'07年4月、
住民が立ち上がる。
兵庫県立柏原(かいばら)病院
小児科を守る会が、
お母さんたちの手によって
つくられた。
スローガンは三つ。
「(コンビニを利用する感覚で
安易に病院に駆け込む)
コンビニ受診を控えよう」、
「かかりつけ医をもとう」、
「お医者さんに感謝の気持ちを
伝えよう」
小児科の時間外受診者数は
4分の1まで減り、
軽症者の受診も減った。
救急患者のうち入院する割合は
40%と高くなった。
病院の本来の機能が戻ってきた。
重症の患者をていねいに
診ることができるように
なった。
行政が動いた。
丹波市に地域医療課が新設
された。
医療関係者も立ち上がった。
「丹波医療再生ネットワーク」
ができた。
崩壊寸前の危機に瀕する
日本の小児医療。
丹波市兵庫県立柏原病院で
奇跡が起きた。
丹波地域の人口は11万人。
(これまでの経緯を述べれば、)
三つの病院に7人の小児科医が
働いていた。
三つの病院で、
小児科の夜間救急外来を
分担する丹波地域小児科
輪番制を開始した。
しかし、医師不足のなかで、
一つの病院の小児科が
つぶれた。
もう一つの病院も、
小児科医が1人になった。
輪番制も機能しなくなった。
柏原病院も3人から2人に
なり、うち1人が院長に。
孤立感に襲われた小児科医
和久祥三氏は、
絶望のうちに辞職宣言する。
それを聞いた
地元の丹波新聞社の
足立智和記者が、
医療キャンペーンを
はった。
和久医師は言う。
地域が気づき、
医師と地域の対話が
始まるのに、
正確な情報を共有しあう
ことが大事だった。
この役を足立記者が
してくれたという。
守る会から、和久医師に
会いたいと電話が
かかってきた。
辞めないでくださいと
一方的に懇願されると
思っていたら、
和久医師の体のことを
心配してくれた。
「今までよく診て
くれてありがとう」
と言ってくれた。
病院のなかに
「ありがとうポスト」
がつくられた。
「先生、ありがとう」、
「いつも心のなかで
応援しています」
などと、子どもや
お母さんから手紙が
届いた。
「診てもらって当たり前と
思っていた自分が恥ずかしい。
今まで子どもの命を
守っていただき、
ありがとうございました。」
和久医師は
「何度泣いたかわからない」
という。
そして、辞職を思いとどまった。
この病院に小児科医が
集まり始めた。
住民が感謝して
支えてくれる地域は
医師にとって魅力的な
所だった。
(讀賣朝刊2/15くらし面
特集 鎌田實の見放さない から)

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