北海道でしたか、
生活苦に悩む母親が、
鉄道自殺をして
母子心中を
するつもりで、
ある日の夕方、
鉄道線路を
さ迷いながら、
その夜の死に場所を
探していました。
すると、
何も知らぬ
背中の子どもが、
「お母ちゃん、
見てごらん、
夕焼けが
きれいだよ!」
と叫ぶので、
それまで
うつむいていた母が、
悲しみに満ちた
顔をあげて
落陽を仰いだ瞬間、
ふっと
気がつきました。
「まあ、
きれいだこと」
と叫ぶと同時に、
こんな美しいものに
包まれていながら、
暗いものばかりしか
見えなかった
自分の心の貧しさに
気がついて、
明るくたちなおる
ことができた、
という話を
何かで読みました。
それ以来、私は
“美しいものを
一日に一度は
見つけよう“との
呼びかけを続けて
まいりました。
Sさんは、私の知人で、
ある会社の寮母をして
いますが、
私の呼びかけを
実行してくれた
一人です。
ある夜半に、Sさんは
ラジオかテレビの
大きな音響で
目をさましました。
階上のAくんの部屋
らしい。
寮母の責任上、
彼女は心を静めて
怒らせないように、
「Aくん、お願い、
もう少し
音を低くして!」
と頼んだのです。
近所からの
苦情の電話がかかって
くるので、
Sさんはたまりかねて、
ドアの外から
声をかけると、
「うるさいなあ、
このババア、
小さくすりゃ
いいんだろう、
小さくすりゃ!」と、
つらあてに
パチンとスイッチを
切りました。
朝の炊事をしていると、
Aくんがそばにきて
恥ずかしそうに、
「あばさん、
昨夜はごめんね、
腹がたったろう」
とわびるので、
「ええ、おはさん
くやしくってね、
2時間あまり
眠れなかったの。
でも、ふっと
“美しいものを
みつけなさい“って
いわれたことを
思い出してね」
「よせよ、
おれなんかに
美しいものなんか
あるわけないよ」
「ところがあるんだよ。
ほら、いつか
私が風邪をひいて
寝たことが
あったわね。
あのとき、
Aくんはだまって
私の額に
冷たい手ぬぐいを
のせてくれたじゃ
ないの、
それから
『ごはんは
交替で炊くから、
ゆっくり
休めよ!』って
フトンのすそを
やさしくたたいて
くれたじゃないの、
あんたに、
こんな美しいものが
あると思ったら、
おばさんうれしくなって
ぐっすり眠れたの。
だから気にしないで
いいのよ」
自分につらくあたる
人の中にも
「美しいもの」を
見つけよう、との
心がはたらけば、
同時にその人の中に
真なるもの、
善なるものをも
あわせて
見つめることが
できるわけです。
(極楽)浄土。
私は、
固定した場がある
というよりも、
「土を淨(きよ)める、
場を淨める」
と動詞の形で
うけとっています。
(元臨済宗妙心寺派
教学部長松原泰道
般若心経入門
祥伝社黄金文庫)
タグ:生活苦 心中 浄土

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いつも訪問ありがとうございます。
私も子供の頃、母親から「一緒に死のうか?」と、親子心中を持ちかけられました。
今でも覚えていますが、私が発した言葉。
それはそれは子供とは思えない酷い言葉でした。
大人になってから聞いた話ですが、
私の言葉を聞いて、母親は
途中で切れてました。
母親は、親子心中を止めたのですが、
実は、兄にも同じ事を聞いて、私と同じ事を言われたそうです。
母親は、心中をやめた理由は、バカバカしくなったんだそうです。
長いコメントでごめんなさい。
麦のように踏まれて、今があるのですね。