「刀は武士の魂」は「鏡は女の魂」
と続くようです。
漂流したときの必需品に鏡を
加える女性がいるとも聞きます。
「前十両に後(あと)三両」と
いわれないように、
顔を精いっぱい化粧するだけではなく、
後ろ姿も鏡に映して身なりを
整える心配りも必要でしょう。
最近、ベテラン女優などが、
受けるプチ整形にボトックスを
注入し、深いしわをなくす施術が
流行っているようです。
額、眼尻、下眼瞼(まぶた)、眉間などで
神経と筋肉の接合部に作用し、
筋肉の動きを抑制する働きを
狙ったもののようで、
顔の表情が出しにくくなることは
演技にはマイナスになりはしないか。
小林旭が歌う「惜別の歌」は
島崎藤村が原詩を作ったもので、
中央大学学生歌でもあるそうだが、
その三番の歌詞は
以下のとおりです。
君がさやけき 目の色も
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ
原詩は「若菜集」に
収められている「高楼」で、
姉妹が別れの悲しみを交互に詠い、
この部分は妹が詠った形に
なっているが、
黒髪が若い女性の象徴として
最後に扱われています。
緑の黒髪は、
昔は「緑の髪」といえば十分だったようで
それだけで、黒くつやつやとした髪、
美人の髪を意味したそうです
(旺文社 古語辞典)。
具体的なイメージを与える表現には
烏が登場して、
「烏の髪」といえば、黒くつやのよい髪を
「烏羽色」や「烏の濡羽色」といえば
黒く青みのあるつややかな色(広辞苑)だそうで
手入れも含めて称える表現
なのでしょう。
「天、二物をあたえず、というが、
一般に美男子というのは、
あまり想像力にめぐまれていない
連中のように、僕にはおもわれる。
スタンダール、バルザック、
ヴェルレーヌ、
おもいつくままに名を上げても、
どれ一人として二枚目俳優として
通用しそうな顔立ちの人は
見当たらない。
逆に完全な醜男としては、
J・P・サルトルをはじめ、いくにんも
その名を上げることができるだろう。
もっとも、いくらこんなことを
言ってみても、
ことさら自分の顔が醜くうまれたことを
喜ぶわけにはいかない。
一夜あければ、
自分が美男子に生まれ変わっていた
というような夢は見ないが、
ある日、突然、美男子の規格が
変わるのではないだろうかという
期待は抱いている。
これは僕の知っている
ある婦人のことだが、
どういうわけか
彼女は生まれついてのちぢれっ毛で、
それが恥ずかしくってたまらず、
女学校に入ったときからカツラを
かぶって、
そのため自然の毛は
ますますイジけてしまい、
年ごろのころには
とうとう若禿同様の状態になって
しまったという人がいる。
この人の場合、僕はなぜちぢれっ毛を
恥ずかしがったか、理解できないのだ。
直毛にわざわざ
パーマネント・ウエーブをかけることは、
よほど以前から、
常識になっているではないか。
僕がおもうのに、美容整形をうける人も、
その前にもう一度、自分の顔に自信を
もつようにつとめるべきでは
ないだろうか。
戦争前は、赤っ毛は美しいものと
されていなかった。
それが現在では、わざわざ赤く毛を
染める人さえいる。
『待てば海路の日和かな』
これは美容の教訓にもなるのである。
安岡章太郎 やせがまんの思想(角川文庫)」
ついでながら、
話の流れの腰を折るようだが、
浮世絵の美人画に描かれる引き目、
鉤(かぎ)鼻の女性は
様式化された描き方によったもので、
江戸時代に好まれた女性がそうであった
ということではないようです。
つい最近まで、
アメリカの男性の理想は、
日本女性と結婚し、
中国料理を食べ、
アメリカの家に住むこと、だと
いわれていました。
しかし、
今でもこれが生きているとすれば、
日本女性の規格が変わらない、
中国料理の食材の安全が保たれている、
アメリカの住宅事情に変化がない、
という前提を置いてのことになるでしょう。
因みに、欧米人は自分たちが「垂れ目」で
あることにコンプレックスがあり、
東洋人の目じりの上がった「キツネ目」に
憧れをもっているようです。
参考
YouTube-惜別の歌
YouTube-ドイツ民謡 「故郷を離るる歌」






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