2017年03月26日

道徳の初めは教わるもの、あとは自分で掘り下げるもの

'17年3月26日(日)
[道徳教育] ブログ村キーワード

小学校の道徳教科書の
検定が初めて行われ、
内容が公表された。

合格した民間8社の
教科書をみると、
思いやりや公共心、
生命の尊さなど人々が
暮らす上で欠かせない
徳目を、子供たちが
考えながら学べるよう工夫
されている。

戦後教育でおざなりに
されてきたことである。
子供たちの心に迫る授業を
展開し、教育再生を図って
ほしい。

検定教科書を使って道徳を
教科化することには
「国が特定の価値観を
 押しつける」といった
批判がいまだにあるが、
的外れだ。

中央教育審議会の答申で
うたわれたように、
道徳の授業は「押しつけ」
とは対極にある。
立場の違いで価値判断が
異なるなど、多角的に
考える力を養うものだ。

道徳は教師の指導力の差が
大きい。
副読本を読んで終わらせる
だけの授業も少なくなかった。

学習指導要領では
「正直、誠実」「家族愛」
「畏敬の念」など
自分自身のほか、社会との
関わりや自然、生命の
崇高性に関する徳目を挙げ、
各学年での指導を分かり
やすく示した。

こうした徳目は普遍的な
価値を持つ。
自ら考えて議論する教育の
「芯」となる。
それなのに、戦後の教育に
欠けていた。
検定はそこを重視し、
指導要領に照らして足り
ない内容があれば修正した。

例えば「規則の尊重」に
ついてだ。
5、6年生用では、
公園のきまりを守る
といった記述にとどまらず、
権利と義務をバランスよく
学べるよう盛り込んだ。
高齢者への尊敬や感謝の
気持ちに関する内容を欠く
例もあり、検定の結果、
修正が加えられた。

個性の尊重に目を向ける
あまり、教えられて
こなかったものも少なく
ない。
先人への感謝や、人々の
支え合いで暮らしが成り
立っていることなどである。

正直を説く寓話
「金の斧」といった
伝統的な物語以外に、
「夢」をテーマに
プロ野球の大谷翔平選手を
登場させるなど、興味を
ひく工夫もこらしてある。
教材研究を通し、指導法を
含めてさらなる改善を期待
したい。

科学技術の進展やインター
ネットで情報があふれる
時代である。
大人も判断に迷う問題が
多い。政治や経済の
不祥事で「徳」のなさが
問われる場面も目立つ。

次代を担う子供たちのため、
保護者らも教科書を手に
取り、徳育の大切さを
再認識すべきだ。
(主張 産経新聞3/25 2(総合)面

日本の道徳教育の難しさは
新渡戸稲造著『武士道』の
序文に紹介されている。

約十年前、著名なベルギーの
法学者、ラヴレー氏の家で
歓待を受けて数日を過ごした
ことがある。
ある日の散策中、私たちの
会話が宗教の話題に及んだ。
「あなたがたの学校では
 宗教教育というものがない、
 とおっしゃるのですか」
とこの高名な学者がたずね
られた。
私が、「ありません」という
返事をすると、氏は
驚きのあまり突然歩みを
とめられた。
そして容易に忘れがたい
声で、
「宗教がないとは。
 いったいあなたがたは
 どのようにして
 子孫に道徳教育を授ける
 のですか」と繰り返さ
れた。

その時、私はその質問に
愕然とした。
そして即答できなかった。
なぜなら私が幼いころ
学んだ人の倫(みち)たる
教訓は、学校で受けたもの
ではなかったからだ。
そこで私に善悪の観念を
つくりださせたさまざまな
要素を分析してみると、
そのような観念を
吹き込んだものは武士道で
あったことにようやく
思いあたった。
(新渡戸稲造著奈良本辰也訳
 武士道 三笠書房知的生きかた
 文庫)


宗教は信者に信ずることを
強いる。
信者はその教義に基づいて
行動する。

宗教という前提がないところで
道徳を教えるということは
時間と労力を要する作業に
なるような気がする。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする