2015年04月30日

近代史はなるべく早く客観的事実で綴られるべきだ

'15年4月30日(金)
[被爆者] ブログ村キーワード

戦争の非は勝者が敗者に
押し付ける。それも、
戦争の熱(ほとぼり)
冷めないうちに・・・・・。

喧嘩両成敗ではなく、
勝者がいくつ殴っても
敗者がいくつ殴ったかが
問題にされる。

米国で、
「広島の過ちを
 繰り返すな!」といえば
「パールハーバーを
 忘れるな!」とやり返
される。
「NO MORE NAGASAKIS!」と
付け加えてみても
焼け石に水である。

時間が経過して、先の戦争を
振り返る機運も生まれつつ
ある。


被爆者の話聞くべきだ

【ニューヨーク時事】
日本への原爆投下を命じた
トルーマン元米大統領の孫
クリフトン・トルーマン・
ダニエルさん(57)と
被爆者の山下泰昭さん
(76)らが28日、
ニューヨークのジャパン・
ソサエティーで講演した。
ダニエルさんは
「全ての人が被爆者の声に
 耳を傾ける必要がある」と
強調。
山下さんは
「戦争では双方が理由を
 持っている。
 米国人を憎んだことは
 一度もない」と語った。

ダニエルさんは
「祖父は私に原爆の話を
 したことはない」と述べ、
原爆投下の決断の是非には
言及しなかった。
一方で、米国の教科書や本は
「キノコ雲の写真はあるが、
 広島や長崎で亡くなった
 多くの人々の姿は
 何も伝えていない」と指摘。
原爆が人々に
何をもたらしたのか、
被爆者らの話を通じてもう
一度学ぶべきだと訴えた。
(jijicom '15/04/29 07:08)

華夷秩序の価値観が
染み付いた中韓に
いつこのような機運が
芽生えて、歴史認識に
変化が起きるのか。
日暮れて途(みち)遠し、の
感がある。

日本史にも世界史にも
近代史に強い主張はない。
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2015年04月29日

北陸新幹線トリビア、長距離を結ぶための新技術

'15年4月29日(水)
[北陸新幹線] ブログ村キーワード

北陸新幹線は、7都県を
走り、4つの電力会社の
管轄エリアを通り、3回も
周波数が変わる。

JR東日本とJR西日本に
またがって走る。


東電と東北電は50 Hz
 中部電と北陸電は60Hz

「北陸新幹線は、
 『軽井沢―佐久平』間、
 『上越妙高―
  糸魚川』間、
 『糸魚川―
  黒部宇奈月温泉』間で
 それぞれ周波数が
 切り替わります」

JR東日本に尋ねると、
担当者が教えてくれた。
東京方面から向かった場合、
軽井沢駅(長野県軽井沢町)、
越妙高駅(新潟県上越市)、
糸魚川駅
(新潟県糸魚川市)を
通過した直後に切り替わる
という。なぜか。

「管轄する電力会社が
 変わるからです。
 東京駅から
 軽井沢駅までは東京電力

 そこから
 上越妙高駅までは中部
 電力
糸魚川駅までは
 東北電力
金沢駅までは
 北陸電力
となります」

電力会社によって周波数は
違う。一般に東日本は
50㌹(Hz)、西日本は
60Hzといわれるが、
東京電力と東北電力が
50Hz

中部電力と北陸電力が
60Hz
となる。
北陸新幹線はちょうど
その境界を縫うように
走っているのだ。

北陸新幹線の車両、
 2つの周波数に対応


周波数が違うと何が問題
なのか。まずは車両だ。
東北新幹線や上越新幹線の
車両はほとんどが50Hz
のみに対応しており、
軽井沢駅より西を
走ることはできない。
2つの周波数に対応した
車両が必要
となる。

境界対策も重要となる。
異なる周波数同士が接触
しないよう
絶縁部分を
設ける
などの対策をした。
専用の保護装置なども
開発
したという。

ちなみに東西をまたぐ
東海道新幹線の場合、
すべての区間が60Hzだ。
鉄道ジャーナリストの
梅原淳さんによると、
車両側で2つの周波数に
対応するには当時の機器が
重すぎたため、断念したと
いう。そこで富士川以東の
50Hz区間では、周波数を
変換する変電所を新設して
対応した(『新幹線の科学』)
(東京駅ふしぎ探検隊
 日本経済新聞2/27 6:30抜粋)


両周波数対応車両

最初に開業した東海道
新幹線も静岡県の富士川を
境に商用電源の周波数が
変わりますが
(東側が50Hz〜西側が
 60Hz),
当時は車両側での両周波数
対応が困難であったことも
あり,50Hz地域内では
東京電力から受電した
50Hzの電力を専用の
周波数変換変電所で
60Hzに変換しており、
列車に供給される電源と
しては全線60Hzで統一
されています。一方,
その後の技術の進歩で
車両側での両周波数対応が
可能になったことから,
北陸新幹線では
電源周波数の切り替えが
行われることとなりました。
(日本のデッドセクション引用)

異周波数存在の訳

日本国内には、交流電源の
周波数について、
東日本の50Hzと西日本の
60Hzの相違がある。
これは明治時代に、
海外での議論に触発されて
起こった、東京電燈と
大阪電燈との間の直流・
交流論争がきっかけで
あった。
関東では、1887年から
直流送電を行っていた
東京電燈が、
交流の優位性の高まりに
応じて交流送電への転換を
決めた。
そこで、50Hz仕様の
ドイツ・AEG製発電機
(AC 3kV 265kVA) を
導入し、1893年に
浅草火力発電所を稼動
させた。しかし関西では、
1888年に設立された
大阪電燈が当初から
交流送電を選択し、
60Hz仕様のアメリカ・
GE製発電機
(AC 2.3kV 150kW) を
採用した。これらを中心に、
次第に各地の電力供給が
集約されていった結果、
東西の周波数の違いが形成
された(Wikipedia)
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2015年04月28日

アンモナイトの化石が語る地殻変動の莫大なエネルギー

'15年4月28日(火)
[ネパール] ブログ村キーワード

ヒマラヤのアンモナイト

「それは赤茶色をした岩の
 かたまりだった。
 丘の上に巨大な半円形の
 貝殻の姿を見せている」。
詩人の佐々木幹郎さんは
昭和63年5月、ネパールの
山奥の村で、あこがれの
巨石にたどりついた。

▼直径140a、厚さ35aも
あった、世界最大級の
アンモナイトの化石である。
大昔、村のある場所が、
巨大アンモナイトが暮らす
海の底であったことを
示していた
(『カトマンズ デイ 
  ドリーム』五柳書院)。

インド亜大陸
2億数千万年前、南半球に
あった大陸から分裂した。
インド・オーストラリア
プレート
(岩板)に乗って
北上
を始め、
約5千万年前にユーラシア
大陸が乗るプレートに衝突

する。その結果、かつての
海底が押し上げられて、
世界最高峰のヒマラヤ山脈が

できた、とされる。

インド・オーストラリア
プレートによるユーラシア
プレートへの潜り込み
は、
現在も続く。それに伴う
ゆがみが地震のエネルギーと
なった。
ヒマラヤ山脈の南側に位置
するネパールが、
「地震の巣」と呼ばれる
ゆえんである。
▼25日に起きた
マグニチュード7.8の地震は、
震源の深さが15`と
浅いため
揺れがより大きく
なった。エベレストでは
雪崩も
発生し、登山者が
巻き込まれた。
首都カトマンズでは、
多くの市民が倒壊した建物の
下敷きになっているという。
レンガなどを積み上げた
だけの建物が多く、被害が
拡大しているもようだ。
複数のプレートが絡み合って
いる日本にとっても、対岸の
火事ではない。
老朽化した建物、施設の
耐震化や撤去を急がなければ
ならない。

▼日本からの救助チームは
きのう、被災地に向かった。
東日本大震災が発生してまもなく、
ネパールから毛布5千枚が
届いた。けっして豊かでは
ない国から受けた恩義を忘れ
まい。
(産経抄 産経新聞4/27)

日本は地震常襲国。
他国のことは少しでも
参考にして備えたい。

余談だが、現地で難を
逃れた登山家野口健さんに
よれば、ベースキャンプは
周囲を峰に囲まれた
お椀のような盆地なので、
地震が起これば周囲からの
雪崩や落石に襲われると
いう危険なところだと
いう。
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2015年04月27日

地震常襲国日本、現時点での備えは十分だろうか

'15年4月27日(月)
[地震] ブログ村キーワード

ネパール大地震(概要)

【ニューデリー時事】
ネパール中部を震源とする
大地震
で、AFP通信は26日、
インドなど周辺国を含む
死者が2000人を超えたと
報じた

都市部から隔絶されている
農村地域の被害は、
地震に伴う土砂災害や
通信事情の悪さなどが
原因で全容が把握できて
いない。
犠牲者はさらに増えそうだ。

死者の内訳はネパールが
1953人、インドが53.人、
中国が17人。

米地質調査所(USGS)に
よると、ネパールでは
マグニチュード(M)4
以上の余震が断続的に
発生。
現地からの報道では、
首都カトマンズでは
市民が屋外で毛布を
かぶり、度重なる揺れの
中で不安な夜を過ごす
光景が見られた。

AFP通信によると、
ネパール内務省報道官は
被災者支援の緊急基金に
5億j(約595億円)を
拠出すると発表。
各国・機関からの
支援申し出も相次ぎ、
軍用機や救援活動に当たる
兵士約280人を急派した
インドのほか、日本も
国際緊急援助隊・救助
チームを派遣、
欧州連合(EU)も
人道支援のための要員と
資金を送ると表明した。

しかし、被災地では
倒壊した建物が多く、
救助活動は時間との闘いを
強いられている。
国際赤十字・赤新月社連盟
(本部ジュネーブ)の
アジア太平洋地区担当者は
声明で
震源に近かった農村地域
 近づくための道路が
 地滑りで損壊・遮断され、
 正確な情報が得られない

 甚大な破壊と人命の
 損失が予想される」と
直面する困難を訴えた。

春の登山シーズンを迎え、
多くの外国人登山者が訪れて
いた世界最高峰エベレスト
(8848b)では、大規模な
雪崩がベースキャンプを
襲った

地元警察は時事通信に
「外国人10人と地元住民
 4人の遺体を発見したが、
 いまだ身元は確認できて
 いない」と語った。
標高6000bル以上にある
「キャンプ1」と
「キャンプ2」には
300〜400人の登山者が
取り残され、救助を待って
いるという。
(時事ドットコム4/26 16:13)


〇大きな地震に襲われる
 こともあった台湾だが、
 日本統治時代の建物が
 残っている



台湾南東部の台東で、
日本統治時代の1915年に
建築された台東県長官邸が
18日、完成後100周年を
迎えた。黄健庭県長
(県知事)は笑みを浮かべて
「日本式の建築物は、
 保存が良好なら300年間は
 使える」と述べた。
台湾メディアの中時電子報
などが伝えた。

台東県長官邸は木造で、
1945年に日本が撤退して
から、台東県長公館と改称
され、県長公邸として使わ
れた。台東県は同建物を
「県で最も価値ある
 歴史建造物」に指定して
保護している。

黄県長によると、父親の
黄鏡峰氏が第6、7代の
台東県長を務めたので、
子どもの時に同官邸に住ん
でいた。放課後になれば、
近所の子が大勢集まり
敷地内で遊んだという。
黄県長は
「自分が第16、17代の
 県長になり、再びここに
 住むことになるとは
 思いもよりませんでした。
 私はたぶん、この建物に
 一番長く住んだ人で
 しょう」と述べた。

日本統治時代の建物に
詳しい建築家の張玉潢さんは、
「この木造建築は、
 (完成後は)
 外観にあまり手を加えて
 いません」、
「100年間は居住する
 ことも可能です。
 すばらしいたてもの
 ですから、きちんと手を
 入れれば、ずっと後の
 子孫の時代になっても、
 (たとえ住めないと
  しても)建っている姿を
 見ることができると
 思います」と述べた。

18日には、県内に住む
100歳のお年寄りを招いて、
皆で誕生ケーキを食べる
などの「お誕生会」を開催。
敷地内を一般開放し、
建物前で結婚記念写真を
撮影することも認めた。
現れたカップルは、
「2人で一緒に」あるいは
「女性が単独でウェディング
 ドレス姿を」と、
さまざまな写真を撮影した。
「末永くお幸せに」と
祝福したくなる光景が展開
した。

◆解説◆
台湾では古い建造物が
「古蹟」として保護されて
いる。1級古蹟はすべて
清代以前のものだが、
2級古蹟としては、
日本統治時代の建造物として
1912年完成の元台南地方
裁判所や、1914年完成の
下淡水渓鉄橋が指定されて
いる。
それ以外の国定古蹟には、
台湾総督府、台湾総督府
博物館、専売局、監察院、
行政院など、
日本統治時代の建物が多く
登録されている。
市や県が「古蹟」に
指定した日本統治時代の
建造物も数多い。
(編集担当:如月隼人)
(サーチナ4/25 15:27)


台湾には、
日本統治時代に建てられた
建造物の古蹟が多いそう
だが、
耐震偽装や免震偽装が
横行する日本では、
建物が長持ちはしない
だろう。

建築業界は結束して
建て替えの時期を
早めようとしているの
だろうか。
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2015年04月26日

祖国を向いて相撲をとっているモンゴル出身の力士たち

'15年4月26日(日)
[モンゴル] ブログ村キーワード

大鵬、栃ノ海という
横綱同士の名勝負を
覚えている。
差し身のいい大鵬に
栃ノ海は両差しになり、
右上手だけの大鵬が
左下手を差しにきたとき
小さな栃ノ海が
上体の伸びきった
大鵬を下から
挟み付けるようにして
土俵際へ寄り立て、
寄り倒した。

この場所、栃ノ海は
優勝したのだが、
翌日、色彩心理学の授業で
教師は栃ノ海の知能を
褒めた。

「短い時間に
 あれだけのことをするの
 だから・・・」と。

大鵬の攻めをことごとく
しのぎ、攻め勝ったのだ。

モンゴルへ帰った
旭鷲山も優れた技を
幾つも持っていて、
「技のデパート・モンゴル
 支店」と呼ばれた。
頭の良さを窺わせる
相撲取りである。


「今やっている会社は
 27、28社かな。
 年商は全部で50億円
 くらいだと思う」。
モンゴルの首都ウラン
バートル市中心部にある
自身が経営する飲食店で、
元小結旭鷲山のダバー・
バトバヤルさん(42)が
流暢な日本語で語った。
人なつっこい丸顔は
現役当時と変わらないが、
今やすっかり実業家だ。

モンゴル出身初の関取と
して活躍。
2006年に大相撲引退後、
日本で蓄えた資金を元手に
母国で実業家に転身した。
ビジネス成功の秘密は、
「日本流」にあった。

「モンゴルで
 家を買うのは
 一括払いが当たり前
 だったが、まず頭金を
 払って分割払い、と
 いうのを自分が最初に
 始めた」。
マンション、一戸建てを
合わせて約5000戸を販売。
自動車販売、
テレビやインターネットの
通信業を手がけ、病院や
学校も作った。

市内にそびえる自社ビルの
名は「旭鷲タワー」。
知名度も事業には有利に
働き、国会議員も1期
4年間務めた。
「日本語も分かるし、
 日本の専門家にも
 相談できる。
 やっぱり相撲のおかげ
 ですよ」。
今は道路やパイプライン
建設の入札に参加し、
世界有数の埋蔵量を誇る
鉱山にも投資している。

モンゴルの相撲協会
理事長も努めており、
「今はウランバートルに
 土俵はがないが、
 小さな相撲部屋を
 作ろうと思っている。
 日本から戻ってきた
 元力士をコーチにして、
 たまに自分も胸を
 出したい」。
相撲への恩返しはこれ
からだ。

旭鷲山に限らず、
モンゴル出身力士が
日本で得た財産と経験は、
母国の経済に還元されて
いる。

元横綱朝青龍のドルゴル
スレン・ダグワドルジ
さん(34)は
ウランバートル中心部の
ビルを買収、ビールの
醸造所を併設したパブを
開店した。2000年代に
新日本プロレスで活躍した
兄のセルジブデさんは
現在、貿易、銀行、不動産、
農業などを手がける
「ロイヤルグループ」を
率いている。
兄によると、元横綱は
日本原産のソバを
モンゴルで栽培する
ビジネスにも取り組んで
いるという。

十両の朝赤龍は、
姉が日本の住宅設備
会社の代理店、兄は
イタリアンレストランを
営む。
横綱白鵬の親族も、
トヨタ自動車の販売店を
経営している。

日本で得た資金と名声、
人脈を、母国で事業に
生かす-------。大相撲での
有形無形の蓄積が、
モンゴルでビジネスと
して花開いている。

モンゴル出身力士の
活動は、目の前の利益
追求だけにとどまらない。

白鵬は2007年に
「白鵬基金」を設立。
病院や児童養護施設への
医療機器やパソコン
などの寄付のほか、
野球モンゴル代表の支援、
チャリティーバスケット
ボール大会、相撲の
「白鵬杯」開催など、
様々な活動を行っている。
同基金マネジャーの
バヤルサイハン・
バトジャルガルさん
(31)は
「日本とモンゴルの
 友好の懸け橋に
 なるのが目的」と話す。

元十両城ノ龍で、
日本に帰化した小林光星
さん(31)は一昨年に
引退後、モンゴルから
技能実習生を日本に
送り出す事業を始めた。
道路建設や農業などに
3〜5年就業させて技術を
学ばせ、帰国後に経験を
生かした仕事に就かせる
目的だ。

「本人のためにもなるし、
 モンゴルの発展の役にも
 立つ」。
事業を進める上で、
親方やおかみさんの
人脈に助けられていると
いい、
「日本に行かなかったら
 今頃何をしていたか
 分からない。日本で
 人生を教わった」と
感謝を口にする。
(スポーツBizワールド
 アジアの熱風 12
 モンゴル潤す力士たち
 讀賣新聞4/25 
 25(スポーツ)面)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする