2008年10月01日

誰もが自作の人生ドラマの主人公

'08年10月1日(水)

松下幸之助の家は
元々地主の家柄でしたが、
松下が4歳の頃、
父親が米相場に失敗して、
先祖伝来の土地も家も
失ってしまいました。
また両親のほか、
7人いた兄や姉が相次いで病没、
松下は26歳までに
親とすべてのきょうだいに
先立たれます。
そして自らも20歳の頃に
肺尖カタルで血痰を吐き、
死への恐怖を覚えたことも
ありました。

経済的困窮にも陥り、
独立当初は夫人が度々質屋に
訪れたことから、
質屋のほうが気を利かせて
通い帳をつくったというのは
有名な話です。

あるいは終戦直後の松下電器
深刻な経営危機に見舞われました。
軍の要請でやむなく軍需品の
製造に関わったことにより、
GHQ(連合軍最高司令官総司令部)
から種々の経済活動の制限を
受けたため、その影響で
借財が増えて、
「税金の滞納王」と新聞
報じられたこともありました。

「人間というのは、
あれこれ不安を感じたり
心配したりする。
こんな時代に生まれ合わせたことを
嘆いてみたり、
あるいは、
だれが悪い、かれが悪いと
憤慨してみたくもなる。
そういうことも一面人情として
無理からぬものがあるけれども、
それに終始していたのでは
何も生まれてこない。
だから、
むずかしい世の中ではるが、
これを一つの生きた芝居と見、
自分はその中で主役として
演技をしていくのだと
考えたいのである。」

波瀾万丈の展開こそ
芝居は面白いのです。
ですから松下は、
困難な状況であればあるほど、
演技のしがいがある。
すなわち「役者冥利につきると
考えて、名演技を披露しようと
いうことになる」と説くのです。

松下の80年を超える実業人人生は、
小学校を中退し、和歌山から単身
大阪へ奉公に向かう汽車に
乗り込む時から始まりました。

明治37年11月23日、
南海電鉄紀ノ川駅での出発の時。
9歳のわが子を見送る松下の母は
同じ大阪行きの乗客に、
子供ですが大阪にまいりますので、
どうかその途中よろしく頼みます」と
託します。


どんな人もそれぞれが生きた芝居の
主役、主人公です。
その思いに立ち返って、
すでに始まっている自分のドラマ、
あるいは今から始まる舞台を
自らの力で演出、演じて感動あるものに
していく。
そしてそれを鑑賞して存分に味わう。
そんな心の持ちようが、
お互いの人生をより生きがいあるものに
することにつながるのでは
ないでしょうか。

PHP総合研究所主任研究員渡邊祐介
人生は生きた芝居
PHP11月臨時増刊号2008から引用




posted by (雑)学者 at 00:00| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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