列車で旅行をして帰京した
友人が、
次のようなことを話した。
「私が列車で帰京の途中、
5、6人の学生が途中から
車内に乗り込み、
先に座っていた老人の席を
取ろうとした。
車掌がその乱暴な態度を
見かねて、
学生に注意を与えると、
学生はただちに車掌に
食ってかかり、
『おまえはどうして我々に
そんなことが言えるのだ?
我々は切符を買って乗った
のである。
だから席を占めるだけの権利
がある』とどなりつけた。」
こういうことは今の世間に
めずらしくないことであるが、
これによっても、
面識のない人に対する礼節が
いかに蹂躙されているかを
知ることができる。
礼節は権利でない。
権利以上のものである。
だから聖人は礼節を尊重し、
法律の威力だけで世を
治められない場合に、
礼節の力を借りたのである。
もちろん、
法律の力だけでも世渡り
できないことはない。
しかし法律のみで
世渡りしようとするのは、
ちょうど油の切れた車を
運転するようなものである。
油は切れても、
車は動くことは動く。
しかし動くごとにキイキイと
嫌な音がする。
乗っている人も乗せる人も
不愉快である。
キイキイという音を聞かされる
近所の人々も迷惑する。
しかも、
労力の多い割合に速力は
きわめて遅い。
もし油をさせば、
車は軽快に動く。
世の中も、
また法律一点張りでは
うまくいかない。
極端な場合には、
法律の制裁に触れない限りは
何をしてもよいというような
考えをもつ者もあるが、
もしそうなったなら、
社会はきわめて無味乾燥なもの
となってしまう。
礼節という油をさして、
はじめて円滑に世渡りができる
のである。
以上、新渡戸稲造著
自分をもっと深く掘れ!
(世渡りの道改題)・
知的いきかた文庫(三笠書房)
から抜粋引用
参考
新渡戸稲造(にとべいなぞう)
(1862/9/1-1933/10/15)
盛岡市に生まれる
札幌農学校で学んだ後、
アメリカ、ドイツで農政学等を研究
帰国後は札幌農学校教授
京都帝大教授、
第一高等学校(現東京大学の前身)長、
東京帝大教授、東京女子大学長を務め、
青少年の教育に情熱を注いだ
1933年、カナダのビクトリアで病没
今なお世界に誇る名著「武士道」は
ベスト&ロングセラー






del.icio.usに追加
Googleに追加
Technoratiに追加
Diggに追加




