2018年10月15日

清潔さは安全安心につながる住みやすさの前提

'18年10月15日(月)
[ディズニーランド] ブログ村キーワード

東京ディズニーランド
では24時間、
清掃が行われている。
閉園後の真夜中も、
スタッフが
園全体を水洗いし、
常に新品の状態で
来園者を迎えるという。
合格基準は、その場で
「赤ちゃんが
 ハイハイできること」
と厳しい
(『掃除と経営』大森信著)
▼「夢の国」とは、
人々が流した「心がけ」
という汗水の上に浮かぶ
島だろう。ごみを見かけぬ
わが国の街並みも、
サッカー日本代表の
サポーターが
海外の競技場で行う清掃も、
お国柄の発露として
何の違和感もなく見てきた。
実は、稀有な心がけなのかも
しれない。
▼十数年前に取材で訪れた、
エジプトの街並みを思い出す。
首都カイロでは、
道路わきに散乱したごみを、
うまそうにはむヤギの姿に
閉口した。
住宅街のわずかな空き地にも
家庭ごみがうずたかく積まれ、
鼻をつまんだ覚えがある。
いまの街並みはどう変わった
ろう
▼エジプトの一部の小学校で、
学級会や日直、掃除などの
「日本式」を取り入れた教育が
始まったと、先日の国際面に
あった。
国際協力機構(JICA)の
支援事業である。掃除なら
「公共」の意識や仲間との協力、
日直なら責任感が、
子供たちの中で芽吹けばいい
▼「夢の国」でさえ、
昭和58年の開園当初は
清掃員が不人気で、
なり手不足に悩まされたという。
エジプトで
「トッカツ(特別活動)」
と呼ばれる日本式教育が
根付くには、歳月が必要だろう。
「公共」や「協力」が
お国柄として実を結ぶまで、
長い目で見守りたい
▼社内や地域の清掃活動を
社員総出で行う寒天メーカー、
伊那食品工業
(長野県伊那市)の
塚越寛会長いわく
「掃除は、それを行う
 人間も磨く」。
一人の小さな心がけも
積もれば山となろう。
ちり一つない街並みが、
かの国にも生まれるといい。
(産経抄 産経ニュース10/14 05:00)

住む地域が汚れていると
遠慮なく、
誰かがどこかで吸殻を
棄てたり、落書きなどを
したりしているようで
落ち着かない。
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2018年10月14日

日本のサービス業では絶対に使えない言葉が韓国で

'18年10月14日(日)
[電子決済] ブログ村キーワード

「おつりがありません」。
外食や買い物の際、
五万㌆札を出すと、
しょっちゅうこう言われる。
店員らは悪びれることなく、
即座に
「カードはありますか」
と聞いてくる。

五万㌆札は韓国で
最高額紙幣だが、日本円では
5千円前後にあたる。
つりを用意しないとは
サービス業としていかがな
ものかとムッとするが、
文句を言っても仕方ないので、
クレジットカードを差し出す。

周囲を見渡すと、
現金を使う人はあまり
見かけない。
コンビニでガムを買うにも、
小さな食堂でのり巻きの
キムパプを買うにも大半が
カードでピッと支払う。
日本では主流の
「現金主義者」は
韓国では少数派だ。

スマートフォンで
商品の宅配や食事の出前を
注文し、注文時に
サッと電子決済してしまうのも
日本以上に盛んだ。

現金払いに比べ、
電子決済の方が金額を
気にしない傾向があり、
経済の活性化にプラスになる
との分析がある。
周囲の韓国人も金払いがいい
ように感じる。
外食などはいまや日本より
割高な中、知人らは昼食代に
1万〜2万㌆かかっても
躊躇なく、カード払いする。

文在寅大統領の経済政策は
迷走気味で
さんざん非難されているが、
結局のところ、
国民の旺盛な消費活動が
韓国経済を下支えしているの
かもしれない。(桜井紀雄)
(外信コラム ソウルからヨボセヨ
 (もしもし)
 産経ニュース10/10 12:15)

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2018年10月13日

能力はしつけと共に末代までも受け継がれる

'18年10月13日(土)
[佐々淳行] ブログ村キーワード

先祖の話ができる人は
うらやましい。
10日、87歳で亡くなった
初代内閣安全保障室長の
佐々淳行(さっさ・あつゆき)
さんのルーツをたどると、
織田信長の下で数々の
戦功を挙げた佐々成政に
行き着く。
後に豊臣秀吉によって
切腹に追い込まれる
悲劇の武将である
▼司馬遼太郎の
『翔ぶが如く』にも
登場する友房は、
祖父に当たる。
西南戦争で
西郷隆盛側につき、
奮戦した。
重傷を負って
監獄に収監されるも
やがて許され、
国会議員として活躍する。
佐々さんは、
そんな武人の血筋に
導かれるように
警察官僚への道を選んだ
▼当時は、
日米安保をめぐる
過激派闘争のまっただ中
である。
東大安田講堂事件から
あさま山荘事件まで、
数々の血みどろの現場で
指揮を執りながら、
先祖の戦いぶりに
思いをはせたという。
過酷な体験を重ねるうちに、
独自の交渉術や
情報伝達術を編み出して
いく。
それらを集約した言葉として
生み出したのが、
「危機管理」だった。
戦後の日本社会から
すっぽり抜け落ちていた、
概念でもある。
▼退官後は、取材や講演に
引っ張りだこだった。
ボランティア活動にも
精を出す。
多忙のなか、もう一つの
才能の花を大きく咲かせた。
小欄が最初に手にした
著作は、
『目黒警察署物語』だった。
エリート官僚らしからぬ
軽妙な筆の運びに、
脱帽したものだ。
▼それも家系を見直すと
驚くに当たらない。
祖父、友房は、詩人でも
あった。
父親の弘雄氏は、
学者から朝日新聞に入り、
後に政治家になった。
終戦の8月15日に書いた
朝日の社説
「一億相哭(そうこく)
 秋(とき)」は、
名論説として名高い
▼「わが人生に悔いなし」。
佐々さんが、平成19年に
「正論大賞」を
受賞したときのコメント
である。
武人としても文人としても
人生を全うしたのだから、
当然であろう。
(産経抄 産経ニュース10/12 05:00)

参考
佐々淳行
(1930/12/11 – 2018/10/10)
警察・防衛官僚。
危機管理評論家。
熊本県出身の政治学者で、
後に参議院議員を務めた
佐々弘雄の次男として、
東京市麻布区
(現・東京都港区)に
生まれる。
戦国武将・佐々成政の
末裔の家系でもある。
6歳のとき自宅近くで
二・二六事件が発生。
その戒厳下の体験が
危機管理人生の出発点と
なったという。
旧制成蹊高等学校を経て、
1954年(昭和29年)に
東京大学法学部政治学科を
卒業(Wikipedia)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月12日

「何だ3番か」、子の教育は子を知る親にしかず

'18年10月12日(金)
[生理用品] ブログ村キーワード

ユニ・チャームの創業者、
高原慶一朗さんが、
前身となる会社を設立したのは、
昭和36(1961)年である。
その翌年には、
米国へ視察旅行に出かけた。
一番驚いたのは、
サンフランシスコの
スーパーでの光景である
▼女性客が山積みされた
生理用品を、まるで
ポテトチップスを買うような
気楽さで
カゴに放り込んでいた。
日本ではまだ、薬局の片隅で
人目をはばかって
売られていた時代である。
高原さんはひらめいた。
「いいものつくって、
 明るく売ったらいける」
▼もっとも国内では、
坂井泰子(よしこ)さんが
すでにアンネナプキンを
世に送り出し、9割のシェアを
占めていた。
高原さんらは商品開発に
励む一方で、しらみつぶしに
問屋に飛び込み売り込んだ。
商品を身につけた高原さんが
トイレを借りて取り出し、
優秀さを説明しようとして、
相手をあきれさせたものだ
▼46年には、ついに
生理用品で首位の座を奪う。
ただ誰よりも報告したい相手は、
この世にいなかった。
母親のアヤコさんが前年、
67歳で亡くなっていた。
通夜の席上、泣き崩れた姿は
その後も家族の間で語りぐさに
なった。本人曰(いわ)く。
「強烈なマザコン」である
▼5人兄弟の長男である
高原さんの誕生日だけ、
鯛の尾頭付きが用意された。
それだけ母親の期待が
大きかった。
小学生の頃いじめを受けて
泣いて帰ると、
「みっともないことは
 するもんやない」と
突き放された。
試験で学年3番になったと
報告しても、返ってきた言葉は
「なんや3番か」である
▼以来1番をめざして
がむしゃらに突き進んできた、
高原さんの訃報が届いた。
87歳だった。
会社は幾度もあったピンチを
乗り越え、現在は紙おむつでも
トップに立つ。
高原さんは胸を張って母親に
報告できそうだ。
(産経抄 産経ニュース10/11 05:00)
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2018年10月11日

現役時代、花道が似合った元横綱輪島大士さん逝く

'18年10月11日(木)
[アウスレーゼ] ブログ村キーワード

洗練された男のおしゃれを
売り言葉に、資生堂が
微香性化粧品「アウスレーゼ」を
発売したのは1980年になる。
翌年、整髪剤のCMがあっと
言わせた
◆初代貴ノ花と輪島が
橋の上でばったり出くわす。
ともに引退し、髷をやめたばかり。
貴ノ花はきれいに整えた
輪島のパーマをしげしげと眺め、
尋ねる。
「それ、鬢(びん)付け油?」
「ノー、アウスレーゼ」
◆不機嫌な顔で花道をずしずしと
歩くのに笑うと目じりが下がり、
ひょうきんな人柄をにじませた。
それでいてめっぽう強い。
昭和の大相撲を華やがせた
元横綱、輪島大士さんが
亡くなった
◆数年前に咽頭がんの手術を
受けた。享年70歳。
「黄金の左」にしびれた世代は
早すぎないかという思いだろう。
名勝負を何度も演じた大関の
貴ノ花とは、土俵の外では
「親友」を互いに自任する仲
だったという
◆いろいろあった人である。
金銭問題で昭和の末頃に角界を
去り、プロレスラーなどを経て
解説者として
大相撲の舞台に戻ったのは
2009年になる。
そのとき審判部で出迎えたのが
親友の息子さんだった。
最近までのいろいろを、
どんな思いで眺めていただろう。
(編集手帳 讀賣新聞10/10)

輪島を新幹線で見かけた
ことがある。
付き人と思われる人が
弁当を6つ重ねて運んだ。

トレパン姿で髷を隠すように
ハンチングを被っていたが、
不自然に浮いていた。

学生相撲から角界入りし、
体が出来上がる前に、
黄金の左で昇進していった
ので、新弟子時代の
息が上がるような猛稽古が
不足し、長い相撲は苦手
だったようだ。

専門家は外見から
このことを胸が薄いと
表現した。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする