2021年01月24日

刑罰の有無は社会の成熟のほどを示す尺度である

‘21年1月24日(日)

「いやだいやだよ 
 じゅんさはいやだ 
 じゅんさコレラの先走り 
 チョイトチョイト」。
1882(明治15)年の
コレラの流行時に
はやった俗謡だ。
子どもたちが歌いながら、
列をなして練り歩いたと
いう
▲「コレラの先走り」とは
感染者の「避病院」への
移送を巡査が先導したためだ。
強制隔離などの防疫に強権を
振るった巡査は、
不安におびえる民衆の反発の
的となり、各地で衝突が続発
した
(奥武則(おく・たけのり)
「感染症と民衆」平凡社新書)
▲献身的な巡査の殉職譚も
伝えられているが、何しろ
強制隔離先の避病院がひど
かった。
ろくな治療も受けられずに
死を待つだけの場所として
民衆に恐れられたのである。
文明開化のダークサイドを
浮き彫りにしたコレラの流行
だった
▲さて医療が逼迫する今日の
コロナ禍では入院したくても
受け入れられず、
自宅療養中に亡くなる例が
相次ぐ。
ちょっと驚いたのは、
そんなさなかに入院を拒否
する感染者に懲役刑を含む
罰則を科す法改正案が
閣議決定されたのである
▲政府は同時に営業制限に
応じない業者に過料を科す
法改正案も決めている。
罰則の必要な局面はあろうが、
事は重大な権利の制限だ。
本来なら緊急事態宣言下で
あわてて決めるのでなく、
平時に十分論議を尽くして
おくべき話だった
▲感染症への不安が他人への
攻撃性に転化するのは
明治のコレラ騒動でもあった
人の悲しいさがである。
罰則の適否は今後国会で検討
されるが、いつの時代も
政治や社会の成熟のほどを
映し出す感染症の流行だ。
(余禄 毎日新聞1/23 02:05)
ラベル:刑罰 過料
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする