2018年10月29日

語彙が少ないと折角の言論の自由も持ち腐れになる

'18年10月29日(月)
[単語] ブログ村キーワード

国語学者の大野晋さんが
約20年前に出した
『日本語練習帳』にこう
あった。新聞や雑誌に
使われる単語の数は年間
およそ3万語とされる。
その5、6割は1度しか
使われない。
「つまり、半分の単語は…
 一年に二度とお目にかかる
 ことがない」と
▼大野さんは続ける。
「使用度数1、あるいは
 一生で一度も使わない
 かもしれない。
 だからいらないのでは
 なくて、
 その一回のための単語を
 蓄えていること」。
手間を惜しまず
豊かな語彙を身につけよ、と。
物書きの端くれとして、
自省とともに思い出す言葉
である
▼読書週間が始まった。
毎日新聞の読書世論調査に
よると、
書籍の「不読率」は52%で
「読書率」45%を上回った
という。
読み書きの能力に不足を
感じると答えた人は8割を
超えた。言葉の世界へと
いざなう本を閉じれば、
言語の営みが先細りする
のはやむを得まい
▼表紙をひとつめくる
だけで言葉との出会いが
あるのに、現代人は
スマートフォンの上で
指を滑らせるのに忙しい。
膨大な量の情報に追われ、
多くの時間を奪われている。
その代償として、
本や新聞、雑誌のページを
繰る手が疎かになっている
なら、あまりに惜しい
▼「自分の心のなかに
  失いたくない言葉の
  蓄え場所をつくり
  だすのが、読書です」
と詩人の長田弘さんは書いた。
とりわけコラムは、
人の言葉に多くを負っている。
小欄にとって読書とは、
いつ来るか分からぬ
「その一回」に備えて
言葉を探し、蓄える作業
でもある。
▼人の持ち時間には限りが
あり、厚い辞書の中に
埋もれた言葉たちとの出会いも
おのずと限られる。
長田さんは
「人は言葉でできている」
とも書いた。このひと言に
背中を押された人は手近な
朝刊を開いてくれてもいい。
新聞も言葉でできている。
(産経抄 sankei.com10/28 05:00)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする