国は人間の集団で
あるから、
国と国との関係も
同じように、
感情が左右する
局面が少なくない。
日本の場合に典型的
なのが、
対中関係である。
中国からの高度な
文明が、生活を
豊かにしたばかり
ではなく、
戦禍や外圧をひどくも
した、という
歴史のため、
日本人は中国に対し、
ながく
憧憬と恐怖心を
表裏一体とする感情を
いだいてきた。
だから恐怖心が
なくなると、
憧憬も消え去って、
優越感と侮蔑に
一転する。
それが誤っていた
と悟るや、
今度は贖罪感が昂じ、
腫れ物に触るような
心情になった。
戦前・戦中の
「暴支膺懲」と
戦後の「日中友好」
とは、正反対の
よびかけながら、
根底は同一である。
煎じつめれば、
いずれも感情に
動かされての衝動に
ほかならない。
勝海舟が
「スフィンクス」と
形容した中国事情の
わかりにくさが、
その一因としてある。
自分の常識で
相手をはかるのが
人の常であるから、
理解を越える事態に
直面すると、
感情の抑制が
きかなくなるので
ある。
程度の差はあっても、
そうした衝動に
政府と民間との区別
はない。
問題なのは、
それを衝動だと
わきまえずに、
さも理性的で正当な
行動だと
はきちがえること
である。
その大きなきっかけ
になるのが、
ナショナリズムで
ある。
そもそも
ナショナリズム自体が
情念に基づき、
また訴える性格の
ものだが、
これなくして
国民と社会の統合を
果たせないところに、
近代国家の構造的な
問題がある。
感情の完全な除去は
むずかしい。
しかし感情を感情だ
とみきわめ、
その具体的な内容と
作用を自覚する
ことはできるし、
相手の事情を
つとめて理解するよう
心がけるのも可能だ。
それだけでも、
衝動の煽動や暴発を
くいとめる一助に
なろう。
情報化時代の今日、
なお難解な中国の
事情も、それなりに
見えるようになって
きた。
ひところに比べれば、
ゆきすぎた
憧憬や侮蔑、贖罪感
は減り、
日本人一般の
中国に対する行動は、
ずいぶん理性的に
なりつつある。
逆に最近は反日暴動や
ギョーザ事件など、
日本に対する中国人の
言動に首をかしげる
ことにほうが多い。
その中国は
建国60周年で、
あらためて
ナショナリズムが
高まりをみせている。
そんななか、
鳩山外交は
東アジア共同体構想を
よびかけた。
彼我の衝動を制御して、
理性的な関係をつくる
ことができるのか。
それとも
感情に流されて、
「友好」の二の舞に
終わるのか。
「友愛」の真価は、
すでに問われている
のである。
(京都府立大准教授
岡本隆司 ワールドスコープ
讀賣朝刊10/26文化面)

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ナショナリズム自体が
情念に基づき、
また訴える性格の
ものだが、
これなくして
国民と社会の統合を
果たせないところに、
近代国家の構造的な
問題がある。
ここ、本当にわきまえなければいけないところですね。東アジア共同体構想が「友愛」で構築できるなら政治家も苦労はありません。イデオロギーが空腹を満たすことに勝る国と、空腹を満たすためにイデオロギーを捨てられない国と、イデオロギーの怖さを知らない国とで、どんな共同体が構想されるのか案じられてなりません。