脚本家で小説家の
早坂暁、八十歳。
五十歳のとき
「まるで集中豪雨の
ごとく」、
次々と病気に
襲われた。
当時、
煙草は日に百本、
明け方に
三時間ほどの睡眠。
集中豪雨は、
心臓が半分壊死する
心筋梗塞、胆嚢がん、
胃潰瘍、膵臓炎、胆石、
大腸ポリープ。
ここからは、
早坂さんへの
インタビューの抄録です。
中江兆民は
喉頭がんに侵されて、
余命一年半と
宣告されていました。
それで「一年有半」
「続一年有半」という
本を書いたのですが、
この本は刊行当時、
福沢諭吉の
「学問のすゝめ」を
超える大ベストセラーに
なっています。
その中で兆民は、
「霊魂不滅」という
考え方を排除して、
「万物はみな物体である。
自分という人間も
物にすぎない。
死ねば何も残らない
と思えば往生できる」
ということを
言っているんです。
ははぁ、なるほどと
感心しつつも、
何か寂しい。
次に読んだのが、
正岡子規の日記
「仰臥漫録」
だったんですね。
兆民と同じころ、
東京は鶯谷近くの
「子規庵」で、
子規さんは
脊椎カリエスを
病んでいました。
脊椎カリエスは
結核菌が脊椎に入る
病気で、
痛みが激烈なんです。
実際、
病床の子規さんは
七転八倒、
その絶叫は
5百メートルほど
離れた
鶯谷の駅まで
聞こえたといいます。
その子規さんは、
命を売り物にして
稿料を稼ぐとは
何事か、
兆民居士は
平気で死ねると
威張っているが、
それがそんなに
偉いか、
平気で生きる
ことのほうがもっと
大事だと
書いている。
目から鱗が落ちる
思いでした。
子規さんが
言いたかったことは、
自分が生きて
やってきたことは、
自分の死後も
誰かがつないで
あとに続くんだと。
自分は次に
バトンタッチする
つなぎ手なのだから、
潔く死ぬことよりも
平気で生きることの
ほうが大切なのだ、と
いうことなんです。
親は生きているだけで
子どもたちから
死を隠してくれて
いるのです。
最後の育児でしょうか。
(聞き手福重正信
生前葬から三十年、
いまだ旅の途中
ラジオ深夜便'09/7
NHKサービスセンター)


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