シェークスピアの戯曲の
狂人のありさまを描いたところを
精神科医が病気か否かの判定に
使うと聞いたことが
あります。
これには続きがあって、
問診中の医者に向かい、
患者が、
すっくと、椅子から立ち上がって
指を差して、
こう言いました。
「あんたは、気違いだ!」
シェークスピアは作品の筋書と
同じように自分の生涯にも作品と
しての物語性をもたせようとした
のでしょうか。
「死期が近づいていることを
感じとったのか、
1616年1月、3月に遺言書を
したためます。
その後間もない4月23日、
奇しくも52歳の誕生日に当たる日に
その生涯を閉じたのです。
一校舎比較文化研究会編
シェークスピアの言葉(永岡書店)」
要するに、
1564年4月23日に生まれ、
1616年4月23日に死亡しました。
「英語に強くなる本」の著者
岩田一男さんに伺った話ですが、
英文学を学ぶ学生は、
英文学史の一つの史実として、
シェークスピアの一生を
こう記憶するそうです。
いろいろ(1616)人殺し(1564)
世に満つ(4/23)。
シェクスピア劇に多い殺人は
論外だが、自殺という
死ぬ時期を自分で決める
行為にしても
生き物としての生きる義務を
放棄することであり、
死を選ぶ権利として
保護されるべきものでは
ありません。
死を美化するのか、
死へ逃れるのかは分らないが、
死を選ぶのは、
虚構や抽象概念の領域を
深く掘り下げ、
身を削って
作品を生みだす
作家や芸術家の職業病
でもあります。
どのような言い訳があっても、
自殺は、
生きる営みへの冒とくであって、
道徳的に許されはしません。
参考
YouTube- Komm,susser Tod 甘き死よ、来たれ

del.icio.usに追加
Googleに追加
Technoratiに追加
Diggに追加





例えば、今、政治的に問題となってる「後期高齢者医療制度」なんかですね、あれなど75歳になったら死んでください、という様な制度ですが、俺は当てつけに74歳で自死してやろうと思っています。
こんな考えでよろしいでしょうか?
コメントありがとうございます。
延命治療は自分自身の施療であれば同じ意見です。
後期高齢者医療制度も同じ意見です。
ただ、身体が健康な若い人が安易に死を選ぶことは、動物もしないことだと申し上げたかったのです。
書いてはありませんが、ブログの「心」はそういうことです。これからもよろしくお願いいたします。
図らずも、東芝さんのブログで、彼の先生であった方が、凄まじい闘病生活の中で「病に勝ってみせる」と宣言して、そのかいなく他界された記事を読みました。
読んでみて、俺が書いたコメントの浅はかさに胸痛めているところです。それと同時に学者さんの言われる通り、身体が健康な若い人が安易に死を選ぶことは、動物もしないことだというのはその通りです。これにも同意します。俺はクリスチャンではないのですけれども、自死はキリスト教では大罪とされています。
にも、かかわらず何故故にこの様な事を述べたかというと、現在のあまりにも高度化された医療が、生と死の狭間を際限なく無秩序な状態にしてしまったがゆえに様々な弊害もあるであろうという思いからでした。行き過ぎた医療というものが色々な生の矛盾を引き起こしているという現実もあります。そこで、本人、家族、医療関係者が立ち往生してしまって、その際の安楽死の問題で、裁判沙汰にもなったりしています。医療が高度化されて良い面もあるが、困った事態も生まれてる。という事です。
コメントが遅れましたが「ホームページアドレス: [必須入力]」
とあったので、この覧に「nasi」と入れてみて書いてみたのですが、それで暫く間を置いてコメントが反映されているか確かめてみたのです。それでコメントが書き込まれていなかったので、「まあ仕方ないか」と思って、諦めたのです。それでも、なかなかいいブログだから、「お気に入り」に入れといて、読むだけでも読もうと思い、今日、学者さんのブログを開いてみたら、俺のコメントが入っていたので、びっくりしました。
これからも読ませていただきます。どうぞ宜しくお願い致します。未熟者ゆえ、トンチンカンな事を書いたりもするかもしれませんが。
ご丁寧に、コメントありがとうございます。
昔は、病気や怪我であっけなく死んでしまいましたが、今は高度医療がそれを助けてしまうことで、命を大切にしない風潮が根付いてしっまたのかも知れません。いずれにしても、若い方にこのようなブログを肯定してもらえたら、このうえなくうれしいことです。
お叱りは覚悟のうえです。