2018年08月17日

幼児の生命力と並外れた捜索ボランティアの神通力

'18年8月17日(金)
[迷子] ブログ村キーワード

「東京でも以前はよく
 子供がいなくなった」。
迷子や神隠しに関心を
寄せていた
日本の民俗学の創始者、
柳田国男は、『山の人生』で
こう書いている。
「この場合には
 町内の衆が、各一個の
 提灯を携えて集まり来たり、
 夜どおし大声で喚んで
 歩くのが、義理でもあり
 また慣例でもあった」
▼山口県周防(すおう)大島町で
行方不明になっていた
藤本理稀(よしき)くん
(2)が、15日朝、
ボランティアの男性に
保護された。男性が
名前を呼んで山中を
捜索していると、
「ぼく、ここ」と返事を
した。母親の実家に
遊びに来ていた理稀くんは、
3日前の朝、1人で家の
方向に歩いている姿が
目撃されたのを最後に、
安否がわからなくなって
いた

「よっちゃん、よっちゃん、
 みんな待ってるから
 出ておいで」。
無事を祈る母親は、
防災無線を使って何度も
呼びかけた。
理稀くんの耳に届いていた
のだろうか。何より
生命力の強さに驚いた。
3日間、昼間の気温は
30度を超えていた。
幼い子供がたった1人
食べ物もないまま、
どのように命をつないで
いたのだろう
▼建築史家の藤森照信さんは
子供の頃、故郷の
長野県の山中で不思議な
体験をしている。
道に迷って、水たまりの
まわりに花が咲いている、
きれいな場所に出た。
いい気持ちになって
しゃがみこんだ
▼ただこのままいたら、
家に帰れなくなるという
気がしてきて、逃げる
ように立ち去った。
大人になって柳田の著作を
読み、自分が神隠しの
入り口に立っていたと、
納得したという。
柳田自身、何度も神隠しに
遭いかけたエピソードを
つづっている
▼理稀くんも神隠しの
入り口に立ち、そこから
見事脱出に成功したの
かもしれない。
エネルギーのもとは、
ママに会いたいその一心で
あろう。本当によく
がんばった。
(産経抄 産経ニュース8/16 05:00)


70年も前のことだが、
隣の同級生と、
洞穴に住む老人のところに
泊まり、虫取りをする
計画を告げ、家を出た。

老人は日が暮れると
小枝を燃して
洞穴の蚊いぶしをし、
夕飯にそうめんを作って
くれた。

夜、就寝の支度をして
いると、遠くの方から
懐中電灯の列が、
田んぼの畦道を通って
近づいてきた。
二人の名前を呼びながら
である。

親たちの判断で
連れ戻しの人数が
差し向けられたと
思われる。

厳しかった父親からは
一言も叱責の言葉は
なかった。
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2018年08月16日

戦争さなかに触れた人情が忘れられず台湾から人探し

'18年8月16日(木)
[終戦記念日] ブログ村キーワード

15日は終戦記念日。
台湾・雲林県に住む廖来章
(りょうらいしょう)さん
(88)も、この日を特別な
思いで過ごす一人だ。
73年前、東京で玉音放送を
聞いた。その頃、
動員で働いていた東京・府中の
東芝工場で、とても親切に
してくれ、「養子に」と
申し出た日本人に会いたいと、
台湾に戻った後も探し続けて
いる。

昭和18年7月、台湾にいた
廖さんは当時の高等小学校を
卒業後、志願動員で日本に渡り、
現在の東芝府中事業所で働いた。

その時、とても親切にして
くれたのが監査部にいた
斉藤龍次郎さんという男性。
年齢は35歳から40歳ぐらい。
妻と2人の子供とともに、
工場近くの社宅に住んでいた
そうだ。

廖さんらは社員寮で集団生活を
していた。

斉藤さんはとても面倒見が
よく、廖さんらがおなかを
空かしていないか、
寒くないかと心配してくれた
そうだ。
通信教育を受けていた
廖さんの勉強をみてくれたり、
斉藤さんの妻も、着物を縫って
くれたりした。

長瀞(埼玉県)に遊びに連れて
行ってくれたこともあった。
みんなで歌ったり、持参した
野菜で飯盒(はんごう)炊さんを
したりした。

「紅葉がとても美しかった」。
廖さんはその時の写真を今も
大切に持っており、懐かしく
思い出すという。

やがて終戦。混乱の中、
台湾の事情も分からない。
斉藤さんは心配して、
廖さんに
「うちの養子にならないか」
と申し出てくれた。

だが、台湾の父親から
戻ってこいと電報が来た。
さんざん悩み抜いた末、
21年2月、故郷に帰る船に
乗った。

その後、中学校の教員として
働き、校長になった廖さん。
「お礼がしたい」と思い、
何度か訪日して斉藤さんの
行方を捜したが見つからず、
東芝府中事業所にも行って
みたが分からなかったそうだ。

廖さんは
「斉藤さんはもしかしたら
 もう亡くなっているかも
 しれないが、せめて
 お墓参りをしたい。
 親族の方がいれば会って
 お礼がしたい」
と話している。(慶田久幸)
     ◇
斉藤さんの消息をご存じの
方は〒100−8077
(住所不要)産経新聞
社会部東京編集部まで郵便、
またはメール
(shuto@sankei.co.jp)で
お知らせください。
(産経ニュース8/14 23:05)
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2018年08月15日

「おへそ」は見せるものか隠すものか 

'18年8月15日(水)
[海水浴] ブログ村キーワード

外信コラム
海水浴シーズンが到来し、
イタリアの新聞では
「水着を着る若い女性が
 自分のへその形を気にする
 季節」といわれている。
へその形に自信のある女性は
積極的にその美しさを誇示
するのだという。

昔はどうだったのか−。
ルネサンス期のイタリア
絵画に答えを求めようと
美術図鑑のページをめくって
みた。
当時の巨匠たちが「へそ」に
それほど重点を置いている
とは思えなかった。

ボッティチェッリの
「ビーナスの誕生」で
描かれているへそは
小さく丸いかわいい形だし、
ラファエロが「3美神」で
描いたのは、丸くくぼんだ
何気ない印象だ。
ティツィアーノの傑作
「聖愛と俗愛」で見られる
のも小さくへこんだ形を
している。

そもそもへそは、母体から
胎児に栄養と酸素を送る
重要な管が出生と同時に
役目を終え切断され、
その管の端にできた穴が
固い筋膜で覆われてできる
という。
日本で昔から
「おヘそを出していると
 雷様に取られますよ」と
注意されたように、
人に見せるものでは
なかった。

しかし時代は変わった。
イタリアでは自分の好きな
モデルのヘその写真を持参して、
「この形にしてください」と
形成外科を訪ねる女性も
少なくないという。
日本でもイタリアでも、
手術代は20万円前後と聞く。
(坂本鉄男)
(外信コラム イタリア便り
 産経ニュース8/12 13:40)


13日は、雷がなって、
停電が300世帯に
なるなどのお湿りが
あった。


さて、日本には
「へそ」を隠す文化が
定着していると思う。

子どものころは、
金時の腹掛けをしてたし、
へそを隠すことになって
いたお腹は今でも冷やすと
調子が悪い。
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2018年08月14日

企業経営はサッカーと同じと米ハーバード大教授が語る

'18年8月14日(火)
[チームプレー] ブログ村キーワード

米ハーバード大教授らと
関西の経営者らが議論する
「関西・ハーバードフォーラム」
(関西経済同友会など主催)が
7月10日、大阪市内で
開かれた。
出席者を驚かせたのは、
同大学教授陣が熱く語った
「日本人気質」。
チームプレーの大切さや
信念を貫く経営姿勢など、
かつて日本企業のお家芸と
された理念こそ、米国で
ベンチャー企業が続々と
生まれる秘密だというのだ。

「サッカーで自分が点を
 入れたことより、チームが
 勝ったかどうかが重要」

ハーバード・ケネディ
スクールのロジャー・
ポーター教授は基調講演の
最後をそう締めくくった。

個人プレーよりもチーム
プレー。
個人主義の文化だといわれる
米国人の口から出た発言に、
会場に詰めかけた企業関係者ら
約130人は意表をつかれた。

ポーター教授は会社組織の
あり方について
「どのように従業員が
 会社から扱われているかが
 重要。長く優れた製品を
 生み出している企業は、
 従業員から感謝される
 企業だ」と述べ、
従業員の満足度を経営の
大きな指標に位置づけた。
能力主義でリストラは
当たり前という、
米国企業に抱きがちな
日本人の固定観念を打ち砕く
言葉だった。
   □   □
基調講演後の
パネルディスカッションでは、
ベンチャー育成をめぐって
議論が白熱した。

ここでも、合理主義では
くくれない米国の企業風土に
会場の関心が向けられた。
ベンチャーに求められるのは、
利益重視の冷徹な経営判断
よりも、もっと人間的な情熱だ
というのだ。

「すべての成功した
 起業家には世界
 を変えたいという強い
 使命感があった。
 自分のやり方が
 これまでより優れている
 という強い信念だ」
そう熱っぽく語ったのは
同スクールのリチャード・
キャバナフ非常勤講師。

大林組の大林剛郎会長が
「日本には米国のように
 ベンチャーの奇抜な発想を
 受け入れる素地がない」
と指摘したのに対して、
キャバナフ氏は
「米国でもほとんどの
 ベンチャーが失敗する。
 不屈の精神、粘り強さが
 必要」と強調した。

ほかの参加者からは
「なぜ日本の良い技術が
 世界標準を取れないのか」
と疑問が示されたが、
キャバナフ氏は
「日本にも起業家精神の
 黄金期があった。
 1950〜70年代に
 自動車や家電メーカーが
 成長し、日本が
 グローバルスタンダード
 だった」と問いかけた。

神戸大大学院の三品和広
教授はキャバナフ氏の意見を
広げる形で、
「経営管理がいわれ出して
 から日本は弱くなった。
 (利益が出ず)自転車
 操業だったころの日本は
 活力があった。
 ベンチャーが最初から
 金を目的にすべきでは
 ないということだ」と
話した。
   □   □
同友会は平成5年から
毎年、米ボストンを訪問して
ハーバード大と共催で
フォーラムを開催。
創立70周年を迎えた
28年に初めて大阪で
フォーラムを開き、
今回は2回目だった。

ハーバードの教授陣が
チームプレーや精神力の
重要性を訴えたことに、
会場からは
「ハーバードの先生方は
 日本人よりも日本人らしい」
と驚きの声が上がった。
同友会の黒田章裕代表幹事
(コクヨ会長)は
7月31日の定例記者会見で
「日本的な経営の仕方、
 ものの考え方が評価され、
 勇気づけられた」と
振り返った。

ただ、アップル創業者の
スティーブ・ジョブズ氏が
何度も挫折しながら、
エンジニアのスティーブ・
ウォズニアック氏らと力を
合わせて成功したことを
思い起こせば、
「みんなでがんばる」ことは
日本人の専売特許ではない。

また、バブル崩壊と
「失われた20年」を経て
日本企業が忘れかけた価値観を、
かつてライバルとして客観的に
みていた米国人から逆に
教えられたのかもしれない。
(牛島要平)
(産経WEST8/13 06:30)

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2018年08月13日

日本の発展は江戸時代が助走として効いている

'18年8月13日(月)
[韓国] ブログ村キーワード

韓国のエリート外交官出身
ながら外交官を辞めて
日本風ウドン店をやっている
申尚穆(シン・サンモク)
(48)という“変わり者”が
いる。
外務省に入った後、
早稲田大に留学し2002年から
2年間、在日韓国大使館で
勤務。そのときの
日本体験から一念発起し、
6年前に外務省を退職して
和食ウドン店「きり山」を
開業した。

今も店は繁盛していて、
ソウルのグルメ激戦区である
「江南(カンナム)駅」周辺で、
人気店の一つになっている。
日本滞在時代に
ウドン食べ歩きなどで
「日本の味」にはまり、
中でもごくごく大衆的な
ウドンに日本の“文化力”を
感じ、自ら韓国で
店を始めたというわけだ。

彼は大変な勉強家で筆も
立ち、新聞や雑誌に
日本史エッセーを連載中
だが、昨年夏、出版した
『学校で教えてくれない
 日本史』は既に1万部を
超え、この種の本としては
異例のベストセラーに
なっている。

中身は江戸時代の多様な
紹介で、食文化や
ビジネスをはじめ
近代日本のルーツは
江戸にありというもの。
ベストセラーの背景に
ついては
「若者を中心に近年、
 激増している日本への
 旅行者が韓国とは
 異なる日本の姿に接し、
 なぜだろう?と知的
 疑問を抱くからかな」
という。日本に比べ
韓国が近代化に
立ち遅れたのは、
韓国には“江戸”が
なかったためというのが
彼の見立てである。
(黒田勝弘)
(外信コラム ソウルから
 ヨボセヨ(もしもし)
 産経ニュース8/11 11:00)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする