2016年06月30日

聞きかじりの薄い髪の毛のことなど

'16年6月30日(木) 
[髪] ブログ村キーワード

江戸期の学者、新井白石は
貿易管理を幕府に進言して
いる。
人体に例えれば、
金や銀は一度失ったら
再生のきかぬ「骨」で
ある。
再生のきく「血肉皮毛」
とは違う。
金銀を海外に流出させる
のは愚かだ、と
◆血肉皮はいいとして、
さて“毛”である。
なぜ、再生が可能だと
考えたのだろう。
歴史学者の
大石慎三郎さんは
『新井白石の頭には
 毛があったか』と題する
一文のなかで首をひねって
おられる
(文春文庫
 『エッセイで楽しむ
  日本の歴史・下』所収)

◆髪の毛にもやがて堂々と、
再生のきく血・肉・皮に
仲間入りのできる日が
来るかも知れない
◆東京医科大学や資生堂
などが細胞移植によって
毛髪を再生させる臨床
研究を始める、という
記事を読んだ。
3年ほどかけて効果を
確かめるという。髪の
苦労を知らなかったらしい
白石先生はともかくも、
悩める人々には
先の楽しみなニュース
だろう
◆ちょっと身に
つまされるジョークが
ある。
理容師
「どんなふうに刈るのを
 お望みで?」。

「黙って」。
寡黙になることなく、
穏やかな心で理髪店の
椅子に腰かけられたのは
何年前だろう。
鏡がまだ優しかった頃
である。
(編集手帳 讀賣新聞6/29)

髯を剃ったら、髪の毛は
ないので、頭を洗ったら
おしまいの人も床屋さんに
行くのだろう。

上岡龍太郎さんによれば、
横山ノックさんは
10日に一度、床屋に
行ったそうである。

行きつけの床屋さんの
先代に聞いた話だが、
髪は白くなるときも、
抜けるときも、
無性に痒くなるそうで
ある。
血行の問題だという説が
有力なような気がする。

参考
YouTube-上岡龍太郎から横山ノックへ「あなたは僕の太陽でした」 
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月29日

国民投票に頼るのはその政権に自信がないからである

'16年6月29日(水)
[国民投票] ブログ村キーワード

世界史のなかでナチスほど
「民意」をよく問うた
政権はなかった――。
などと書けばまさかと
いう声が出るに違いないが、
一面の事実である。
重大な問題はしばしば
国民投票にかけられ、
そのたびに政権の意向を
支える結論がもたらされた。
しかも圧倒的な票差だった。
▼国際連盟脱退、ヒトラー
のための「総統」職の新設、
オーストリア併合……。
いずれも直接民主主義の
手法にのっとり、人々の
幅広い「支持」を得たのだ。
もちろんそこには、
反対など許さない徹底した
監視・密告の網が張り巡ら
されていた。
投票用紙には「賛成」に
印を付けるよう、露骨な
仕掛けを施したことも
あった。
▼欧州連合(EU)からの
離脱を決めた
英国の国民投票を、そんな
手合いと一緒にする
つもりはない。
直接民主制は古代から続く
民主主義の一つのかたちだ。
とはいえそれが有無を言わ
さぬ決定力を持つとともに、
世の感情を過剰なまでに
映す存在なのだと見定めて
おく必要はあろう。
切れ味はぞっとするほど
鋭いのである。
▼ナチスのやり方は
インチキだらけだったが、
ちまたに漂う空気に迎合し、
熱狂した人も
少なくなかったとされる。
かの独裁者は国民投票の
特質を知り抜いていたのだ
ろう。
いまキャメロン首相は、
取り扱いの難しいそういう
危険物を持ち出した非を
つくづく悔いているかも
しれない。魔物のような
「民意」を恨んでも遅い。
(春秋 日本経済新聞6/26)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月28日

米国では親の責任は厳格に解釈されている

'16年6月28日(火)
[監督責任] ブログ村キーワード

インターネット上に
あふれた、苛烈な
書き込みの数々には
驚かされた。

「人間よりもゴリラの
 ほうが良い親がいる」
「子供を車に放置したら
 逮捕される。
 ゴリラのおりの中に
 転落させても
 同じことだ!」・・・。
5月末、米オハイオ州の
動物園で、3歳の男児を
救うためにゴリラが
射殺されたことをめぐり、
そばにいた母親の
監督責任を問う声が
殺到した。

今月半ばにフロリダ州の
ディズニー・ワールドで
2歳の男児がワニに襲われ
遺体で見つかったときも、
ネット上には両親を批判
する書き込みが見受け
られた。

幼い子供を亡くした
両親の無念さを思うと、
心ない内容で腹立たしく
なったが、米国では
親の保護責任は厳格に
解釈されている。
ニューヨークで3歳と
4歳の子供を育てる
女性(37)は、
「近所のスーパーに行く
 にも、子供たちだけで
 留守番させたら通報
 される。親たちは、
 子供をきちんと育てて
 いないとして
 罰せられるのでは
 ないかと恐れている」
と話す。

「親の責任」が
ネット上で糾弾された
背景を、自身の育児が
うまくいかない悩みを
第三者のケースに転化
した群集心理が働いた
とみた専門家もいた。

児童虐待を防ぐためにも、
親の責任は明確になった
方がいいが・・・。
動物と違い、人間社会の
闇は深くて悩ましい。
(上塚真由)
(外信コラム アイ・ラブ・
 ニューヨーク
 厳格な親の責任
 産経新聞6/27 8(国際)面)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

熊の被害を減らすには金太郎を増やさなければならない 

'16年6月27日(月) 
[国蝶] ブログ村キーワード

熊の被害が報道されている。
次のコラムの書き出しは、
国蝶の羽化の話題から・・・。

オオムラサキの羽化の話題が
紙面を彩る時節である。
すでにいくつかの地域版に
写真付きの記事が載った
◆蝶にも様々あるなかで、
この種類がニュースに
なるのは国蝶だからである。
国蝶という言葉を広辞苑で
引くと
<その国を代表する蝶>
とあり、同じ読みの国鳥も
近くに出ている。
日本のそれはキジだという
◆昆虫と蝶と来れば、
けものの代表がいたと
してもおかしくはない。
ブータンの国獣はウシ科の
ターキン、といった具合に
外国の例は時折聞くが、
この国獣という言葉、
広辞苑に限らず手元の
辞書には見あたらない
◆キジは戦後、国鳥になった。
選定理由を列記した
昔の記事の一番初めに、
こう書いてある。
「桃太郎のおとぎ話などで
 だれにもよく知られて
 いる」。
この基準で国獣を選ぶなら、
クマが候補にあがるのは
間違いなかろう。
足柄山の金太郎を知らぬ
人はいまい
◆今後は話が違ってくる
かもしれない。
クマの出没が各地で相次ぐ。
里山の荒廃で生息域が
人里に近づいたといわれる。
本来、遭遇する心配がない
からこそ
人が安心して親しみを
抱ける。
野獣が蝶や鳥とは一線を
画されるゆえんだろう。
(編集手帳 讀賣新聞6/26)

以前は、間伐や下草刈り
などの里山の手入れが
なされていたので、
用心深いクマは人里には
降りてこなかった。
しかし、高齢化などで
里山の手入れが滞ると
森と区別できない里山も
住みかと考え、人里にも
近づくようになる。

金太郎の腹掛けをした
(おのこ)がやがて成長し、
里山の手入れをしなければ
クマの被害は減らない。
少子化問題が解決すれば
高齢化問題も解決するし、
クマの被害も減る。

このままでは、
誰もいない空き家に
ハクビシンや
アライグマが棲みついて、
日本の国獣に名乗りを
あげ兼ねない。

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月26日

子どもの多い昔の方が子どもは大事に育てられた

'16年6月26日(日)
[母] ブログ村キーワード

母の思い出
 (作家 常盤新平)

母は私のことを
「年寄りの恥かきっ子」
と言って、いつも
恥かしそうに笑った。
私は、母が42歳のときに
生まれた。
このことをたまたま
ある知人に話したところ、
彼はこともなげに言った。
「僕は貧乏人の
 子だくさんの末っ子で、
 おふくろが48歳で
 産んでくれたんです」

上には上があると私たちは
笑った。
私も貧乏人の子だくさんで、
6人兄弟の末っ子である。

父は私が生まれる
3日前まで
母の妊娠を知らなかった
そうだ。
母が着物の帯をきつく
締めて、おなかが
目だたないようにしていた
という。
恥かしさから生みたく
なかったので、いろんな
薬でためしたという。

けれども、私はしぶとく
生まれてきた。母の話では、
父が大よろこびだったと
いう。
私が虚弱に育ったのは、
両親に溺愛されて、
食べものの好き嫌いが
はげしかったからだ。
風邪をひくと、母は
火鉢で焼いたにんにくを
私に食べさせ
た。小学校も
入学が1年おくれた。

小学校は、いってからも
病気でよく休んだ。
1年生になったばかりで
腹膜炎にかかり、1学期の
大半を休んだ。
母は1日おきに私を
市立病院に連れていった。

病院までは母と私の足で
歩いて30分もかかった
ろうか。夏が来ていて、
私は冷たいものを飲みた
かった。

病院の先生は母に、
アイスキャンディーは
いけない。
アイスクリームにしなさい
と注意した。
病院の帰りに母は
アイスクリームを食べ
させてくれた、
母は私が食べおわるのを
じっと見ていた。

病院の行き帰りに母と
どんな話をしたのだろう。
もう記憶にはないが、
いまは、ときに私の手を
引いていたにちがいない
母の優しさを感じる。
母の目はじつに優し
かった


72歳で亡くなった母の
命日がまもなく来る。
母の一生は父が横暴で
苦労がたえなかったのに、
その死はみんなに羨まし
がられた。
前夜は元気だったが、
朝には誰にも知られずに
ひっそりと息をひきとって
いた。
死は母に優しかったと
私は泣きながら思った。
(―心に残る―父のこと母のこと❶
 作家・常盤新平 '05年4月号掲載
 PHP8月増刊号)


子どもが多いことで、
親の気配りも小分けに
なった。
それが世に出るときの
子どもの強さにもなった
ようだが、
小学校からの友人は
親に叱られたとき、
ご飯を余計に食べた
そうだ。
そうすることで、
後から食べる兄弟に
食べられない者が出る。
親の理不尽な小言に対する
精いっぱいの口ごたえ
だったようだ。

参考
 常盤新平
  1931年、岩手県生まれ。
  1986年、「遠いアメリカ」で
  直木賞受賞。2013年、逝去。
  (記事注記)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする