2019年05月06日

子どもの声がしない社会はその衰退が止まっていない

'19年5月6日(月)

泥だらけで遊ぶ姿を
見かけない。
街で歓声を聞かない。
写真家の
田沼武能(たけよし)さん
(90)は子どもの姿を
追うのに四苦八苦する。
1970年代のことである
◆目を転じ、集落の
伝統祭事を巡った。
岐阜の奥飛騨では舞や
踊りの猛練習を見た。
大将格の男の子を真ん中に
先輩が教え運営も手掛ける。
5年後、10年後に
再訪すると、幼子が立派に
指導役へと成長していた
◆トイトイとか、チャン
チャカチャンとか。
写真集『子ども組』
(新日本出版社)には、
その名も楽しい34の祭礼の
様子が収録されている。
年も性別もまちまちの子らが
一様に緊張したり、心底
笑ったり。繰れば繰るほど、
ほっこりする一冊である
◆撮影、出版から時が経った。
絶えた行事もある中、
奥飛騨では、この春も
十数人が立派に祭りをやり
遂げたという。
明治から続く集まりだ。
どれほど子が減ろうと
令和の時代も変わらず
結束し、歴史を紡いで
いくのだろう
◆平安期の歌謡集
「梁塵秘抄」に、
田沼さんが取材のたびに
浮かべた著名な一首がある。
<遊びをせんとや生れけむ
/戯れせんとや生れけん
/遊ぶ子供の聲きけば
/我が身さへこそ動(ゆる)
 がるれ>
(編集手帳 讀賣新聞5/5)

5日は
このブログ管理人の誕生日
(目出度くもあり、
 目出度くもなし)。
孫たちと息子夫婦が関西の
自宅へ戻った。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする