2015年12月31日

いただく年賀状の宛名、毎年、何枚か間違えている

'15年12月31日(木)
[漢字] ブログ村キーワード

小学生の頃、当用漢字の
改正があって、名前に
使われている「勸」が
「勧」に変わった。
教師からは、今後は
「勧」を使うようにと
言われた。

ところが、昨今、
金融機関の窓口での
口座名義人の名前は、
戸籍に登録されている
名前に戻された。

さらに、戸籍事務の
コンピュータ化により
戸籍に載っている
名前を機械で使える
文字にすると、市役所から
文書で通知がきている。
「勸」については戸籍上、
「十十」は
横棒が繋がっているし、
「口口」は長方形を
一本の縦棒で仕切っている。

讀賣新聞の編集手帳は
漢字を取り上げていた。

その主人公は漢字制限に
反対している。
例えば、「鐡(てつ)」を
分解すると
“金の王なる哉(かな)”。
金を失う「鉄」には
「鐡」の代役は
務まらない、と。
井上ひさしさん
『吉里吉里人』(新潮文庫)
の一節である。
◆作曲家の團伊玖磨さん
には、「団」と書いてある
郵便物は受け取らなかった
という伝説がある。
そこまで気むずかしい
人はいないとしても、
毎年のことながら、
おめでたくあるべき
年賀状の宛名書きには
神経を用いる
◆なかでも気を使うのは
「澤」の字で、幸を含まぬ
「沢」と書かれるのを嫌う
方もおられよう。
年の瀬は漢字の季節でも
ある
◆新しい手帳を買った
ところ、宣伝用の紙片が
挟んであった。
<「幸せ」って字、逆さに
 しても幸せなんだね>。
手帳メーカーが募った
“いい言葉”の優秀作らしい。
転んでもいいさ。
幸せは逃げないよ・・・と
告げている
◆身を顧みれば、
不摂生が祟ったスッテン
コロリンの1年だったが、
年を越せる命のあることは
しみじみありがたい。
<差し引けば仕合はせ残る
 年の暮>(二郎)。
遅れに遅れた年賀状書きの
ペンを休めるたびに、
逆立ちした「幸」の一字を
かみしめている。
(編集手帳 讀賣新聞12/31)

「二郎」はこのコラムの
執筆者ではないらしい。

「おつかいありさん」という
童謡がある。
この歌の作曲は気むずかしい
という團伊玖磨さんである。


さて、国鉄民営化で
分割された旅客会社は
「鉄」の字を使っていない。
金を失うのは縁起でもない
ので、「鉃」である。
例えば、東海旅客鉃道(株)と
書く。
因みに、この会社の
初代社長の須田寛さんは
寛の右肩に「´」を打つのが
正式のお名前であった。

参考
YouTube-おつかいありさん  
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2015年12月30日

今年亡くなった方々は、人生の教えを残し、反省を促して

'15年12月30日(水) 
[人生] ブログ村キーワード

キンキンこと愛川欣也さん
(4月逝去)は昔、
深夜放送ではがきを1枚読む
ごとに「青春!」の一語で
結んだ。
愛川さんにならい、一語を
添えて亡き人を偲(しの)ぶ
◆長田弘さん(5月逝去)に
『アメイジング・ツリー』と
題された詩がある。
<この世で、人はほんの
 短い時間を/土の上で
 過ごすだけにすぎない/
 仕事して、愛して、
 眠って/ひょいと、
 ある日、姿を消すのだ/
 人は、おおきな樹の
 なかに>。人生
◆俳人津田清子さん
(5月逝去)の句。
<千里飛び来て白鳥の
 争へる>。
つらい旅路の道連れ同士が
なぜに争う、白鳥よ、
人間よ。人生
◆桂米朝さん(3月逝去)が
生涯、胸に刻み続けた
師匠米団治の教え。
<芸人は、米一粒、釘一本も
 よう作らんくせに、酒が
 良(え)えの悪いのと
 言うて、好きな芸をやって
 一生を送る。芸をみがく
 以外に世間にお返しする
 途(みち)はない。芸人に
 なった以上、末路哀れは
 覚悟の前やで>。人生
◆評論家の鶴見俊輔さん
(7月逝去)に晩年の歌が
ある。
<出鱈目の鱈目の鱈を
 干しておいて
 夜ごと夜ごとに
 ひとつ食うかな>。
食いきれぬほどの
“身から出た鱈”を持て余し、
年がゆく。人生。
(編集手帳 讀賣新聞12/30)

参考
YouTube-Celtic Woman/ Amazing Grace

因みに、荒川静香がトリノの
エキジビションで使った
「ユー・レイズ・ミー・
 アップ」もケルティク・
ウーマンの曲であった。
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2015年12月29日

「次のエボラ熱」防げ、WHO危険な感染症を公表

'15年12月29日(火)
[WHO] ブログ村キーワード

エボラ出血熱や中東呼吸器
症候群(MERS)の流行が
世界的に相次いだ2015年。
世界保健機関(WHO)は、
近い将来に流行し多くの
人命を奪う恐れのある
「危険な感染症リスト」を
公表し、各国に警戒を呼び
かけた。
エボラ熱の対応が遅すぎる
と批判を受けたWHOは、
早めの対策で
「次のエボラ熱」の流行を
防ぎたい考えだ。

リストに挙がったのは
エボラ熱とMERSのほか
クリミア・コンゴ出血熱、
マールブルグ病、ラッサ熱、
新型肺炎(SARS)、ニパ
ウイルス感染症、リフト
バレー熱。
これらの病気は現在、
有効な治療法がほとんど
確立されていない。
エボラ熱やMERSが
流行した際にもワクチン
などが開発されておらず
多くの死者を出した教訓から、
WHOはこれらの病気の
治療法など研究開発が
急務だと警告している。

リストは今月、科学者や
公衆衛生の専門家らが
ジュネーブに集まって
選定した。
今後、毎年見直される予定
という。

クリミア・コンゴ出血熱と
マールブルグ病、ラッサ熱は
エボラ熱と同じウイルス性
出血熱で死亡率が高い。
SARSはMERSを引き起こす
ウイルスと同じ仲間である
コロナウイルスによる感染症。
ニパウイルス感染症は
1990年代末にマレーシアに
出現。リフトバレー熱は
蚊を介して羊などの
家畜から人間に感染する
ウイルス性の熱病。

WHOはほかに
チクングニア熱、マダニが
媒介するウイルス性感染症
「重症熱性血小板減少
 症候群(SFTS)」、
ジカ熱も深刻だとして、
研究開発が急がれると指摘
した。

13年12月にギニアに始まり
西アフリカに広がった
エボラ熱は、今年の流行で
1万1千人以上が死亡。
シエラレオネなどでは
終息が宣言されたが、
リベリアでは宣言後に
感染者が確認され、完全には
終息していない。
MERSも初めて報告された
12年以降に580人以上が
死亡し、WHOが引き続き
感染拡大の防止を呼びかけて 
いる。(ジュネーブ 共同)
(産経新聞12/29 20(社会)面)


熱帯地方の風土病
オンコセルカ症に有効な
抗寄生虫薬を発見された
大村智さん。
ギニア生れのオスマン・
サンコンさんは子供の頃、
他の子供たちみんなが
するように
この病気で盲目になった
人たちを細い棒の端を
握らせ、
もう一方の端を引いて
彼らが一日を過ごす大きな
木の下の木陰へ
連れて行ったそうである。

大村さんの発見した薬の
おかげで、こういう不幸な
目に遭わなくて済む。
大村さんを訪問した
サンコンさんは
自分から手を差し出して
お願いした
感謝の握手をしながら
泣いていた。

WHOが危惧している
重篤な感染症の治療薬は
大村さんの示した
微生物の研究という方向に
発見の糸口があるのでは・・・・。
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2015年12月28日

箱根駅伝舞台裏、見えざるドラマ、山学大上田誠仁監督

'15年12月28日(月)
[箱根駅伝] ブログ村キーワード

箱根駅伝
舞台袖 見えざるドラマ

順大1年の時アンカーに
エントリーされながら、
前夜に外され
ました。
今思うと、高校3年で
ハーフマラソンの
高校新記録を作り、
いい気になっていたんで
すね。夜中に公衆電話から
実家に電話して
おやじと話すうち、
「悔しい」という気持ちが
「情けない」「惨めだ」に
変わり、受話器を
握りしめて泣いていました。

これが僕の原風景。
選手としては5区で区間賞を
取り、総合優勝もしましたが、
一番の思い出かと聞かれれば、
そうではない。
指導者として今、
伝えなくてはいけないのは、
その時のあの気持ち。
励ましやいたわりの言葉で、
人間が本気で頑張れるか
というと、違う。
「あの一瞬はすごい指導だな」
と後に思ったんですね。

表彰台で活躍する21チーム
210人のドラマはあるけれど、
もう一歩踏み込んだところにも、
ドラマがある。
セリフは一言もなくても、
心象風景として分かち合える
から、みんなが応援してくれる。
であるならば、チームとしても、
そういう部分で成熟しなきゃ
ダメだなと思うんです。

上田誠仁(まさひと)
香川県出身。順大で5区
区間賞2度、総合優勝
2度。1985年から
山梨学院大監督で、
箱根は3度総合優勝。
(山梨学院大上田誠仁
 箱根駅伝カントクの思い4
 讀賣新聞12/28
 21(スポーツ)面)

記事の見出しは
「舞台袖」になっていた。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月27日

さだまさしを聞きながら、年越し行事の餅を搗く

'15年12月27日(日) 
[暮れ] ブログ村キーワード

田辺聖子の
「古川柳おちぼひろい
 (講談社文庫)」の中に、
大三十日 鏡みてゐて
叱られる、という一句が
ある。
暮れの押し詰まった感じが
伝わってくる。

今日、年中行事の餅つきを
した。
蒸した餅米を40年使っている
餅つき機で搗き、
市販のビニール袋に入れて
その袋なりに四角に伸(の)
せば、のし餅一枚の完成。
8升の餅米を2升ずつ
4回に分けて作業し、
すぐ食べるのを除いて、
11枚ののし餅をこしらえた。
2、3日置いて、固まってから、
兄弟や子供たちに宅急便で
届け、元旦に間に合わせる
ことにしている。
さだまさしの「案山子」
などを聞きながら・・・・・。

暮れのこの時期に
忙しく動いても、何となく
物憂いのは、何故だろうか。
このままでは年が明けても
代わり映えがしないと思う
からだろうか。

昔の人は今を大切にし、
明日につなぐのが上手かった。

1枚の食パン」という
投稿記事がある。

大みそか、1枚の食パンを
残す、それが、わが家の
年越し行事だ。
元旦、雑煮を食べるのは、
その食パンを食べてからだ。

その行事は、
私が物心つく前から
あったようだ。
愛知県東部にあった生家では、
米の飯を残していた。
少年時代、その習慣を
不思議に思い、祖母に尋ねた
ことがある。その答えは
「来年もお米のご飯が
 食べられますように」と
いうものだった。
貧しい農村ならではの
習わしだったのだ。

今はもう祖母も両親も
いない。
廃屋同然の生家は、
つい最近まで残されて
いたが、それも
取り壊されてしまった。
ふるさとの思い出は、
年越しの行事の中にしか
残っていない。
(静岡市無職安藤勝志さん73
 気流 讀賣新聞12/27 
 8(投稿)面)


米国では、ぼんやりと
先行きを案ずることなく、
「その日暮らし」で
過ごすのが普通らしい。


冬の気象条件が厳しい
越前(福井県)の人たちは
「今日一日、
 何もなくて倖せだった」と
いって、布団に入ると聞いた
ことがある。

明るい明日をつくる努力は
一家に子供と年寄りがいた
ことが大きく関係しているが、
今を悩まずに、先のことを
思うと元気が湧いてくる。

参考
YouTube-案山子/さだまさし
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする