2018年08月16日

戦争さなかに触れた人情が忘れられず台湾から人探し

'18年8月16日(木)
[終戦記念日] ブログ村キーワード

15日は終戦記念日。
台湾・雲林県に住む廖来章
(りょうらいしょう)さん
(88)も、この日を特別な
思いで過ごす一人だ。
73年前、東京で玉音放送を
聞いた。その頃、
動員で働いていた東京・府中の
東芝工場で、とても親切に
してくれ、「養子に」と
申し出た日本人に会いたいと、
台湾に戻った後も探し続けて
いる。

昭和18年7月、台湾にいた
廖さんは当時の高等小学校を
卒業後、志願動員で日本に渡り、
現在の東芝府中事業所で働いた。

その時、とても親切にして
くれたのが監査部にいた
斉藤龍次郎さんという男性。
年齢は35歳から40歳ぐらい。
妻と2人の子供とともに、
工場近くの社宅に住んでいた
そうだ。

廖さんらは社員寮で集団生活を
していた。

斉藤さんはとても面倒見が
よく、廖さんらがおなかを
空かしていないか、
寒くないかと心配してくれた
そうだ。
通信教育を受けていた
廖さんの勉強をみてくれたり、
斉藤さんの妻も、着物を縫って
くれたりした。

長瀞(埼玉県)に遊びに連れて
行ってくれたこともあった。
みんなで歌ったり、持参した
野菜で飯盒(はんごう)炊さんを
したりした。

「紅葉がとても美しかった」。
廖さんはその時の写真を今も
大切に持っており、懐かしく
思い出すという。

やがて終戦。混乱の中、
台湾の事情も分からない。
斉藤さんは心配して、
廖さんに
「うちの養子にならないか」
と申し出てくれた。

だが、台湾の父親から
戻ってこいと電報が来た。
さんざん悩み抜いた末、
21年2月、故郷に帰る船に
乗った。

その後、中学校の教員として
働き、校長になった廖さん。
「お礼がしたい」と思い、
何度か訪日して斉藤さんの
行方を捜したが見つからず、
東芝府中事業所にも行って
みたが分からなかったそうだ。

廖さんは
「斉藤さんはもしかしたら
 もう亡くなっているかも
 しれないが、せめて
 お墓参りをしたい。
 親族の方がいれば会って
 お礼がしたい」
と話している。(慶田久幸)
     ◇
斉藤さんの消息をご存じの
方は〒100−8077
(住所不要)産経新聞
社会部東京編集部まで郵便、
またはメール
(shuto@sankei.co.jp)で
お知らせください。
(産経ニュース8/14 23:05)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする