2009年11月26日

三浦・曽野流教育とは親や学校の強制説

'09年11月26日(木)

三浦朱門・曽野綾子の
作家夫妻に「夫婦口論」
という二人の対談を
まとめた本(育鵬社)
がある。

お二人が80歳を
挟んだような年齢なので、
「日本よしっかりせよ」
という言外の励ましが
伝わってくるようだ。


三浦:教育の目的は、
できる子を選んで
エリートに育てること
ではなく、
どんな子供でも、
それなりにできる子に
することだと思います。
ほんとうにできる子
というのは、
自分の資質を見出し、
そのうえに
自分の人格と生活を
築いて、
充実した人生を
歩める人です。
そういう人に育てるには
やはり、
まず家庭教育を
しっかりしなくては
いけないと思います。

曽野:学齢期までの
子供の躾は、
親の責任と楽しみ
ですね。
それには、早くから、
その訓練を開始
しなきゃいけない。
挨拶ができること、
単純な善悪を
わきまえること、
我慢することなどの
基礎訓練を終えて、
社会に出すことは
親の務め
なんです。

私は親から全部
学びました。

強度の近視だったから、
母は目が悪くなると
言ってお裁縫だけは
させなかったけれど、
小学生のころから
下着も自分で洗って
いたし、
簡単な銀行業務も
教えられました。
ここに判子を
押して持って行くと
お金を引き出せる
とか、利息は
こういうふうに
なっているとか。

三浦:お宅の母君の躾で
ちょっと感心したのは、
娘に家事を教えるのに
トイレの掃除から
教え始めたこと。
つまりトイレの掃除が
きれいにできるように
なったら、座敷の掃除
なんていうのは
簡単なものなんだ。

曽野:母は
「人間、一番汚いものの
 始末ができるように
 なると、
 恐ろしいものが
 なくなるのよ」
と言ってたの。
でも、当時の私はそれが
どういう意味なのか
よくわからないまま、
ただ言われるままに
やっていました。

私が、2000年の
教育改革国民会議で、
すべての生徒に対して
一定の適当な時期に
奉仕活動を
させるべきだと
提言したら、
「自発性がないものは
 教育的でない」
とか
「個性重視の教育と
 反対方向だ」とか、
「とにかく
 強制はいけない。
 戦時中の動員を
 思わせる」などと
いう反論がありました。
しかし、
教育はすべて強制から
始まる
んですね。
子供は
親に教えられることの
すべてに
自発的に納得したわけ
ではなく、
しぶしぶ従うわけです。
そうするうちに、
お辞儀がもっとも
穏やかな人間関係の
基本であることが
わかり、
手を洗うほうが
病気にかからないで
すむ確率が高くなる
ことを理解する。
強制のかたちで
始まったことでも、
やがて子供に自我が
芽生えてくると、
納得して継続するか、
あるいは拒否して
やめるか、
自ら学びとるのです。
それでいいのよ。
最初の強制は、
自分で道を決めさせる
刺激
なんです。
(三浦朱門・曽野綾子
 夫婦口論 育鵬社)

posted by (雑)学者 at 08:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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