2019年06月03日

人口が減少する日本、人一人は大河の一滴ではない

'19年6月3日(月)

「城の崎にて」
「小僧の神様」などで
知られる作家の志賀直哉は、
1969年、新聞に随筆を
寄せた。自らの命を
ナイル川のしずくに例え、
「その一滴は後にも前にも
 この私だけで、何万年
 遡っても私はいず、
 何万年経っても再び
 生まれては来ないのだ」
と書いている。
▼「しかもなおその私は
 依然として大河の水の
 一滴に過ぎない」。
そう続き
「それで差支えないのだ」
と結んだ。
60年の創作活動の末、
たどり着いた境地だった
ろうか。この一文が
発表されて半世紀、
少し似た表現で月刊誌に
自らの思いを吐露したのが
村上春樹さんである。
従軍した父の生涯に迫る
「猫を棄てる」の末尾だ。
▼我々を雨粒の一滴に
なぞらえ、一滴には
一滴なりの思いがある、
歴史がある、歴史を受け
継ぐ責務がある、と畳み
かける。
雨粒はどこかに吸い込まれ、
輪郭を失い、集合的な
何かに置き換えられ消える。
逆にだからこそ、
思いや歴史を忘れては
ならないと村上さんは説いて
いた。
老境の達観とは異なり、
悲壮な趣さえある。
▼令和も、ひと月。
新しい世に希望を託したはず
だったが、国の内外で
かけがえのない命の受難が
続く。
シリアで200人超の市民が
死亡、日本では幼児が
無謀な運転の犠牲となった。
登校中の児童らが
殺傷された事件には言葉が
でない。
涙は乾くまもないが、
同じ「一滴」として底知れぬ
無念や悲しみに寄り添い続け
たい。
(春秋 日本経済新聞6/1)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする