たまたま、蔵書に
トクヴィルの
「アメリカの民主政治」
という文庫本(講談社)
があった。
そのトクヴィルの
研究家で政治哲学者の
宇野重規(しげき)氏は
今回の選挙で変わった
政治の仕組みについて
語っている。
新閣僚就任の
記者会見で、
閣僚たちが
官僚の作った
ペーパーを読まずに
答えていたのが、
新鮮だった。
それぞれの分野で
実績のある
大臣が多く、
自分の言葉で
語ることができる。
政権が変わったことを
強く印象付けた。
今回の政権交代の
大きな目的の一つは、
官僚依存の政治の
仕組みを変えることだ。
これまでの政官一体の
システムは、
まるで
「ブラックボックス」
のようだった。
政策の決定過程が
外部からは分からない。
また官僚の側も、
政策の継続性や
省庁の権益には
気を配っても、
社会の目に
さらされている
ことには
敏感ではなかった。
民主党は一連の
改革で、
大臣、副大臣、政務官を
いわば社会の窓とし、
ブラックボックスに
社会の風を吹き込み、
政治文化自体を
変えようとしている。
政治家は社会を
代表して
官庁に乗り込み、
官僚はその意思を
実行する。
政治家と官僚の
役割分担が
明らかになるとともに、
政策の決定過程に
おける
「トレーサビリティ
(追跡可能性)」
も高まる。
政策の究極の
責任は政治家が取る。
政治家と官僚が
一定の緊張関係を
はらみながら、
政策を進めることが
このシステムの
本質である。
国民の支持が、
政治家にとって
唯一の、
そして最大の武器。
選挙で掲げられた
マニフェスト
(政権公約)は、
政治家にとっての
義務というだけではなく、
国民の支持を受けた
自らの政治基盤
でもある。
民主党は
この基盤を基に、
自らの政策を
進めていくだろう。
野党となった
自民党には、
これを機に真の意味で
「政党」になって
ほしい。
自民党はこれまで、
政党である前に
与党だった。
党の基軸は何なのか。
総裁選、参院選を
通じて、
党としての
アイデンティティーを
はっきりさせる
必要がある。
二本の二大政党制は
なだ、緒についたばかり。
これからの政治家には、
与党と野党、
両方の経験があることが
必要となる。
アリストテレスは
「市民とは、
統治した経験と
統治された経験の
両方がある者」
だと言った。
両方を経験することが
政治的成熟につながる。
前回の衆院選では、
「小泉さんがみな、
変えてくれる
のではないか」
という幻想が
国民にあった。
だが、今回、
「民主党になったら、
すべてが
バラ色になる」
などと思っている
人はいない。
政権交代という変化も、
行き詰った日本社会を
違う手で
変革させようと、
国民が自覚的に
行ったものだ。
とはいえ、半年、
1年以内で
目で見える変化がないと、
支持を失う。
鳩山内閣には、
国民に安心感を
与えつつ、
短い期間に成果を出す、
難しい政権運営が
求められる。
(政治哲学
東大准教授宇野重規
讀賣朝刊9/24文化面)
政治家は政策の失敗が
あっても、
役職を辞任するだけで
実害の責任は取らない。
被害を甘んじて
受けるのは
いつも国民である。
注、市民(しみん)は、
政治的共同体の構成員
(Wikipedia)

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確かに、政策の失敗の火の粉は国民に降り注ぎますが、その政治家に投票したのはほかならぬ有権者たる国民以外の何者でもありません。彼ら、いえ、私たちがそのような政治家に投票したことが、その政治家による政策の失敗という事態を招いたのです。
我々はそうした人選ミスに関して、なんら責任を取りません。そして、自分たちが裏切られたといつも被害者意識でいるから、政治かを見る目も養われない。これこそが、政治の腐敗を招く大きな要因と私は考えてます。
日本は民主主義国家ですから、飽くまで主権は国民にあります。われわれが、政治家を選出し、監視しなければならない政治的責務を負っているのに、政治家たちよりも政治に対して怠惰であるならば、十全たる監視機能を果たせるはずもありません。そうした一番根本的な瑕疵こそが、失政の温床となってることを我々は自覚せねばならないでしょう。
どんな人間も責任からは逃れたい。そんな気持ちが、人も制度も腐敗させてしまうわけですね。