2019年05月30日

社会に害をなす者を野放しにするシステムがよくない

‘19年5月30日(木)

読売新聞
子供のころはなぜか、
時間の流れを遅く感じる。
詩人の高橋順子さんは
その感覚を「雨つぶ」に
例えている
◆<わたしたちの時間は
 /空の中に生まれた
  喜ばしい雨つぶ
 /のように始まるの
  ではないか・・・
  新品のまんまるの
  雨つぶはまだ
 /きみの空に浮かんでいて
  落っこちそうもない>
(「子どもの時間」)。
幼い子には退屈なほど
悠長な時の流れでも、
親には愛情を注いでも
注ぎきれないほど
早く過ぎる時間かも
しれない
◆そんな大切な時を
凶刃が切り裂いた。
川崎市でスクールバスを
待つ児童らを刃物を持つ
男が襲った殺傷容儀事件
である
◆悲報に胸がつぶれる。
私立小6年栗林華子さん
(11)と、子供を送りに
来ていた外務省職員
小山智史さん(39)が
亡くなった。
子と親がどれほど幸せな
時間を生きているか、
つゆほども知らない人間の
犯行に違いない
◆先の詩に次の一節がある。
<(雨つぶが)ゆらゆらし
 だすのは/きみが最後の
 スクールバスから
/降りるころだろう>。
思春期の始まる頃合いと
思われる。栗林さんは
最後のバスにもう乗れない。
小山さんもわが子の成長を
見守ることができなく
なった。無念だろう。
(編集手帳 讀賣新聞5/29)

河北新報
小学生の子を持つ親にとって、
通学で一番心配なのは
交通事故だろう。学校は
親に横断歩道へ順番で立って
もらったり、集団登校を
させたりするなどして、
子どもの安全を守っている。
そんな親や学校の想像を
超えるような凶悪な事件が
起きてしまった
▼川崎市多摩区の公園近くの
路上で、通学バスを
待っていた私立カリタス小の
児童ら19人が襲われた。
男が両手に持った包丁で刺し、
小学6年の女子児童(11)と、
別の児童の父親(39)が
亡くなった。他の17人も
重軽傷を負った
▼いつもの朝のように
「行ってきます」と、
家を出たであろう
子どもたちである。
目撃者によると、
男は子どもたちに
無言でゆっくりと近づいて
襲い掛かったという。
どんなにか怖かったこと
だろう
▼児童を標的にした事件と
いえば、2001年に
大阪教育大付属池田小に
包丁を持った男が侵入し、
児童8人を殺害した事件が
頭に浮かぶ。国はそれ以降、
防犯カメラの設置など
学校の安全対策を徐々に
強化してきたが、
通学路までは目が
行き届かないのが現状だ
▼容疑者の男は自ら命を
絶った。全容解明は
容易ではないだろう。
では、何の落ち度もない
子どもたちをどう守れば
よかったのか。その答えは
考えても、考えても
見つからない。
憤りといら立ちだけが
残る事件である。
(河北春秋 河北新報ONLINE NEWS5/29)

毎日新聞
えたいの知れぬ
悪意によって人を襲う
犯罪をいう「通り魔」だが、
その昔は人にとりついて
乱心させる魔物を指した。
江戸時代の本には
やりを携えた白装束の男や
笑みを浮かべる
白髪の老人の姿で現れる
▲「通り悪魔」「通り者」
ともいうこの魔物、
庭先などに突然出現するが、
そこであわてずに下腹に
心気(しんき)をおさめて
目を閉じれば消える。
ほどなく隣家や近所で
乱心による殺傷事件が起きた
というのが、どの話にも
共通する結末である
▲昔の人は理解を絶する
無差別な凶行を何かの魔の
仕業(しわざ)と思うしか
なかったのだろう。
それは今もさほど変わらない。
いつもと同じ朝、突然
子どもたちが訳の分からぬ
殺意に襲われたなら、
その理不尽をどう
心におさめられるだろうか
▲川崎市の登戸駅近くで
いつものように通学バスを
待っていた児童と保護者に
いきなり襲いかかった男の
凶刃である。
男は子どもらを次々に刺し、
小6女児と別の児童の
父親が亡くなり、負傷者は
重傷者3人をふくめて
17人にのぼった
▲何の防備もない
子どもらの集団は、
だからこそ襲われたのか。
男は自らの首を刺し、
ほどなく死亡が確認された。
包丁を4本も用意していた
底知れぬ悪意の魔は
どこから来たのか。
その口から聞き出す機会は
永遠に失われてしまった
▲「どうしたら子どもを
 守れるのか」。
途方もない悪意を目の前に
して戸惑う声が上がるのも
しかたない。
だが、それでも子どもは
守るという地域や学校の
「強い善意」の連携をおいて
魔物を封じる手立てはない。
(余録 毎日新聞5/29)

昨今、してはいけ
ないことを
してはいけないと教える
しつけが充分にできて
いないように思う。
犯行後に自殺したところを
みると、善悪が分かるよう
ではあるが、犯行の犠牲は
それでは済まない。

社会で生きることの
便利さには、制約が伴って
思うようにいかない
こともある。
それに不満があるとすれば
しつけが足らないことになる。

昔の子供たちは、道草を
しながら、登下校したもの
である。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする