跳びこんだ 力で浮かぶ 蛙かな
芭蕉
この寒いのに水に飛び込む話は
季節外れで、常識を疑わざるを得ない
というご叱責をいただきそうだが、
新春初泳ぎが恒例になっている
ところも全国にはあるようです。
米国に端を発した世界不況は、
米国で最も深刻な状況になっては
いるが、自己責任とする考え方を
他国にも適用して、
責任を感じている風もありません。
先の句は、「力」が「重み」として
引用され、
議論されているのを見かけるが、
これから、引用する米国人のものの
考え方について論じた文章では
「力」を前提にして議論を展開して
います。
この一句、私のような
心弱き人間には鞭でたたかれる
思いがする。
跳躍が鈍く、小さく、
体力もないくせに、
浮かび方に不満を持っている
ことが多い。
個人だけの問題ではなく、
企業だってそうだろう。
アメリカだって、
精神も産業も空洞化しているのに、
「ストロング・アメリカ」を
過信したって始まらないのだ。
アメリカの滞在が長く、
知人をたくさん持っている
私の友人からつぎのような話を
聞かされて驚いたことがある。
テニス・クラブに入って
アメリカ人とゲームすることが
多い。
結構、楽しんでいたが、
あるとき政府高官と試合をする
ことになった、
有名大学の政治大学院を出て、
OECDの顧問などをしてきた、
若手のエリートである。
プレーしてみると、
彼のスマッシュがつよすぎて
ボールがラインアウトする
ことが多い。
自滅のような形で第一セットを
失った。
すると、どうしたことか、
彼はひらりとネットを
飛び越えると、
こちら側のコートの長さを
測り始めたという。
つまり、自分が打った球が
ラインアウトするのはコートが
短いからではないか、
と考えたわけだ。
自分の打ち方が間違っていた、
とは反省しないのである。
私の友人は、そのとき、
アメリカ人の姿にアメリカという
国そのものを見る思いがした、
と語ってくれた。
特殊を持って普遍を語るほど、
彼は愚かではない。
日米貿易摩擦以来、
自分の赤字の原因を他国の攻勢
に押しかぶせてしまう態度に
あきれはてていただけに、
このテニス・コートでの経験は
痛切であったという。
私はこの話を聞いたとき、
「キミは英語が上手なんだから、
日本の松尾という詩人が
“飛び込んだ力で浮かぶ蛙かな”
という短い詩を作っている、
アメリカ経済の破綻はアメリカ人が
個人単位で物的充足を追い過ぎた
からではないか、
といってやれよ」
と冗談交じりに提案した。
草柳大蔵 水は深く掘れ
知的生きかた文庫(三笠書房)
から引用
つまり、消去していって、
自分の責任が明らかになった
ときでなければ、
非は認めないという姿勢
なのです。
いいとか悪いとかではなく
これが米国の合理主義の
一部をなしているということを
念頭においてお付き合いを
すればいいのでしょう。
向こうから見れば、
日本人の考え方の
わからないところも
あるでしょうから。






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