2020年10月06日

デジタル化しても判を押すような納得の安心は残るだろうか

‘20年10月6日(火) 

韓国で彫ってもらった
ハンコが手元にある。
骨董の街として知られる
ソウルの仁寺洞。
ここにはその道一筋の
名人がいて、
客の姓名判断なども
施したうえで雅趣豊かな
印章を仕上げてくれる
のだ。
ときには年賀状などに、
落款みたいなそれを押して
ひとり楽しんでいる
▼IT先進国のかの国でも、
ハンコ文化は
しっかり残っているわけだ。
日本統治時代に
持ち込まれたとされる
印鑑登録制度も、
台湾と並んで命脈を保って
いるという。
韓国でさえそんな具合だから、
ニッポンのハンコは
まだまだ元気である。
宅配便の受け取り用に、
ポンと押せる認め印を
玄関に置いているお宅も
少なくない
▼新政権は行政の
デジタル化に躍起だ。
河野太郎行革担当相は、
省庁の書類のほとんどは
ハンコ不要と鼻息が荒い。
非効率な「紙」の
やり取りをやめる好機に
なるし、
押印のための出勤という
リモート化の障害も減るに
違いない。
とはいえ、これが社会に
どこまで広がるか。
印鑑登録制度のあり方も、
もっと検討されていい
▼ハンコは
アートとしての顔も持つ。
ソウルの仁寺洞には
印泥(朱肉)を収めた
陶磁器の小さな壺を
売る店もあって、
好事家が足を運んでくる。
こういう伝統文化はきちんと
継承しつつ、実務面での
電子化は
うんと進めたいものだ。
ともすれば議論が単純に
なりがちだが、あまり判で
押したような反応には
走らぬことである。
(春秋 日本経済新聞10/5 1:19)
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posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする