2015年01月31日

国内航空は無理をしなければ飛び続けられない

'15年1月31日(土)
[スカイマーク] ブログ村キーワード

スカイマークが
民事再生法の適用を申請
した28日夜、
引責辞任した西久保慎一
前社長(59)は
社員向けブログに
「Dear Skymark
(親愛なるスカイマーク)」
と題したメッセージを
つづった。

「挑んだ、飲んだ、笑った、
 飛んだ、そして、愛した。
 Thank you and Good bye!
  (ありがとう、さようなら)」

西久保氏は30億円を
個人出資して
筆頭株主となり、
2004年にスカイマークの
社長に就任した。 
(「拡大路線」誤算の連続
 讀賣新聞1/30 
 11(経済)面抜粋)


(同紙社説)
強引な拡大路線が招いた
破綻劇と言えよう。

国内航空会社3位の
スカイマークが、
東京地裁に民事再生法の
適用を申請し、受理された。

今後は裁判所の管理下で、
経営再建を目指す。
コスト削減のため路線や
便数を絞り込み、
運航を継続していく方針と
いう。

突然の経営破綻だけに、
社内の動揺も大きいだろう。
現場の混乱を防ぎ、
安全運航に万全を
期さなければならない。

スカイマークは、
独立系航空会社として
1998年に就航した。
全日本空輸と日本航空の
2強に対抗
する
「第3極」を育て、競争を
促進する。
こうした政府の航空自由化
政策に沿った設立だった。

大手の半額」という
低料金を売り物に注目され
たが、値下げ競争で収益は
低迷した。

2004年にIT企業創業者の
西久保慎一氏が社長に就任し、
業績を盛り返したものの、
格安航空会社(LCC)の
相次ぐ参入などで、再び
苦境に立たされた。

LCCとの差別化を狙った
座席の広い中型機への
切り替えは
、乗客数の
伸び悩みで裏目に出た。

国際線への参入のため
一括契約したエアバスの
超大型機6機
の購入も、
支払いのメドが立たなく
なり、7億ドル
(830億円)の違約金を
請求される事態となった。

6機の価格は、
年間売上高の2倍
と巨額
だった。
ワンマンとも評される
西久保氏ならではの
トップダウンの
判断だったが、見通しの
甘さは否めまい。

当面は、
国内の投資ファンドが
資金繰りなどを支える。
だが、本格的な再建には、
他の航空会社の協力が
欠かせない。

スカイマークは、羽田空港に
36の発着枠
を持つ。
乗客の多い「ドル箱路線」の
増便が期待できることから、
全日空や日航に加え、
海外勢がスカイマーク
支援に名乗りを上げる
可能性もあろう。
ブランド力に勝る大手と、
安さが人気のLCCの
狭間(はざま)で、
スカイマークが
どう活路を開くか。
再生計画の実効性が試
される。

スカイマーク破綻に、
航空行政も有効な手を
打てなかった。

経営改善策として、
スカイマークは日航との
共同運航を提案したが、
公的支援で再生した日航の
事業拡大につながることを
理由に国土交通省は難色を
示した。全日空を交えた
共同運航などを模索する
うちに、経営が行き詰まった。

競争促進による利便性向上と、
航空会社の経営安定
いかに両立させていくか。
航空行政の在り方を点検
すべきだ。
(スカイマーク 強引な
 経営手法が招いた破綻
 社説 同紙3(総合)面)


深夜に東京を出る夜行バスは
朝、目的地に着く。
着くのは目的地が目覚めた
頃である。

バスは人間である運転手が
持たないほどフル稼働で
働ける。

国内線の飛行機は
飛んだらすぐ目的地に着く。

したがって、
最終便が早くなるので
飛行機の稼働率は悪く
なる。

50年前、わが国では
飛行機は、交通機関として
向かない、と教わった。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月30日

審判は見ていた白鵬の足、それが同体、取り直しの理由

'15年1月30日(金)
[白鵬] ブログ村キーワード

初場所千秋楽翌日の26日、
東京・墨田区の宮城野部屋で
記者会見した白鵬は
「疑惑の相撲」として
初場所13日目(23日)の
稀勢の里との一番に言及
した。
同体による取り直しとなり、
2度目の相撲で白鵬が
勝ったが、最初の相撲で
勝っていたと主張

「帰ってビデオを見たけど、
 もう子供が見ても
 分かる。なぜ取り直しに
 したのか」と、審判の
判断を批判した。

さらには
「ビデオ判定は何をして
 いたのか。もう少し
 緊張感を持って
 やってもらいたい。
 ビデオ判定
 (を担当する審判)は
 “元お相撲さん”
 でしょ。
 取り直しの重みは
 一番分かっている
 はず」などと持論を
ぶちまけた。

おまけに
「肌の色は関係ない。
 みんな同じ人間。
 盛り上がりどうこう
 じゃない。
 こっちは命がけで
 やっている」と
不当な差別を受けて
いるかのような発言
も。
これに対し、
日本相撲協会には一般の
ファンから電話が殺到。
不適当な発言に対する
抗議がほとんどで、
その数は100件を超えた
という。

協会側は当然
こうした発言を見過せず、
29日に師匠の宮城野親方を
呼んで注意する予定だ。
(東スポ1/29 1面)

元横綱 曙
 (インタビュー)

----大鵬超えの記録を
  つくった大横綱が
  なぜ会見の席で
  禁断の審判批判を
  口にしたのか

 言いたい気持ちは
分かります。
33回の優勝って、
身も心もボロボロ
なんですよ。
気持ち一つで(相撲を)
取ったので、感情が
爆発してしまったん
じゃないかな。
どれだけ命をかけて
優勝記録を目指していた
のかを感じますね。
(インタビュー・
 小坂健一郎
 同紙1面別記事)


勝負規定

勝負規定第6条では
「土俵内において
 立ち合い成立後、
 足の裏以外の体の
 一部が
早く砂に
 ついた者を負けと
 する
」となっている。
稀勢の里に小手投げを
打たれた際に
白鵬の右足が返り
指の甲が砂についた
ことで白鵬の負けを
主張する審判も
いたと
いう。
だが、稀勢の里の体が
飛ぶのも同時だったと
見なされ
、同体取り直しと
された

(同紙1面写真解説)

元横綱の朝青龍は
最高位元小結の舞の海が
解説するのを批判した
ことがあった。

白鵬は勝負審判のなかに
最高位が横綱ではない
人がいることで
審判の裁定を軽くみて
いるのではないか。

“元お相撲さん”という
言葉にそれを感じる。

モンゴルには
先輩・後輩とか
長幼の序などという
概念はなく、
力の差が全てで
上位と下位が決まるの
だろうか。

例えば、朝青龍は旭鷲山を
あからさまに嫌っていた。

モンゴル出身の横綱には
協会が親方を呼んで注意
しなければ、
部屋の親方の意見も
届かないのだろうか。
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2015年01月29日

白鵬はまだ、大鵬にもましてや双葉山には遥かに及ばない

'15年1月29日(木)
[白鵬] ブログ村キーワード

横綱大鵬は物言いのつく
きわどい一番で平幕戸田に
敗れ、連勝が「45」で
途切れた。
ビデオ判定が導入される
前、1969年(昭和44年)
の大阪場所である
◆テレビ中継のビデオでは、
大鵬の足が土俵に残って
いる。勝っていた。
「大変だ、誤審だァ」と
支度部屋に押しかけた
報道陣に大鵬は語ったと
いう。
「負けは仕方ない。
 横綱が物言いのつく
 相撲を取っては
 いけない」。
勝負審判ではなく、
あんな相撲を取った
自分が悪いのだ、と
◆この初場所で
大鵬の記録を超え、
史上最多33度目の
優勝を果たしたのは
横綱白鵬である。
賜杯をわが物にした
13日目、大関稀勢の里
との大一番には
物言いがついた。
軍配は白鵬に上がったが、
審判団が両者同体と
みなして取り直しとなり、
仕切り直しの末に
手にした大記録である
◆「なぜ取り直しなのか。
 子供が見ても
 (自分が勝ったと)
 分かる。
 審判部はもう少し
 緊張感を持って
 ほしい」。
千秋楽から一夜明けた
きのう(26日),
白鵬が記者会見で
勝負審判を批判したという。
記録の上では
相撲史の山頂を極めた人も、
精神はまだ遥か下、
山麓をさまよう途中らしい。
◆好漢、自重せよ。
(編集手帳 讀賣新聞1/27)

以前、よみうり時事川柳で
見つけた一句に

稀勢の里 君がなんとか
せにゃいかん

というのがあった。
今も状況は変わっていない。

できれば、はたき込みや
引き技、張り手などは
横綱を始め、上位力士には
して欲しくない。

対戦相手が相撲の前から
いじけてしまうだろう。

モンゴル出身の横綱
朝青龍と白鵬は
闘志むき出しで相撲を
取る。

勝った後も、
それが顔を出ていて、
賞金を鷲掴みにして
あたりを睥睨している。

横綱は勝って当たり前
なのに、褒めてもらいたい
子供のようである。

ここで、双葉山が
「木鶏(もっけい)」の故事に
辿りついて
相撲道の修行に励んだ
という逸話が
思い起こされる。

「木鶏とは、
 荘子に収められている
 故事に由来する言葉で、
 木彫りの鶏のように
 全く動じない闘鶏における
 最強の状態をさす。
 故事では紀悄子という鶏を
 育てる名人が登場し、
 王からの下問に答える形式で
 最強の鶏について説明する。

 紀悄子に鶏を預けた王は、
 10日ほど経過した時点で
 仕上がり具合について下問する。
 すると紀悄子は、
 『まだ空威張りして
 闘争心があるから
 いけません
』 と答える。

 更に10日ほど経過して
 再度王が下問すると
 『まだいけません。
  他の闘鶏の声や姿を
  見ただけでいきり立って
  しまいます
』と答える。

 更に10日経過したが、
 『目を怒らせて己の強さを
  誇示しているから話に
  なりません
』 と答える。

 さらに10日経過して王が
 下問すると
 『もう良いでしょう。
  他の闘鶏が鳴いても、
  全く相手にしません。
  まるで木鶏のように
  泰然自若としています


  その徳の前に、
  かなう闘鶏はいない
  でしょう』 と答えた。

 真人(道を体得した人物)は他者に
 惑わされること無く、
 鎮座しているだけで
 衆人の範となるとしている。

 横綱の双葉山がこの言葉を
 好んだことは
 有名である(Wikipedia)。」

双葉山と木鶏の話が出会う
こととなったエピソードは
陽明学者で東洋思想家の
安岡正篤(まさひろ)さんが
双葉山が70連勝を逸したことを
報じた電文とあわせて
次のように紹介している。

「私はこの話を
 往年の名横綱双葉山関に
 したことがありました。
 まだ横綱になる前の
 大変人気が出てきた頃
 でした。
 双葉山を非常にひいきに
 していた老友人に
 招かれて一緒に飲んだ
 ことがあるのです。

 なにしろ私もまだ
 若かった頃ですから
 つい一杯機嫌で、
 『君もまだまだだめだ』
 と申したましたところ、
 さすがに
 大横綱になるだけあって
 私もそのとき感心したの
 ですが、
 『どこがいけないの
  ですか』と慇懃(いんぎん)
 尋ねるのです。

 そこで私が木鶏の話を
 いたしましたところが、
 大層感じ入ったらしく、
 それから木鶏の修行を
 始めたのです。

 私は欧米の東洋専門の
 学者や当局者達と
 話し合いをするために
 ヨーロッパの旅に出かけ
 ました。
 もちろんその頃はまだ
 飛行機が普及しておりま
 せんから船旅ですが、
 ちょうどインド洋を
 航行中のときでした。
 ある日、ボーイが
 双葉山からの電報だと
 言って室に飛び込んで
 きました。
 そして
 『どうも電文がよく
  わかりませんので、
  打ち返して
  問い合わせようかと
  係の者が申して
  おりますが、
  とにかく一度
  ご覧ください』と言う。

 早速手にとってみると
 『イマダ モクケイ ニ
  オヨバズ
』とある。
 この話がたちまち船中に
 伝わり、とうとう晩餐会の
 席で大勢の人にせがまれて
 木鶏の話をさせられたのを
 覚えています(安岡正篤『一日一言』抜粋)。」
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月28日

ギリシャの経済危機は対岸の火事で済まされるだろうか

'15年1月28日(水)
[緊縮財政] ブログ村キーワード

ギリシャ発の
欧州経済危機が再燃しないか、
懸念が拭えない。

ギリシャの総選挙で、
緊縮財政路線との決別を
掲げる最大野党、
急進左翼連合が第1党と
なり、連立政権作りに
乗り出した。

定数の過半数に迫る
議席を獲得し、
事前予想を上回る圧勝
である。
サマラス首相率いる
新民主主義党は、第2党に
転落した。

急進左派のツィプラス
党首は、
悲惨な緊縮策は
 過去のもの
になる」と
勝利宣言した。

財政危機の陥った
ギリシャは2010年以降、
欧州連合(EU)などから
支援を受ける条件として
緊縮財政政策を
続けてきた。

基礎的財政収支が黒字化し、
財政再建が進んだ反面、
国内総生産は
危機前の7割に縮小
した。
公務員のリストラ
急増した失業率は25%
前後に高止まりしている。
最低賃金の引き下げなどに
伴う国民生活へのしわ寄せ
も大きい。

急進左派の最大の勝因は
国民の「緊縮疲れ」だろう。

問題は急進左派の公約が、
あまりに大衆迎合的なため、
EU支援の継続が危ぶまれ
ることだ。

EUに債務免除を求める。
解雇された一部の公務員の
復職を認める。
いずれもサマラス政権の
緊縮財政策を逆戻りさせる
内容だ。
財源の裏付けを欠く福祉
政策の強化案もバラマキ
批判を免れまい。

現行のEU支援の期限は
2月末だ。
ギリシャ次期政権には、
その後の支援策について
EUと合意することが
喫緊の課題である。

だが、急進左派の多くの
公約は、EUにとって
認めがたい。
支援を主導するドイツは、
債務減免を「問題外」と
切り捨てている。

協議が行き詰まれば、
ギリシャの国債発行が
困難になり、
債務不履行に陥る危険
さえある。

EUは、前回の危機を教訓に、
混乱の波及を防ぐため、
財政難に陥った国を支援する
総額5000億ユーロの
「欧州安定メカニズム
 (ESM)」を発足させて
いる。

だが、ギリシャがESM
発動の要件を満たせず、
危機が深刻化すれば、
欧州だけでなく、
世界の金融市場に飛び火
する心配は消えない。
実際、急進左派の大勝を
受けて、円高ユーロ安が
進むなど、日本にも影響が
出ている。

急進左派は、公約に固執せず
債務返済先送りや金利軽減
など、EUとの妥協点を探る
べき
だ。

ユーロ圏がデフレに陥る
懸念が強まる中、
欧州中央銀行(ECB)は、
国債購入による量的緩和を
決めたばかりだ。
危機回避へ、EUの政策
協調が試されよう。
(ギリシャ総選挙 大衆迎合
 では経済の混乱招く 社説
 讀賣新聞1/27 3(総合)面)


ギリシャの歩む道は、
債務大国わが国の歩む道に
なるであろう。
債務は誰も肩代わりしては
くれない。

他国の支援を受けたら、
(大衆迎合的)民主主義が
危ない。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

宗教は教義にかかわらず道徳的であるべきだが

'15年1月27日(火)
[宗教] ブログ村キーワード

新渡戸稲造が著した
『武士道』の序文には
次のように書かれている。

約十年前、
著名なベルギーの法学者、
故ラヴレー氏の家で
歓待を受けて
数日を過ごしたことがある。
ある日の散策中、
私たちの会話が宗教の話題に
及んだ。
「あなたがたの学校では
 宗教教育というものがない、
 とおっしゃるのですか」
とこの高名な学者がたずね
られた。
私が、「ありません」という
返事をすると、
氏は驚きのあまり突然
歩みをとめられた。
そして容易に忘れがたい声で、
宗教がないとは。
 いったいあなたがたは
 どのようにして
 子孫に道徳教育を授けるの
 ですか
」と繰り返された。

その時、私はその質問に
愕然とした。
そして即答できなかった。
なぜなら私が幼いころ
学んだ人の倫(みち)たる
教訓は、学校で受けたもの
ではなかったからだ。
そこで私に善悪の観念を
つくりださせた
さまざまな
要素を分析してみると、
そのような観念を吹き込んだ
ものは武士道であったことに
ようやく思いあたった。
(新渡戸稲造著 奈良本辰也訳
 武士道(原本は英文)三笠書房 
 知的生きかた文庫引用)


今の日本では、
武士道精神は廃れ、
宗教教育はなされていない。
それでも排他的で
武闘的な宗教がないことが
救いである。

コラムにイスラム国による
人質事件が取り上げられて
いた。

(讀賣新聞)
姿は似ていても、
天と地ほどに意味の違う
漢字がある。
敬虔(けいけん)
<虔>と、残虐の<虐>が
そうだろう。
同じ部首「とらがしら」で
漢和辞典に隣り合う
◆「イスラム国」は
宗教組織などではない。
(略)
◆(略)
◆本物の、ほんとうの
敬虔なイスラム教徒には、
ここ何日か
テレビを通して接し、
凍える心を温めてもらって
いる。
国内各地のモスクで
人質の解放を
一心に祈ってくれている

人たちである。
<虐>の一字で
凝り固まった犯罪集団にも
一片の恥じ入る心がある
ならば、いまただちに
何をなすべきかは分かる
だろう
◆今夜も息子の身を案じ、
おそらくはまどろむこと
さえできないだろう母が
いる。(略)
(編集手帳 讀賣新聞1/26)

(毎日新聞)
「たくさんの取材テープの
 なかには、子どもたちの
 痛々しくも
 文句ひとつ言わず
 その場でありのままに
 生きる姿
が収められて
 いる。彼らの表情を、
 姿を思い出す。
 どれも悲しい。
 私はそれらを世に問う
 ことができている
 だろうか?

▲紛争や難民、貧困、
エイズなど過酷な状況下で
暮らす世界の子どもらを
取材し、伝えてきた
ジャーナリストの
後藤建二さんの自問だ。
その紛争地を熟知する
後藤さんが
すべて自分の責任との
メッセージを残して
潜入、
拘束された「イスラム国」の
支配地域だった
▲潜入は先に拘束された
湯川遥菜さんの救出が目的と
いわれる。(略)
▲(略)
▲人の善意や優しさを
あざ笑う暴力の闇が広がる
のは別世界の話ではない。
同じ太陽が昇り、同じ空気を
呼吸する人間が暮らす
今現在の地球上の出来事で
ある。過酷な運命を生きる
子どもの姿を後藤さんが
追い続けたのも、そのことを
日本の人に伝えたかったのだ
ろう
▲湯川さんの情報もなお
確認できてはいない。
人と直接かかわる
 ことでしか

 平和は作れない」は
後藤さんの言葉である。
今はただ
故国への無事帰還を祈る。
(余録 毎日新聞1/26)

宗教には変革の側面がある
という。

宗教について、
日本では一般的に
魂を救済するもの
というとらえ方をされて
きた。確かにそれは
間違いないのだが、それは
しかし、宗教の一側面で
しか
ない。
宗教が国際政治の舞台に
登場してくるのは、
実際には、宗教が
極めて政治的な存在
だからである。
キリスト教、イスラム教、
仏教------創唱された三つの
世界宗教がどのように誕生し、
広がっていったかを
想起してほしい。
いずれも、当時の貧困や
矛盾に満ちた社会を
変革すべく始められ、
人々はだからこそ、それを、
「変革の力」「新しい思想」
「新しい生き方」として
理解し、惹かれ、入信して
いったのだ。

こうした「社会変革
特質
を、今も最も備えて
いるのがイスラム教
だろう。
まさに矛盾を温存するような
既存の秩序や、貧困を維持
するかのようなイスラム
社会の保守勢力に抗すべく
登場してきたのだ。
それが、世界にとって脅威
と感じるのは
、彼らが、
ジハード(聖戦)」と称して、
テロなどの非合法手段も
辞さないから
である。
石川純一 宗教世界地図 
 (平成10年12月15日8刷)
 新潮文庫抜粋)


宗教が他の宗教や宗派に
対して、排他的であっては
心の拠り所としての宗教に
相応しくない。
宗教の基本は内なるもの
であると思う。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする