2018年10月10日

礼儀作法には潤滑油の働きがあると松下幸之助さん

'18年10月10日(水)
[礼儀作法] ブログ村キーワード

「最近の若い人は、礼儀を
 知らない」ということを
ときどき聞きますが、
そういうことは、職場においても
よくいわれているようです。

これは、戦後、家庭や学校に
おいて、
あまり礼儀作法やしつけという
ことをいわなくなったところに、
一つの大きな原因があるように
思われます。
もちろん、礼儀作法をキチンと
身につけている若い人も少なく
ないでしょうが、このごろは、
先生と生徒は友だちどうしの
ようであることがいいことだ
といった考え方も一部には
あるようで、
そういうものを知らないままに
社会人となる若い人が増えて
きつつあるのも事実ではないか
と思うのです。

けれども、社会生活においては、
当然、キチンとした礼儀作法が
要求されます。それは、
それまでそういうことには
比較的無頓着であった
若い新入社員の人々には、
いささかならず堅苦しいこと
のように感じられるかも
しれません。

しかしたとえそう感じる
若い人でも、自分が傍若無人の
ふるまいをする礼儀知らずの
人に出会ったら、
どんな感じがするでしょうか。
それを考えれば、その必要性に
ついてはだれもが認めるところ
でしょう。

私は、礼儀作法というものは、
決して堅苦しいものでも、
単なる形式でもないと思います。
それはいわば、
社会生活における“潤滑油”の
ようなものといえるのでは
ないでしょうか。

機械と機械がかみあって
ゴウゴウと回るとき、
潤滑油がなければ、
摩擦が起こり火花が散ったり
して、機械は早くいたんで
しまいます。
それと同じように、
人間と人間のあいだにも、
潤滑油がいると思うのです。

性別や年齢、ものの考え方など、
いろいろの面で異なる人々が
相寄って仕事をしていくのが
職場です。
したがって、そこにはやはり
お互いのあいだを滑らかに
支障なく動かすための潤滑油が
いるわけです。
その役割を果たすのが
礼儀作法だと思うのです。

ですから、
礼儀作法というものは、
当然心のこもったもので
なければなりませんが、
心に思っているだけでは、
潤滑油とはなり得ません。
やはり形にあらわし、
相手に伝わりやすくして
こそはじめて生きてくる
ものです。
そういう心と形の両面が
あいまった適切な職場の
礼儀作法というものを
早く身につけることが、
新入社員として
仕事をしていく上で
きわめて大切だといえま
しょう。
(松下幸之助 社員心得帖
 PHP文庫)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする