2013年06月03日

メロディーが記憶に残らない曲が好まれると作曲家服部克久氏

'13年6月3日(月)
[レコード大賞] ブログ村キーワード

季節はずれだが、最近は
NHKの紅白歌合戦を観る
気がしない。
音楽の専門家服部克久氏が
ある傾向を憂いを込めて
解説している。


みんなが知っていて
口ずさめる曲が豊かにある
時代は「今は昔」になって
しまいました。

レコード大賞は、フランスの
レコードグランプリや
アメリカのグラミー賞から
着想を得て、
僕(服部克久)の父である
服部良一が
「日本でもやらなければ」と
考え、
TBSにかけあったことが
始まりでした。

次第に人気が高まり、
50年以上の歴史の中で、
日本の歌謡界を代表する
さまざまな曲に賞が
贈られてきました。

例えば、梓みちよさんの
『こんにちは赤ちゃん』
(第5回)、都はるみさんの
『北の宿から』(第18回)
とか、ピンク・レディーの
『UFO』(第20回)・・・・。
どれも、全部は歌えなくても、
サビの部分やメロディーの
一部ならば

みんなが知っている
それに比べて、
最近の受賞曲は
年代、世代を超えて
国民的に
知られているかというと

残念ながら
そうではありません。

歌手の名前にしてから
コブクロ、EXILEにAKB48、
もっと見渡せば
SKE48、NMB48、ももいろ
クローバーZに
ゴールデンボンバーと、
一人一人の歌い手の顔が
見えにくい

きゃりーぱみゅぱみゅ、
なんていわれると
舌がもつれて発音までも
ままならない。

どうして
このようになったのか、と
考えてみると、
どうも最近の日本に溢れる
音楽の大半が、
僕らが考えてきた狭義の
音楽とは
変わってきている

という気がしてなりません。
印象的な
歌詞とメロディーで、
一度聴いたら
忘れられないような
鮮烈な音楽は減っている。
作品の中で音楽の価値が
相対的に低下
して、
その代わりに、
切れのよいダンスや
タレントのコスチュームや
存在感、
グループ内での序列を競う
選挙といった音楽以外の
ものを愉しませる

新しい複合エンターテイ
 ンメント
」が
生まれている、と思うの
です。

作曲家の立場から考えると、
そうなった理由の一つには、
旋律(メロディー)
 枯渇
」があると思います。

旋律は12の音の組合せで
成り立っています。
仮にドの音から
曲が始まるとして、
次の12音、そこから
さらに次の12音に
飛んでいくとなると、
理論的には
旋律には天文学的な
組み合わせの可能性が
あることになる。
しかし、人間の脳が好ましいと
感じる音の動きと組み合わせは
有限
で、しかも
歌謡曲として歌いやすい
組み合わせの旋律となると
おのずと限られて
きます。

演歌のテーマは、
ネガティブな状況に置かれた
男女の気持ち、のように
共通したものが多いので、
似たようなテーマの歌詞には
似たようなタイプの
メロディーが
用いられることになり、
だんだん
パターン化してくる。
ポップス系の歌謡曲でも、
同じことが起こり得ます。

加えて、最近はカラオケで
一般の人に歌われることが
売上のうえで重要に
なって
いるので、
プロの歌手にしか
歌えないような広い音域を
用いる曲を書いたりすると、
「これはちょっと
 無理なので、
 少し上のほうを
 抑えてください」などと、
製作者サイドから
作曲家が求められることも
あるそうです。

父・服部良一は
旋律の枯渇とは無縁の
よい時代を生きたと思います。
淡谷のり子さんの
『別れのブルース』のとき
などは、
「私はソプラノです。
 こんな低い音は出ません」
と言われたことがあった
そうです。
確かに冒頭の
「窓を開ければ〜」の
ところは
下のGから始まるのですが、
非常に低い音なので、
常識から言えば
女性ソプラノでは
ありえない。
それでも、父は
「この音を出すから
 あなたの新しい境地が
 開けるんだ」と説得した
そうです。
(作曲・編曲家服部克久
 ヒット曲からメロディーが消えた
 文藝春秋‘13年5月号抜粋)


淡谷のり子は、低い音域を
歌うために、吹き込み前に
タバコを一晩中ふかした
というエピソードがある。

作曲家の旋律が大切に
された時代のことである。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | エンタメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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