2020年11月15日

やれば、できる、との言葉を遺して小柴昌俊さん逝く

‘20年11月15日(日)

日本経済新聞は?
2度の失敗後、旧制一高に
入った小柴昌俊さん。
大学進学を控えたころ、
寮の風呂に入ると、
湯気の向こうで先輩と
力学の教師の声がした。
「小柴はどこに進みますかね」
「物理じゃないことは確かだ。
 独文学かインド哲学が
 せいぜい」。
この日から猛勉強が始まった。
▼太陽系外から来た素粒子の
一種、ニュートリノの観測で
ノーベル賞に輝いた小柴さん
だが、その歩みは挫折や
逆境との苦闘に満ちている。
一念発起し進んだ東京大学
物理学科も、アルバイトで
週に1日半ほどしか通えずに、
成績はビリだった、と振り
返る。難路を突破しようと
する努力がさまざまな成果を
引き寄せてきた
▼高いハードルを越え、
岐阜県の神岡鉱山の跡に、
大量の水と多数の高感度
センサーを備えた装置
「カミオカンデ」を完成
させたのも、そのひとつ
だろう。観測の精度を
上げるために水の浄化を
進め、機器の性能も向上
させるなか、偶然にも
地球から16万光年の
かなたの超新星からやって
来たニュートリノの検出に
成功した
▼「やれば、できる」が
モットーの親分肌の
下からは、ノーベル賞確実と
いわれながらも早世した
戸塚洋二さんや、
同賞を受けた梶田隆章さんが
育っている。
「宇宙はどのように
 生まれたのか」
「物質の究極の姿とは」。
そんな問いの答えを
小柴さんは追い求めてきた。
基礎研究の価値を
身をもって証し、宇宙へと
旅立った。
(春秋 日本経済新聞11/14 0:45)

毎日新聞は?
東大嫌いの物理学者、
武谷三男は若き小柴昌俊さんの
結婚式で語った。
「今日の婿さんは、
 東大を出たけれど、
 ビリで出たからまだ
 いくらかの見込みはある」。
「ビリ」を吹聴したのは
当の花婿さん自身だった
▲後年、東大の卒業式の
祝辞で小柴さんは自らの
成績表を披露する。
優2、良10、可4の成績は
ビリではなかろうが、
ノーベル賞に輝く東大教授の
ものとも思えない。
成績はどだい受け身の評価、
この先は違うぞと卒業生に
伝えたのだ
▲「物事をとことん
  突き詰めると、
  勘の当たりが良くなる」。
物理学者とも思えぬ
論理を超越した名言も、
変人を自認するキャラの
たまものだった。
その中には
をつかめるかどうかは、
 日ごろから準備しているか
 どうか
だ」もある
▲何十年に1度の超新星爆発が
観測されたのは、素粒子観測
施設「カミオカンデ」の観測
態勢が整ったばかりの時だった。
1カ月後に東大を退官する
小柴さんが心血を注いだ
カミオカンデは爆発で出た
ニュートリノをみごとに
とらえた
▲世界初のニュートリノ
観測でノーベル物理学賞を
受賞した小柴さんは、
この発見は何の役に立つ
のかという記者の問いに
断言した。
まったく役に立ちません」。
そして
基礎科学の成果は
 人類共通の知的財産
です」
と言葉を足した
▲小柴さんは目先の利益に
とらわれない基礎科学研究の
重要さを訴え続けた。
では、日本の現状はどうか。
「やれば、できる」との
言葉も残したノーベル賞学者
には、少し心残りもあった
旅立ちかもしれない。
(余録 毎日新聞11/14 02:02)

読売新聞は?
物理の教科に落第点を
つけられた。
寮の風呂に入っていると、
担当の教師が学生に話す
声が聞こえてきた。
「小柴は物理はだめだ。
 大学ではインド哲学か
 ドイツ文学に進むのでは
 ないか」
◆悔しさをバネに物理学の
道に進んだ人が好んでした
思い出話である。
地球など星々にも遮られず
宇宙を飛ぶ素粒子
ニュートリノの観測に
世界で初めて成功し、
ノーベル物理学賞を受賞した
小柴昌俊さんが94歳で
亡くなった
◆地中深くに築かれた大水槽、
その壁を無数の光センサーが
埋め尽くす――
受賞当時を振り返れば、
型破りの観測装置
「カミオカンデ」に驚かされた
人は多かろう
◆同じ物理学の先哲で随筆家
でもあった寺田寅彦の一文を
思い出す。
科学者は自然を恋人と
 しなければ
ならない。
 自然は恋人にのみ
 真心を打ち明ける

(「科学者とあたま」)。
カミオカンデはいわば、
小柴さんが情熱を込めて書いた
宇宙へのラブレターだろう
◆基礎科学の面白さを
子供たちに伝えようと、
講演や実験教室にも快く足を
運んだ。
そこからは科学に恋い焦がれ、
お風呂に入るたびに
励まされる研究者の卵が
生まれたにちがいない。
(編集手帳 讀賣新聞11/14)
ラベル:小柴昌俊
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 | Comment(0) | お悔やみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする