
 人は生きていくんじゃ
 ないかなと思う
んです」
 
「生きねば。」という宣伝
コピーに込められたのも、
まさに、そのような思い。
(文=読売新聞東京本社
 文化部・近藤孝)
(スタジオジブリ プロデューサー
 鈴木敏夫 映画風立ちぬ インタ
 ビュー 読売生活情報誌 リエール
 '13年8月号抜粋)


ヒステリックとも取れる
反日感情を背景に
韓国のネットに
「風立ちぬ」は零戦を
美化したものだという
記事が掲載された
そうである。
鈴木プロデューサーは
そうは言っていない。

参考
 鈴木敏夫
  1948年名古屋市出身。
  慶応義塾大学文学部
  卒業後、徳間書店に入社。
  日本初のアニメ雑誌
  「月刊アニメージュ」
  編集長を経て、85年、  
  スタジオジブリ設立に参加。
  数々のジブリ作品で
  プロデューサーを務める。
  (記事注記)

YouTube-松任谷(荒井)由実/ ひこうき雲  
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | エンタメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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