いのしし、とは
亥(い)の
肉(しし)の意味で、
猪(いのしし)の肉のこと。
鹿の肉は
鹿(か)の
肉(しし)という。
しし(肉)とは
食用の獣肉のことで、
猪の肉では
実は、
歳をとった女の
お婆さん、と同じで
丁寧すぎる言い方。
ところで、
わが国の肉食の習慣は
次のような変化を
辿ったのだそうです。
日本では古来、
食用の家畜を
育てる習慣が少なく、
主に狩猟で得た
鹿や猪の肉を
食していた。
仏教伝来以降は、
獣肉全般が
敬遠されるように
なっていったが、
日本人の間で
全く
食べられなくなった
という時期は
見られない。
ただし明治までは
常食となることも
なかった。
獣肉食に関する
嫌悪感も
時代と共に
変わっていったが、
おおむね、
狩猟で得た
獣肉は良いが
家畜を殺した獣肉は
駄目、
そして足が多いほど
すなわち、
哺乳類、鳥、魚
の順で駄目と
考えられることが
多かった。
獣肉消費量が魚肉を
上回るのは
第二次世界大戦後の
高度成長期より後の
ことである(Wikipedia)。
ここからは、
北海道開拓の一環の
牧畜振興などのために
招かれたアメリカ人の話。
エドウイン・ダンは
1873(明治6)年、
日本の農業・牧畜を
発展させるために
来日し、
主に北海道で指導を
おこなった。
ダンの来日前、
日本の畜産業は
未発達の段階にあった。
牛を牧畜用として
飼育する産業も
根づいておらず、
牛乳を飲んだり、
バターやチーズに
加工して食するという
技術ももちあわせて
いなかった。
そんな状況下で、
ダンは
北海道の開拓使や
学生たちを相手に、
牧畜の技術や作物の
栽培方法、
アメリカから輸入した
農業機械の操作法などを
指導したのである。
いったん
アメリカに帰国したが、
アメリカ政府から
駐日外交官に
任ぜられて
再来日を果たす。
外交官を辞めた後も
日本に滞在し続け、
事業を起こしたり、
日本企業のもとで
働くなど、
終生日本で過ごした。
彼を
日本にとどまらせる
のに何より大きく
影響したのは、
妻として迎えた
日本人女性の存在
だった。
すなわち、
彼の最初の妻
ツルである。
彼は、
夫に献身的につくす
妻に感激した。
ところが
1881(明治14)年、
心の支えだったツルが
病のために
急逝してしまう。
ダンは失意に
うちのめされた。
一時は日本での職を
捨て、
アメリカに帰国する
ことすら考えたほど
だった。
しかし、
やがて
心の傷が癒されると
元旗本の娘
マヤと再婚。
ダンは当時の日本人が
譲歩に譲歩を重ねて
外国人を喜ばせ、
それによって
新時代を築こうとして
いることを危惧した。
日本を大切に思い、
妻を心の底から愛した
ダンは
1931(昭和6)年に
この世を去る。
遺骨は最初の妻
ツルが眠る青山の墓地に
埋葬された。
(びっくりデータ情報部編
ニッポンの
良いとこ、悪いとこ
河出書房新社)
参考
エドウィン・ダン
(Edwin Dun,
1848/7/19-‘31/5/15)
明治期のお雇い
外国人開拓使に雇用され、
北海道における畜産業の
発展に大きく貢献
アメリカ合衆国オハイオ州
チリコージー
(Chillicothe)出身
オハイオ州マイアミ大学卒業
1883年、勲五等双光旭日章受章
息子のジェームス・ダン
(壇治衛)は音楽家
長男の妻・ダン道子も音楽家
エドウイン・ダンと妻ツル

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